は、穀物は同時に高価でありかつ低廉であると主張することである。富国は、食物供給の逓増的困難によって、貧国と同一の比率において人口が増加することを妨げられているということほど、経済学において十分に樹立され得る点はない。その困難は必然的に食物の相対価値を騰貴せしめ、その輸入に刺戟を与えねばならぬ。かくて貨幣、または金及び銀は、いかにして、貧国においてよりも富国においてより[#「より」に傍点]多くの穀物と交換され得るのであるか? 土地保有者が立法府を促して穀物の輸入を禁止せしめるのは、穀物の高価な富国においてのみである。アメリカまたはポウランドにおける、粗生生産物輸入禁止法を耳にしたものが、かつてあるか? ――自然は、それらの国におけるその生産の比較的内容なることによって、その輸入を有効に阻止したのである。
しからば、『もし穀物、及びその他の全然人間の勤労によって作られる如き野菜類を別とすれば、すべての他の種類の粗生生産物――家畜、家禽、すべての種類の獲物、地中の有用な化石や鉱石類等は、社会が発展するにつれて当然より[#「より」に傍点]高価になる。』ということはいかにして真実たり得ようか? 穀物と野菜類のみが何故《なにゆえ》に除外されねばならぬのか? その全著作を通じてのスミス博士の誤謬は、穀価は不変であり、すべての他の物の価値は騰貴し得ようが、穀物の価値は決して騰貴し得ないと想像することにある。穀物は、彼によれば、常に同数の人間を養うから常に同一価値を有っているのである。同様に毛織布は常に同数の上衣を作るから常に同一価値を有っていると言い得よう。価値は養ったり着せたりする力といかなる関係を有ち得ようか?
(一三二)穀物は、あらゆる他の貨物と同様に、あらゆる国において、その自然価格、すなわちその生産に必要でありそれが得られなければそれは耕作され得ない価格、を有っている。その市場価格を支配し、かつそれを外国に輸出する便否を決定するものは、この価格である。もし穀物の輸入が英国において禁止されるならば、その自然価格は英国においては一クヲタアにつき六|磅《ポンド》に騰貴するかもしれぬが、他方それはフランスにおいては英国の価格の半ばに過ぎない。もしこの際輸入禁止が取除かれるならば、穀物は英国市場において、六|磅《ポンド》と三|磅《ポンド》との間の一価格ではなく、窮極的にかつ永久的に、フランスの自然価格に、すなわち穀物が英国市場に供給され得かつフランスにおいて資本の通常利潤を与え得る価格に、下落するであろう。そして英国が十万クヲタアを消費しようと百万クヲタアを消費しようと、それはこの価格に止まるであろう。もし英国の需要が百万クヲタアであるならば、フランスが蒙る所のこの大なる供給をなすためにより[#「より」に傍点]劣等な質の土地に頼るという必要のために、自然価格はおそらくフランスにおいて騰貴するであろう。そしてこれはもちろん、英国における穀物価格にも影響を及ぼすであろう。私の主張するすべては、もし貨物が独占物でないならば、それらが輸入国において売られる価格を窮極的に左右するものは、輸出国におけるその自然価格である、ということである。
しかし、貨物の自然価格がその市場価格を窮極的に左右するという学説をかくも見事に主張したスミス博士は、市場価格が輸出国の自然価格によっても輸入国の自然価格によっても左右されないと考えられる場合を想定した。彼は曰く、『オランダかジェノア領かの真実の富を減少し、他方その住民数を同一ならしめるならば、それらが遠隔諸国から供給を受けるという力を減少するならば、穀価は、この衰退の原因またはその結果として必然的にそれに伴わざるを得ぬ所の銀の分量の減少と共に下落することなくして、饑饉《ききん》価格にまで騰貴するであろう。』
私にはその正反対のことが起るであろうと思われる、すなわちオランダ人またはジェノア人が一般に購買する力の減少は、しばらくの間穀価を、その輸出国並びにその輸入国において、その自然価格以下に引下げるかもしれぬが、しかしそれが穀価をこの価格以上に引上げ得るということは、全く不可能である。需要が増加され穀価がその以前の価格以上に騰貴し得るのは、オランダ人またはジェノア人の富を増加せしめることによってのみである。そしてこのことは、その供給を得るに当って新たな困難が起らない限り、極めて短い時間に起るであろう。
スミス博士は更にこの問題について曰く、『吾々が必要品を欠いている時には、吾々はすべての余計なものを手離さなければならないが、かかるものの価格は、それが富と繁栄の時には騰貴する如くに、貧困と窮乏の時には下落するのである。』これは疑いもなく真実である。しかも彼は続けて曰く、『必要品についてはこれと異る。その真実価格、すなわちそれが購買または支配し得る労働量は、貧困と窮乏の時には騰貴し、富と繁栄の時には下落するが、この富と繁栄の時は常に大豊富の時であって、それはけだししからざればそれは富と繁栄の時ではあり得ないからである。穀物は必要品であり、銀は単に余計物であるに過ぎない。』
互に何らの聯関も有たない二つの命題がここに提起されている。すなわちその一つは、想定された事情の下において穀物はより[#「より」に傍点]多くの労働を支配するということであって、争う余地のないことであり他方は穀物はより[#「より」に傍点]高い貨幣価格で売れ、すなわちそれはより[#「より」に傍点]多くの銀と交換されるということであって、私はこの後者は誤りであると主張する。もし穀物が同時に稀少であるならば、――もし平常の供給がなされなかったのであるならば、――これは真実であるかもしれない。しかしこの場合それは豊富である。日常以下の量が輸入されまたはそれ以上が必要とされるとは、されていない。穀物を購買するためにオランダ人またはジェノア人は貨幣を欲し、そしてこの貨幣を得るために彼らはその余計物を売らざるを得ない。下落するのはかかる余計物の市場価値及び市場価格である。しかし貨幣がそれらと比較して騰貴するように見える。しかしこれは穀物に対する需要を増加せしめる傾向を有たず、また貨幣価値を下落せしめる傾向も有たないであろう、この二つのことが穀物を騰貴せしめ得るただ二つの原因なのである。貨幣は信用欠除その他の原因によって、大いに需要され、従って穀物に比較して高価になるかもしれない。しかしいかなる正しい原則に拠《よ》っても、かかる事情の下においては貨幣は低廉となり従って穀価は騰貴するであろう、ということは主張され得ないのである。
吾々が異る国の金、銀、その他の貨物の価値の高下を云う時には、吾々は常に、吾々がそれらを測定しているある媒介物を指示すべきであり、しからざればその命題にはいかなる観念をも附し得ない。かくて、金がスペインよりも英国においてより[#「より」に傍点]高価であると言われる時には、もしいかなる貨物も指示されないならば、この主張はいかなる観念を伝えるか? もし穀物や橄欖《かんらん》や葡萄酒や羊毛が英国よりもスペインにおいてより[#「より」に傍点]低廉な価格にあるならば、それらの貨物で測定すれば、金はスペインにおいてより[#「より」に傍点]高いのである。更にもし、鉄器や砂糖や毛織布等がスペインよりも英国においてより[#「より」に傍点]低廉な価格にあるならば、それらの貨物で測定すれば、金は英国においてより[#「より」に傍点]高いのである。かくして金は、観察者が金の価値を測定する媒介物として何を選ぶかに従って、スペインにおいてより[#「より」に傍点]高くもより[#「より」に傍点]低廉にも見えるのである。アダム・スミスは、穀物及び労働をもって普遍的価値尺度なりと刻印したから、当然それに対して金が交換される所のこれら二つの量によって、金の比較価値を測定するであろう。従って彼が二国における金の比較価値を論ずる時には、私は彼が穀物及び労働によって測定されたその価値を意味するものと理解する。
(一三三)しかし吾々は、穀物で測定すれば、金は二つの国において極めて異る価値を有つであろうことを見た。私は、それは富国においては高いということを示さんと努力した。アダム・スミスの意見はこれと異る。すなわち彼は、穀物で測定された金の価値は富国において最も高いと考えている。しかしこれらの意見のいずれが正しいかをより[#「より」に傍点]以上に検討せずとも、そのいずれも、金は鉱山を所有する国において必ずしもより[#「より」に傍点]低くはないということ――これはアダム・スミスによって主張されている命題であるが、――を説明するに足るものである。英国が鉱山を所有し、そして金は富国において最も高い価値を有つものであるというアダム・スミスの意見が正しいと仮定すれば、金は当然に英国からすべて他国へその財貨[#「財貨」に傍点]と交換して流出するであろうけれども、それらの国よりも英国においては穀物及び労働と比較して金[#「金」は底本では「穀物」]が必然的により[#「より」に傍点]低廉であるということにはならないであろう。しかしながら他の場所においてアダム・スミス[#「アダム・スミス」は底本では「アダムス・ミス」]は、スペイン及びポルトガルではヨオロッパの他の地方におけるよりも貴金属は必然的により[#「より」に傍点]低廉であるが、けだし両国は貴金属を生産する鉱山のほとんど独占的所有者であるから、と云っている。『封建制度がなお引続き存在しているポウランドは、今日、アメリカ発見以前の状態と同様に貧しい国である。しかしながら、ポウランドにおいてはヨオロッパの他の地方と同様に、穀物の貨幣価格は騰貴し[#「穀物の貨幣価格は騰貴し」に傍点]、金属の真実価値は下落した[#「金属の真実価値は下落した」に白丸傍点]。従ってその分量は、他の地方と同様にその国において、そして土地及び労働の年々の生産物とほとんど同一の比例で[#「そして土地及び労働の年々の生産物とほとんど同一の比例で」に傍点]、増加したに相違ない。しかしながらこれらの金属量のかかる増加は、その年々の生産物を増加せしめず、この国の製造業や農業を改善しもしなければ、またその住民の境遇を改善しもしなかったように思われる。鉱山を所有する国たるスペイン及びポルトガルは、ポウランドに次いで、おそらくヨオロッパにおける二つの最も貧しい国である。しかしながら貴金属の価値は、啻に運賃及び保険料のみならず、更に貴金属の輸出が禁止されているかまたは関税を課せられているために密貿易の費用をも負担している所のヨオロッパの他の地方におけるよりも、スペイン及びポルトガルにおいてより低くなければならない[#「スペイン及びポルトガルにおいてより低くなければならない」に傍点]。しかしながらそれらの国はヨオロッパの大部分よりもより[#「より」に傍点]貧しいのである。スペイン及びポルトガルにおいて封建制度が廃止[#「廃止」は底本では「発止」]されているとはいえ、その後を継いだものは遥かにより[#「より」に傍点]良い制度ではなかった。』
スミス博士の議論は思うにこうである。すなわち、金は、穀物で評価される時には、他の国におけるよりもスペインにおいてより[#「より」に傍点]低廉であり、そしてこのことの証明は、穀物を金の代償として他国がスペインに与えるということではなく、毛織布や砂糖や鉄器をこの金属の代償としてそれらの国が与えるということなのである。
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第二十九章 生産者によって支払われる租税
(一三四)セイ氏は、製造貨物に対する租税が、その製造過程の後期よりもむしろ初期に課せられた場合に起る不都合を、大いに誇大視している。貨物がその手を順次に通過する製造業者は、租税を前払しなければならない結果、より[#「より」に傍点]大なる資金を用いねばならず、このことはしばしばその資本と信用が極めて少い製造業者に対し、著しい困難を伴う、と彼は言っている。かかる考察に対しては
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