ポンド》も、金を鋳造せざるを得なかった。この大なる鋳造のために、銀行はしばしば、金貨が数年前に陥った磨損しかつ下落した状態の結果として、地金を一オンスにつき四|磅《ポンド》という高い価格で購買せざるを得ず、それをその後直ちに一オンスにつき三|磅《ポンド》一七シリング一〇ペンス二分の一で鋳貨として発行したために、かくて、かくも多額の鋳造に際し二%半ないし三%の損失を蒙ったのである。従って、銀行は何らの造幣料を支払わず、政府が当然にこの鋳造費を負担したとはいえ、この政府の寛裕《かんゆう》は銀行の出資を全然防ぐものではなかった。』
 上述の原則に基いて、かくの如くして持込まれた紙幣を再発行せざることによって、低落せる金貨と新しい金貨との全通貨の価値は騰貴し、その時に銀行に対するすべての要求はなくなったということが、私には最も明かであると思われる。
 しかしながらビウキャナン氏はこれと意見を異にする。けだし彼は曰く、『この時に銀行が負担した大なる出費は、スミス博士が想像していると思われる如くに、紙幣の不慎慮な発行によってではなく、削減された通貨の状態及びその結果たる地金の価格騰貴によって、惹起されたものである。銀行は――そう考えられるであろうが、――地金を鋳造のために造幣局に送る以外に、ギニイ貨を取得する方法を有たないから、常にその戻って来た銀行券と引換えに新鋳造ギニイ貨を発行せざるを得ず、そして通貨が量目において不足し、地金の価格がそれに比例して高い時には銀行からその紙幣と引換えにかかる量目の大なるギニイ貨を引出し、それを地金とし、そしてそれを利潤を得て銀行紙幣に対して売り、ギニイ貨の新たな供給を得んがために再びそれを銀行に戻し、このギニイ貨を再び熔解して売却するのが、有利となった。通貨の量目が不足している間は銀行はこの正金の流出を常に蒙らなければならない、けだしその時には容易なかつ確実な利潤が、紙幣と正金との不断の交換から生ずるからである。しかしながら、銀行がその時にその正金の流出によっていかなる不便や出費を蒙ろうと、その銀行券に対して貨幣を支払う義務を解除することが必要であるとは決して想像されなかったことを、述ぶべきであろう。』
 ビウキャナン氏は明かに、全通貨は、必然的に、削減された貨幣の価値の水準にまで引下げなければならぬと考えている。しかし確かに、通貨の分量の減少によって、残っている全部は最良の貨幣の価値にまで引上げられ得るのである。
 スミス博士は、植民地通貨に関するその議論の中で、自分自身の原理を忘れたように思われる。紙幣の減価をその分量の過大なるに帰せずして、彼は、植民地の保証が完全に確実であると仮定して、十五年後に支払わるべき一百|磅《ポンド》は、同時に支払わるべき一百|磅《ポンド》と等しい価値を有つか否かを問うている。私はもしそれが過重でないならば、しかりと答える。
(一二七)しかしながら経済は、国家でも銀行でも無制限の紙幣発行権を有つ時には常にこれを濫用するの結果となったことを、示している。従ってあらゆる国家において、紙幣の発行は何らかの制限と統制との下にあるべきである。そしてその目的のためには、紙幣発行者をして、その銀行券を地金で支払う義務に服せしめるのが、最もよいように思われる。
〔『公衆を(註一)本位そのものが蒙るもの以外の通貨の価値の何らかの他の変動に対して確保し、同時に、最も出費が少くて済む媒介物をもって流通を行わしめる事は、通貨が齎され得る最も完全な状態を達成する事であり、そして吾々は銀行をしてその銀行券と引換えに、ギニイ貨幣の引渡ではなく造幣本位及び造幣価格での未鋳造の金または銀の引渡をなさしめる事によって、すべてのこれらの利益を所有する事となろうが、この方法によれば紙幣が地金の価値以下に下落する時には必ず地金の量の減少を伴うであろう。地金の価値以上への紙幣の騰貴を防ぐために銀行はまた紙幣を、一オンスにつき三|磅《ポンド》一七シリングという価格で本位たる地金と引換えに与えざるを得ざらしめられるべきである。銀行に余りに多くの手数をかけないために、三|磅《ポンド》一七シリング一〇ペンス二分の一という造幣価格で紙幣と引換えに要求される金の分量、または三|磅《ポンド》一七シリングで売られるべき分量は決して二十オンス以下であってはならない。換言すれば銀行は二十オンス以下ではない所のそれに提供された金のある分量を一オンスにつき三|磅《ポンド》一七シリング(註二)で購買し、また要求される分量を三|磅《ポンド》一七シリング一〇ペンス二分の一で売却せざるを得ざらしめらるべきである。銀行がその紙幣量を左右する力を有っている間はかかる規定よりして銀行に起り得べき不便は何もあり得ないのである。
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(註一)このパラグラフ及びそれ以下の括弧の終りに至るパラグラフは、著者が一八一六年に著わした、『経済的なかつ安全な通貨に対する諸提案』と題するパンフレットからの抜抄《ばっしょう》である。
(註二)ここに挙げた三|磅《ポンド》一七シリングという価格は、もちろん、任意にきめた価格である。おそらくそれをややこれ以上にかややこれ以下にか定むべき十分なる理由があるであろう。三|磅《ポンド》一七シリングときめたのは、単に、原理を説明せんがためである。この価格は、金の売却者にとり、それを造幣局へ持って行くよりもむしろそれを銀行に売却する方が利益となるようにきめるべきである。
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 同じ注意は二十オンスという特定量に対しても妥当する。それを十オンスまたは三十オンスにするのに十分の理由があるであろう。
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『同時に、あらゆる種類の地金を輸出入するために最も完全な自由が与えられなければならぬ。かかる地金取引は、もし銀行が、流通している紙幣の絶対量を顧慮せずに、私がかくもしばしば挙げた指標すなわち本位たる地金の価格によって、その貸出及び紙幣発行を左右するならば、その数は極めて少いであろう。
『私が目指している目的は、もし銀行がその銀行券と引換えに造幣価格及び造幣標準で未鋳造地金を引渡すことを命ぜられているならば、十分に達せられるであろう。もっともこの場合、銀行は、特に造幣局が貨幣鋳造のために引続き公開されている場合には、銀行に提供されたいかなる分量の地金をも固定せらるべき価格で購買しなければならぬわけではない。けだしその規定は単に、貨幣価値が銀行が買入れるべき価格と売出すべき価格とのほんのわずかな差額以上に、地金価値から動くのを妨げるために云ったのに過ぎず、そしてそれはかくも望ましいものと認められている所の貨幣価値の斉一性へ接近することである。
『もし銀行が気紛れにその紙幣量を制限するならば、それはその価値を騰貴せしめ、そして金は、銀行が購入せんことを私が提案している限度以下に、下落するように思われるであろう。金は、その場合には、造幣局に運ばれ、そしてそこから返って来る貨幣は、流通貨幣に附加されて、その価値を下落せしめかつそれを再び本位に一致せしめる結果を有つであろう。しかし、それは、私が提案した手段によるほど安全にも経済的にもまた迅速にも行われないであろうが、この私の提案した手段に対しては、銀行は、他人をして鋳貨で流通貨幣を供給せしめるよりもむしろ紙幣でそれを供給するのが彼らの利益に合するから何らの反対も提起しないであろう。
『かかる制度の下において、かつかくの如く統制された通貨をもってすれば、銀行は、一般的パニックが国を襲い、そしてあらゆる者がその財産を実現しまたはこれを隠蔽《いんぺい》する最も便利な方法として貴金属を所有せんと望む所の異常の場合を除けば、何らの困惑をも蒙らないであろう。かかるパニックに対しては、いかなる制度によっても[#「いかなる制度によっても」に傍点]銀行は何らの安固をも有たない。まさにその性質そのものにより銀行は恐慌を蒙らなければならぬが、それはけだしいかなる時においても、かかる国の金持達が請求権を有するだけの正金または地金の量は、銀行にも国内にも有り得ないからである。もしあらゆる者が同じ日にその銀行からその預入残を引出すならば、今流通している銀行券の多数倍の分量でもかかる要求に応ずるに足りないであろう。この種のパニックが一七九七年の恐慌の原因であったのであり、想像されている如くに、銀行が当時政府に対してなした多額の融通がその原因であったのではない。その時に銀行も政府も悪い点はなかった。銀行取付を惹起したものは、社会の小心な一部の無根拠な恐怖の伝播であり、そして銀行が政府にいかなる融通もなさずそしてその現在の資本の二倍を所有していたとしても、それは等しく起ったことであろう。
『紙幣を発行するについての規則に対する銀行理事の周知の意見をもってすれば、彼らは、その力を大して慎重にもせずに行使したと言われ得よう。彼らが極度に注意して、彼ら自身の原理に随《したが》って行動したことは明かである。現在の法律状態においては、彼らは、何らの監督も受けず自ら適当と考えるいかなる程度にも流通貨幣を増減する力を有っているが、それは、国家自身にもまたその中のいかなる団体にも与えられるべきではない力である。けだし通貨の増減がもっぱら発行者達の意思に依存している時には、通貨の価値の斉一性に対しては何らの保証も有り得ないからである。銀行が流通貨幣を全く最も狭い限度にまで減少せしめる力を有っているということは、理事は無限にその分量を増加する力を有っていないということで理事と同意見の人によってすら、否定されないであろう。この力を公衆の利益を犠牲にして行使することが銀行の利益にも希望にも反するものであることは私は十分確信するとはいえ、しかも、私は、流通貨幣の突如たるかつ大なる減少並びにその大なる増加により起りもすべき悪結果を考慮する時には、国家が無造作にかくも恐るべき特権で銀行を武装したことを否とせざるを得ないのである。
『現金兌換の停止以前に地方銀行が蒙った不便は、時には、極めて大であったに相違ない。すべての危急の時期または予期された危急の時期には、地方銀行は、起り得る一切の緊急事変に応じ得んがためにギニイ貨を備えておかねばならなかったに相違ない。ギニイ貨は、かかる場合にはより[#「より」に傍点]多額の銀行券と引換えに英蘭《イングランド》銀行で得られ、そして費用と危険とを賭けて、ある信用ある代理人によって地方銀行に運ばれた。それがなすべき職務を果した後に、それは再びロンドンに戻り、そして、それが法定標準以下になってしまうような量目の減少を蒙っていなければ、ほとんど常にまたも英蘭《イングランド》銀行に貯蔵されたのである。
『もし今提議されている銀行券を地金で支払うという案が採用されるならば、この特権を地方銀行にまで拡張するかまたは英蘭《イングランド》銀行券を法貨とするかいずれかが必要であろうが、この後の場合には、地方銀行は、現在と同様に、要求される時にその銀行券を英蘭《イングランド》銀行券で支払わしめられるであろうから、地方銀行に関する法律には何らの変更もないであろう。
『転々する間に受けるにきまっている摩擦による量目の減少にギニイ貨を委ねないことによって生ずる節約、並びに運搬費の節約は、著しいであろう。しかし遥かに最大の利益は、少額の支払の関する限りにおいて、地方並びにロンドンの通貨の永久的供給が、はなはだ高価な媒介物たる金ではなく極めて低廉な媒介物たる紙でなされることから生じ、ひいては国をしてその額に当る資本の生産的使用によって取得され得べきすべての利潤を獲得するを得しめるであろう。ある特別の不利益がより[#「より」に傍点]低廉な媒介物の採用に伴生する傾向あることが指示され得ない限り、吾々は確かにかくも決定的な利益を拒否する権利はないはずである。』〕
 通貨は、それが全然紙幣から成る時に、その最も完全な状態にあるのであるが、その紙
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