彼は、最も安くその債務を弁済し得るに従ってそのいずれかで支払うであろう。もし五クヲタアの小麦をもって、彼が造幣局が二〇ギニイ金貨に鋳造すべき額の全地金を取得し得、また同じ小麦に対して、造幣局が彼に四三〇シリング銀貨に鋳造すべき額の銀地金を取得し得るならば、彼は銀で支払うことを選ぶであろうが、けだし彼はその債務をかくの如くして支払うことによって一〇シリングの利得者となるからである。しかしこれに反し、もし彼がその小麦をもって二〇ギニイ半の金貨に鋳造されるべき量の金を利得し得、そして四二〇シリングの銀貨に鋳造されるべき量の銀を取得し得るに過ぎないならば、彼は当然にその債務を金で支払うことを選ぶであろう。もし彼が取得し得る金の量が単に二〇ギニイの金貨に鋳造され得るに過ぎず、そしてその銀の量が四二〇シリングの銀貨に鋳造され得るならば、彼がその債務を支払うのが銀貨であろうと金貨であろうと彼にとっては全くどうでもよいことであろう。かくてそれは偶然事ではない。金が常に債務を支払う目的のために選ばれるのは、金が富国の流通を行うにより[#「より」に傍点]よく適するからではなく、単にそれで債務を支払うのが債務者の利益であるからである。
 銀行の現金の兌換停止の年たる一七九七年以前の長い時期の間、金は銀に比較して極めて低廉であったために、英蘭《イングランド》銀行その他すべての債務者にとり、鋳造のためにそれを造幣局に運ぶ目的をもって、市場において銀ではなく金を買うのが、その利益に合したが、けだし彼らは金でその債務を弁済した方がより[#「より」に傍点]低廉に済んだからである。銀貨は、この時期の大部分の間、その価値が極めて削減されたが、しかしそれは稀少な程度に存在し、従って、私が前述した原理によって、その通用価値は決して下落しなかった。かくも削減されはしたけれども、金貨で支払うのが依然債務者の利益であった。もちろんもしこの削減された銀貨の量がベラ棒に大であり、またはもし造幣局がかかる削減された貨幣片を発行したのであるならば、この削減された貨幣で支払うのが債務者の利益であったかもしれないが、しかしその量は限られており、そしてその価値を保持しており、従って金が実際上通貨の真実の本位であったのである。
 それがそうであったことはどこでも否定されていない。しかしそれは、銀は造幣標準に依って量目で計算せざる限り二五|磅《ポンド》以上のいかなる債務に対しても法貨たらしめられないと宣言する法律によって、そうされたのであると主張されている。
 しかしこの法律は、ある債務者がその債務を、その額がいかに大であろうと、造幣局から来たばかりの銀貨で支払うのを妨げはしなかった。債務者がこの金属で支払わなかったのは、偶然事ではなく強制事でもなくして、全く選択の結果である。銀を造幣局に持って行くのは彼れの利益には合せず、金をそこに持って行くのが彼れの利益に合したのである。もし、この削減された流通銀貨の分量がベラ棒に大であり、そしてまた法貨であるならば、おそらく一ギニイ貨が再び三〇シリングに値したであろうが、それはしかし削減されたシリング銀貨が価値において下落したのであり、ギニイ金貨が騰貴したのではないであろう。
 かくてこの二つの金属の各々がいかなる額の債務に対しても等しく法貨である間は、吾々が、価値の主たる標準尺度の不断の変動を蒙ることは明かである。それは時に金であり、また時に銀であり、このことはこの二つの金属の相対価値の変動に全く依存する。そしてかかる時代には、標準ではない金属は熔解され、そして流通から引去られるが、それはけだしその価値は鋳貨の場合よりも地金の場合の方がより[#「より」に傍点]大であるからである。これは一つの不利益であり、それが除去されることは極めて望ましいことである。しかし改善は極めて遅々としているために、たとえロック氏によって反駁され得ざるほどに証明され、そして彼れの時代以来、貨幣の問題についてあらゆる学者により指摘されたとはいえ、一八一六年の議会会期までにはより[#「より」に傍点]良い制度がかつて採用されなかったが、その時に四〇シリング以上のいかなる額に対しても金のみが法貨であると法定されたのである。
 スミス博士は、二つの金属を通貨として用い、また両者をいかなる額の債務に対しても法貨として用いることの結果を、十分知っていたようには思われない。けだし彼は曰く、『実際には、鋳貨としての種々な金属の価値の間に一つの規制された比例が継続している間は、最も貴重な金属の価値が金鋳貨の価値を左右する』と。彼れの時代には、金は債務者がその債務を支払うに適せる媒介物であったから、彼は、それがある固有の性質を有っておりそれによって当然それが銀貨の価値を左右したし、そしてまた常にこれを左右するであろう、と考えたのである。
 一七七四年の金貨の改革に当って、造幣局から出て来たばかりの新ギニイ貨は、二十一箇の削減されたシリング銀貨と交換されるに過ぎなかった。しかし銀貨が正確に同一の状態にあった所の国王ウィリアムの治世においては、同じく新しい造幣局から出て来たばかりのギニイ貨は、二〇シリング[#「二〇シリング」はママ]銀貨と交換された。これについてビウキャナン氏は曰く、『かくてここに、普通の通貨理論が何らの説明を与えない最も特異な事実があるわけである。すなわちギニイ貨は、ある時には削減された銀貨でのその内在価値たる三〇シリングと交換されながら、後に至ってこの削減されたシリング銀貨の二十一箇と交換されたに過ぎない。これらの二つの異る時期の間にはスミス博士の仮説が何らの説明も与えない所の、通貨状態のある大変化が介在したに相違ないことは、明かである。』
 述べられている二つの時期におけるギニイ貨の価値の相違を、削減された銀貨の流通量の相違に帰すれば、この困難は極めて簡単に解決され得るように、私には思われる。国王ウィリアムの治世においては金は法貨ではなく、単に伝統的な価値で通用していたに過ぎない。すべての巨額の支払はおそらく銀でなされたが、それは特に紙幣及び銀行業の作用が当時ほとんど理解されていなかったからである。この削減された銀貨の量は、削減されない貨幣のみが用いられた場合に流通界にあるべき銀貨の量を、超過し、従ってそれは削減されたと同様にまた減価した。しかしそれに続く所の、金が法貨であり銀行券もまた支払の用に当てられた時期においては、削減された銀貨の量は、削減された銀貨がない場合に流通すべかりし所の、造幣局から出て来たばかりの銀貨の量を超過しなかった。だから貨幣は削減されはしたけれども減価しなかったのである。ビウキャナン氏の説明はややこれと異る。彼は補助貨は減価しそうにもないが本位貨は減価すると考えている。国王ウィリアムの治世においては銀は本位貨であり、そのためにそれは減価した。一七七四年には、それは補助貨であり、従ってその価値を維持した。しかしながら、減価は、通貨が補助貨であるか本位貨であるかということには依存せず、それは全然その量が過剰であるということに依存するのである(註)。
[#ここから2字下げ、折り返して3字下げ]
(註)最近議会で、ロオダアデイル卿によって、現行の造幣規則をもってすれば英蘭《イングランド》銀行は正金でその銀行券を支払うことが出来ないであろうが、けだし二金属の相対価値は、その債務を金ではなく銀で支払うのがすべての債務者の利益であるというような高さにあるのに、他方法律は、銀行のすべての債権者に銀行券と引換えに金を要求する力を与えたがためである、と主張された。卿は、この金は有利に輸出され得ると考え、そしてもしそれが事実ならば、銀行は、供給を維持するために、不断にプレミアム附《つき》で金を購買しかつそれを平価で売らざるを得ない、と彼は主張している。もしあらゆる他の債務者が銀で支払い得るならばロオダアデイル卿は正しいであろうが、しかし債務者はその債務が四〇シリングを超過するならば、銀で支払い得ない。かくてこのことは流通している銀貨の額を制限するであろう。(もし政府が、それが便宜と考える時にはいつでも、その金属の鋳造を中止する力を保留しておかなかったならば。)けだしもし余りに多くの銀が鋳造されるならば、それは金に対する相対価値において下落し、そして何人も、そのより[#「より」に傍点]低い価値に対して補償がなされない限り、四〇シリングを超過する債務に対する支払においてそれを受入れぬであろうからである。一〇〇|磅《ポンド》の債務を支払うためには百のソヴァレイン金貨か一〇〇|磅《ポンド》に当る銀行券が必要であろうが、しかし、銀貨の流通額が余りに多い場合には、銀貨で一〇五|磅《ポンド》が必要とされるであろう。かくて銀貨の分量の過剰に対しては二つの抑制がある、その第一は、政府がより[#「より」に傍点]以上の鋳造を妨げるためにいつでもなし得る直接的妨げであり、第二に、いかなる利害の動機も、何人をしても銀を造幣局に持ち運ばせない――たとえ彼にそれが出来ても――であろうが、けだしそれが鋳造されるとしてもそれはその造幣価値では通用せず、単にその市場価値で通用するに過ぎないからである。
[#ここで字下げ終わり]
 適度の造幣料に対しては多くの反対はあり得ず、より[#「より」に傍点]少額の支払をなすための通貨に対するものについては特にそうである。貨幣は一般に造幣料の全額だけ価値において高まり、従ってそれは、貨幣の量が過剰でない間は、それを支払う者に決して影響を与えない租税である。しかしながら、紙幣制度が設けられている国においては、かかる紙幣の発行はその所持人の要求次第それを正金で支払う義務を有つとはいえ、しかも、彼らの銀行券も鋳貨も共に、紙幣の流通を制限する妨げが働かないうちに、唯一の法貨たる鋳貨に対する造幣料の全額だけ減価されるべきことを、述べなければならない。もし金貨の造幣料が例えば五%であるならば、通貨は、銀行券の濫発によってそれを地金に熔解するために鋳貨を要求するのが銀行券の所持人の利益となるに先立って、実際五%だけ減価されるであろうが、これは金貨に対して何らの造幣料もないか、または造幣料が課せられたとしても、銀行券の所持人がそれと引換えに、鋳貨ではなく地金を、三|磅《ポンド》一七シリング一〇ペンス二分の一の造幣価格で請求し得る場合には、吾々が決して曝されることなき減価である。かくて英蘭《イングランド》銀行が所持人の欲するままに、その銀行券を地金または鋳貨で支払うべく強制されていない限り、銀貨に対して六%すなわち一オンスにつき四ペンスの造幣料を課するが、しかし金は全然無料で造幣局に鋳造させるということを命ずる所の、最近の法律は、最も有効に通貨の不必要な変動を予防するであろうから、おそらく最も適当なものであろう。
[#改ページ]

    第二十八章 富国及び貧国における、金、穀物、及び労働の比較価値について

(一三一)アダム・スミスは曰く、『金及び銀は、すべての他の貨物と同様に、最高の価格がそれに支払われる市場を当然に求める。そしてこの最高の価格は、これを支払う余裕が最もある国においてあらゆる物に与えられる。労働はあらゆる物に対して支払われる窮極的価格であることを、記憶しなければならない。そして労働の報酬が等しくよい国においては、労働の貨幣価格は労働者の生活資料のそれに比例するであろう。しかし金及び銀は、貧国よりも富国において、生活資料の供給が相当でしかない国よりもそれを豊富に有っている国において、より[#「より」に傍点]多量の生活資料と当然交換されるであろう。』
 しかし穀物は、金、銀、その他の物と同様に一貨物である。従ってもしすべての貨物が富国において高い交換価値を有つならば、穀物はそれから除外されるはずはない。従って吾々は、穀物は高価であるから多量の貨幣と交換されたのであり、また貨幣もそれが高価であるから多量の穀物と交換されたのであると、正しく言い得ようが、これ
前へ 次へ
全70ページ中60ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
リカードウ デイヴィッド の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング