う等しい特権を有っているであろう。しかしこれらの価格でならば条約がなくとも財貨は買われるであろう。しからば両当事国にとっていかなる利益または不利益を条約は有つのであるか?
 輸入国にとってのこの条約の不利益はこうであろう。すなわちそれはその国をして、一貨物を、例えば英国からこの国がおそらくそれをある他の国の遥かにより[#「より」に傍点]低い自然価格で購買し得る時に、英国におけるその貨物の自然価格で購買せしめるであろう。かくてそれは一般資本の分配を不利益ならしめ、それは主として、条約により最も不生産的な市場で購買せざるを得ない国の負担する所となる。しかしそれは売手にある想像上の独占の故をもって何らの利益を与えるものではない。けだし彼は、自国人の競争によってその財貨をその自然価格以上に売るのを妨げられるからであるが、彼はそれを、彼がそれをフランス、スペイン、または西|印度《インド》へ輸出しようとまたは国内消費のためにそれを売ろうと、この自然価格で販売するであろう。
 しからば条約中の約定の利益はいかなるものであるか? それはこうである。すなわちかかる特定の財貨は、もし英国のみがこの特定の市場に供給するという特権を有つということがなかったならば、そこで輸出のために作られ得なかったであろうが、けだし自然価格のより[#「より」に傍点]低い国の競争が、それらの貨物を売却するすべての機会をこの国から奪っていたから、ということである。
(一二〇)しかしながら、もし英国がその製造する何らかの他の財貨を、フランスの市場において、またはそれと等しい利益をもって何らかの他の市場において、同一額だけ確実に売却し得るならば、このことはほとんど大したことではなかったであろう。英国の目的は、例えば、五、〇〇〇|磅《ポンド》の価値を有つある分量のフランスの葡萄酒を買うことである、――しからばこの国は、この目的のために五、〇〇〇|磅《ポンド》を得んとしてどこかへその財貨を輸出するであろう。しかしもし貿易が自由であるならば、他国の競争のために、英国における毛織布の自然価格が英国に、毛織布の売却によって五、〇〇〇|磅《ポンド》を取得せしめ、またかかる資本用途によって通常利潤を取得せしめ得るに足るほど低くあることが妨げられるであろう。かくて英国の勤労は何らかの他の貨物に用いられねばならない。しかし現在の貨幣価値において、それが他国の自然価格で売却し得る生産物は無いかもしれない。その結果はどうであろうか? 英国の葡萄酒飲用者はその葡萄酒に対して依然五、〇〇〇|磅《ポンド》を喜んで与える、従って五、〇〇〇|磅《ポンド》の貨幣がその目的のためにフランスへ輸出される。この貨幣の輸出によって、英国においてその価値は騰貴し、他国においては下落する。そしてそれと共に英国産業によって生産されるすべての貨物の自然価格[#「自然価格」に傍点]もまた下落する。貨幣価値の騰貴は貨物の価格の下落と同じことである。五、〇〇〇|磅《ポンド》を取得するために英国貨物が今や輸出されるであろう。けだしその下落せる自然価格でそれは今や他国の財貨と競争し得るからである。しかしながら、必要とされる五、〇〇〇|磅《ポンド》を取得するためにより[#「より」に傍点]多くの財貨が低い価格で売られ、そしてこの額はそれが得られた時には、同一量の葡萄酒を取得しないであろう。けだし英国における貨幣の減少がその国における財貨の自然価格を下落せしめたのに、フランスにおける貨幣の増加はフランスにおける財貨及び葡萄酒の自然価格を騰貴せしめたが故である。かくて貿易が完全に自由である時には、英国が通商条約によって特恵を得ている時よりも、英国貨物と交換に、より[#「より」に傍点]少量の葡萄酒が輸入されるからである。しかしながら、利潤の率は変動していないであろう。貨幣はこの二国において相対価値において変動しており、そしてフランスの得る利益は、一定量のフランス財貨と交換に、より[#「より」に傍点]多量の英国財貨を得ることであるが、他方英国の蒙る損失は、一定分量の英国の財貨と交換により[#「より」に傍点]少量のフランス財貨を得ることにあるであろう。
 かくて外国貿易は、束縛されようと奨励されようと自由であろうと、異る国における生産の比較的難易がどうであっても、常に継続するであろう。しかしそれは貨物がそれらの国で生産され得るその自然価格――自然価値ではない――を変動せしめることによってのみ左右され得、そしてこのことは貴金属の分配を変動せしめることによって成就されるのである。この説明は、貴金属の分配を変動せしめず従ってあらゆる処において貨物の自然価格及び市場価格を変動せしめない所の貨物の輸出入に対する租税や奨励金や禁止はないという、私が他の場所で述べた意見と一致するものである。
 かくて植民地との貿易が、完全な自由貿易よりも植民地にとりより[#「より」に傍点]不利であると同時に母国にとりより[#「より」に傍点]有利であるように、調整され得ることは、明かである。その取引を特定の一店に限られるのが個人たる消費者にとって不利であると同じく、一特定国から購買するを余儀なからしめられることは消費者たる一国民にとって不利である。もしその店またはその国が必要とされる財貨を最も低廉に提供するならば、それは何らのかかる排他的特権なくしても財貨の販売を確保し得よう。そしてもしそれがより[#「より」に傍点]低廉に販売しないならば、一般的利益のために、それが他のものと等しい利益をもって営み得ない職業を継続するのを奨励されないようになろう。その店またはその販売国は職業の変更によって損失するかもしれないが、しかし一般的利益は、一般資本の最も生産的な分配すなわち普遍的な自由貿易によってこそ最も十分に確保されるのである。
 貨物の生産費が増加しても、もしそれが第一必要品であるならば、必ずしもその消費は減少しないであろう。けだし購買者の一般的消費力がある一貨物の騰貴によって減少しても、しかも彼らはその生産費が騰貴しなかった所の何らかの他の貨物の消費を止め得るからである。その場合には、供給される分量と需要される分量とは以前と同一であろう。生産費のみが増加しているであろうが、しかも価格は、この騰貴せる貨物の生産者の利潤を他の職業から得られる利潤と等しからしめるために騰貴するであろうし、また騰貴しなければならぬ。
 セイ氏は生産費が価格の基礎であることを認めているが、しかし彼はその書物の種々なる部分において、価格は需要供給の比例によって左右されると主張している。ある二貨物の相対価値の真実かつ窮極的規制はその生産費であり、生産され得べき各々の分量でもなく、また購買者の間の競争でもないのである。
(一二一)アダム・スミスによれば、植民地貿易は、英国資本のみが用いられ得る事業であることのために、すべての他の職業の利潤率を騰貴せしめた。そして彼れの意見によれば、高い利潤は高い労賃と同様に、貨物の価格を騰貴せしめるから、植民地貿易の独占は――彼れの考えるに、――母国にとって有害であったが、けだしそれは製造貨物を他国と同様に低廉に売る力を減少せしめたからである。彼は曰く、『独占の結果として、植民地貿易の増加は、大英国が以前からなしていた貿易の方向を全く変動せしめたが、その増加はそれほど大ではなかった。第二に、この独占は必然的に、英国貿易のすべての各種部門における利潤率を、すべての国民が英国植民地に対して自由貿易を許されている場合に当然そうなるべき高さ以上に保つのに寄与したのである。』『しかしいかなる国においても通常利潤率をしからざる場合にそうあるべき以上に騰貴せしめるあらゆるものは、必然的に、その国をして、独占を有っていないあらゆる貿易部門において、絶対的並びに相対的不利益を蒙らしめる。それがこの国をして絶対的不利益を蒙らしめるというのは、けだしかかる貿易部門においては、その国の商人は彼らが自国に輸入する外国の財貨と彼らが外国に輸出する自国の財貨とを、しからざる場合に彼らが売るべき高さ以上に売ることなくしては、このより[#「より」に傍点]大なる利潤を獲得し得ないからである。彼ら自身の国は、しからざる場合よりも、より[#「より」に傍点]高く買いまたより[#「より」に傍点]高く売らなければならず、より[#「より」に傍点]少く買いまたより[#「より」に傍点]少く売らなければならず、より[#「より」に傍点]少く享受しまたより[#「より」に傍点]少く生産しなければならない。』
『我国の商人はしばしば、英国労働の労賃の高いことをもってその製造品が外国市場で売負かされる原因であると喞《かこ》っているが、しかし彼らは高い資本の利潤率については何事も言わない。彼らは他人の法外な利潤を喞っているが、しかし自分自身のそれについては何も言わない。しかしながら英国資本の高い利潤は、英国製造品の価格を、多くの場合には英国労働の労賃の高いだけ、またある場合にはおそらくそれ以上、高めるに貢献しているかもしれない。』
 私は、植民地貿易の独占は資本の方向を、しかもしばしば有害に、変更するであろうということを認める。しかし私が既に利潤の問題について述べた所から、一つの外国貿易から他のそれへのまたは内国商業より外国貿易へのいかなる変更も、私の意見によれば、利潤率には影響を及ぼし得ないことが、分るであろう。それによる害は、私が今述べたばかりのことであろう。すなわち、一般的資本及び勤労の分配が悪化し、従って生産が減少するであろう。貨物の自然価格は騰貴し、従って、消費者は同一の貨幣価値の購買をなし得るけれども、彼はより[#「より」に傍点]少量の貨物しか取得しないであろう。またそれが利潤を騰貴せしめるという影響をさえ有つとしても、価格は労賃によっても利潤によっても左右されないから、それは少しも価格を変動せしめないということも、分るであろう。
 そして、アダム・スミスが、『貨物の価格または貨物と比較された金及び銀の価値は、一定量の金及び銀を市場へ齎すに必要な労働量[#「労働量」に傍点]と、一定量の何らかの他の種類の財貨をそこへ齎すに必要なそれとの間の、比例に依存する』と言う時に、彼はこの意見に同意しているではないか? 利潤が高かろうと低かろうと、または労賃が低かろうと高かろうと、この労働量は影響を蒙らないであろう。しからばいかにして価格は高い利潤によって高められ得るのであるか?
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    第二十六章 総収入及び純収入について

(一二二)アダム・スミスは、常に、一国が大なる純所得よりはむしろ大なる総所得から得る利益を過大視している。彼は曰く、『一国のより[#「より」に傍点]大なる資本部分が農業に用いられるに比例して、それが国内において働かせる生産的労働量はより[#「より」に傍点]大となるであろう。その使用が社会の土地及び労働の年々の生産物に附加する価値も同様であろう。農業に次いで、製造業に用いられる資本が生産的労働の最大量を働かせ、そして年々の生産物に最大の価値を附加する。輸出業に用いられるそれは、これら三つのうち最小の結果しか有たない。』(註)
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(註)セイ氏はアダム・スミスと同一の意見を有っている。『その国一般にとって最も生産的な資本の用途は、土地に投ぜられた資本に次いでは製造業及び国内商業のそれである。けだしそれは利潤がその国内で得られる産業を活動せしめるが、他方外国貿易に用いられる資本はすべての国の勤労と土地とをして無差別的に生産的ならしめるからである。
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『一国民にとって最も不利な資本の用途は、一外国の生産物を他の外国へ輸送するそれである。』セイ、第二巻、一二〇頁。
[#ここで字下げ終わり]
 このことをしばらく真実なりとしよう。もし一国が多量の生産的労働を用いようとまたはそれ以下の分量を用いようと、その純地代及び利潤の両者が同一であるなら
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