てまた労賃が大いに下落するであろうから、大いに騰貴するであろう。高い利潤は資本の蓄積に有利である。労働に対する需要は更に増加し、そして地主は土地に対する需要の増加によって永久的に利得するであろう。
もちろん同一の諸々の土地からかくも豊富な食物が生産され得る時には、それは極めてより[#「より」に傍点]高度に耕作され、従ってそれは社会の進歩につれて、以前よりも遥かにより[#「より」に傍点]高い地代を生じかつ遥かにより[#「より」に傍点]多くの人口を支持するであろう。このことは地主に対し必ず大いに有利であり、かつ本書が必ず樹立せんとする所の、すべての法外な利潤はその性質上短期間でしかないが、それはけだし、土壌の全剰余生産物は、蓄積を奨励するに足るほどの過度の利潤をさえ控除した後は、終局的に地主に帰さなければならぬから、という原理と一致するものである。
かくも豊富な生産物が惹起す如きかかる低廉な労働の価格と共に、啻に既に耕作されている土地が遥かにより[#「より」に傍点]多量の生産物を産出するのみならず、それは、大なる附加的資本をしてそこに使用し得しめ、またより[#「より」に傍点]大なる価値をしてそれから引去られ得しめ、そして同時に、極めて劣等な土地が高い利潤をもって耕作され得、その結果として地主並びに消費者の全階級は大いに利得を受けるのである。最も重要な消費物を生産する機械たる土地は改良され、そしてその仕事が需要されるにつれて良い報酬を受けるであろう。すべての利益は、最初の間は、労働者、資本家、及び消費者がこれを享受するが、しかし人口の増加につれて、それは次第に土地所有者に移転されるであろう。
(一一七)社会が直接の利害関係を有ち地主が間接の利益関係を有っている所のかかる改良を別にすれば、地主の利益は常に消費者及び製造業者のそれと対立している。穀物は、単にそれを生産するに附加的労働が必要であるというだけの理由で、すなわちその生産費が増加したという理由で、永続的により[#「より」に傍点]高い価格にあり得る。同一の原因は常に地代を引上げる、従って穀物の生産に伴う費用の増加するのは地主の利益となる。しかしながら、これは消費者の利益ではない。彼にとっては、穀物が貨幣及び諸貨物に相対して低廉なことが望ましいが、それは穀物が購買されるのは常に諸貨物または貨幣であるからである。穀物価格が高いことは製造業者の利益でもないが、それはけだし、穀物の高い価格は高い労賃を惹起すが、しかし彼れの貨物の価格を高めはしないからである。かくて啻に彼れの貨物のより[#「より」に傍点]多くが、または同じことになるが、彼れの貨物のより[#「より」に傍点]多くの価値が、彼自身消費する穀物と引換に与えられなければならぬのみならず、更にまたより[#「より」に傍点]多くのものがまたはより[#「より」に傍点]多くのものの価値が、彼れの労働者に労賃として与えられなければならぬが、それに対しては彼は何らの補償をも得ないのである。従って地主を除くすべての階級は穀価の騰貴によって損害を蒙るであろう。地主と一般公衆との間の取引は、売手も買手も同様に利得すると言い得られる商売上の取引とは異り、損失は全然一方にまた利得は全然他方に帰するのである。そしてもし穀物が輸入によってより[#「より」に傍点]低廉に取得され得るならば、輸入しないために起る損失は、一方にとって、他方にとっての利得よりも遥かにより[#「より」に傍点]大である。
アダム・スミスは、貨幣価値の低いことと穀物の価値の高いこととの間に何らの区別もなさず、従って地主の利益は社会の他のものの利益と反するものではない、と推論している。第一の場合においては、貨幣がすべての貨物に比して低く、他の場合においては、穀物が諸貨物並びに貨幣に比してより[#「より」に傍点]高いのである。
アダム・スミスの次の記述は、低い貨幣価値には適用し得るが、しかしそれは高い穀物価値には全然適用し得ないものである。『もし(穀物の)輸入が常に自由であるならば、我国の農業者及び全紳士はおそらく、年々、輸入が大抵の時に事実上禁止されている現在において彼らが得るよりもより[#「より」に傍点]少い貨幣を、その穀物に比して得るであろうが、しかし彼らが得る貨幣はより[#「より」に傍点]多くの価値を有ち、すべての他の種類の財貨のより多くを購買し[#「すべての他の種類の財貨のより多くを購買し」に傍点]、そしてより[#「より」に傍点]多くの労働を雇傭するであろう。従って、彼らの真実の富、彼らの真実の収入は、たとえより[#「より」に傍点]少量の銀によって現わされるであろうとはいえ、現在におけると同一であろう。そして彼らは、現在耕作しているだけの穀物を耕作する能力を失わせられることも、これを阻害されることも、ないであろう。これに反し、穀物の貨幣価格の下落の結果たる銀の真実価値の騰貴は、すべての他の貨物の貨幣価格はやや下落せしめるから、それは、このことが起った国の産業に、すべての外国市場におけるある利益を与え、ひいてはその産業を奨励しかつ増加せしめる傾向がある。しかし穀物に対する内国市場の範囲は、それが栽培される国の一般産業または穀物と引換えに与えるために他の何物かを生産する人々の数に比例しなければならない。しかしあらゆる国において、内国市場は、穀物に対する最も手近なかつ最も便利な市場であると共に、また同様の穀物に対する最も大きなかつ最も重要な市場である。従って穀物の平均貨幣価格の下落の結果たる銀の真実価値の騰貴は、穀物に対する最も大きなかつ最も重要な市場を拡張し、ひいてはその栽培を阻害することなくこれを奨励する傾向を有つものである。』
金及び銀の豊富と低廉とより生ずる穀価の騰落は、地主にとっては何でもないことであるが、それはけだしまさにアダム・スミスの述べている如くに、あらゆる種類の生産物が平等にその影響を蒙るからである。しかし穀物の相対価格の騰貴は常に地主に極めて有利である。けだし第一に、それは彼にその地代としてより[#「より」に傍点]多量の穀物を与え、そして第二に、穀物の各等量について、彼はより[#「より」に傍点]多量の貨幣に対してのみならず貨幣が購買し得るあらゆる貨物のより[#「より」に傍点]多量に対しても支配権を有つからである。
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第二十五章 植民地貿易について
(一一八)アダム・スミスは、その植民地貿易に関する考察において、最も十分に、自由貿易の利益、及び植民地が母国によりその生産物を最も高価な市場で売り、その製造品及び必要品を最も低廉な市場で買うことを妨げられるに当り蒙る不公正を説明した。彼は、あらゆる国をしてその産業の生産物をその好む時と所とにおいて自由に交換せしめることによって、世界の労働の最良の分配が齎され、かつ人類生活の必要品及び享楽品の最大量が確保されることを説明した。
彼はまた、疑いもなく全体の利益を促進するこの通商の自由はまた各特定国のそれをも促進するものであり、またヨオロッパ諸国がその各々の植民地について採用した狭隘《きょうあい》な政策は、その利益が犠牲にされる植民地と同様に母国自身にとっても有害であることを説明せんと企てた。
彼は曰く、『植民地貿易の独占は、重商主義のすべての他の下賤なかつ悪性な方策と同様に、すべての他国の産業を抑圧するが、しかし主として植民地の産業を抑圧するものであり、それがその利益のために設けられた国の産業を少しも増加せしめず、かえってこれを減少せしめるのである。』
しかしながら彼れの主題のこの部分は、彼が植民地に対するこの制度の不公正を説明している場合の如くに明瞭にかつ確然と取扱われていないのである。
(一一九)母国は時にその領有植民地に加える制限によって利得しないかどうかを、思うに、疑い得よう。例えばもし英国がフランスの植民地であるならば、フランスが織物や毛織布やまたはその他の貨物の輸出に対して英国の支払う重い奨励金によって利得することを誰が疑い得よう? 奨励金の問題を検討するに当って、穀物が我国において一クヲタアにつき四|磅《ポンド》であると仮定して、吾々は、英国で一クヲタアにつき一〇シリングの奨励金が輸出に与えられるならば、穀物はフランスでは三|磅《ポンド》一〇シリングに下落すべきことを知った。さてもし穀物がフランスで以前に一クヲタアにつき三|磅《ポンド》一五シリングであったならば、フランスの消費者はすべての輸入穀物に対し一クヲタアにつき五シリングだけ利得したであろう。もしフランスにおける穀物の自然価格が以前に四|磅《ポンド》であったならば、彼らは一クヲタアにつき一〇シリングという奨励金の全額を利得したであろう。フランスはかくの如く英国の蒙る損失だけ利得するであろう。すなわちフランスは英国が失ったものの単に一部分を利得するに過ぎぬのではなく、その全部を利得するのである。
しかしながら輸出奨励金は内国政策の一方策であって、母国によっては容易には課せられ得るものではないと言われるかもしれない。
もしジャメイカ及びオランダが各々生産する貨物を、英国の仲介なしに交換するのが、両国の利益に適合するならば、オランダとジャメイカの両国がこの交換を妨げられるために両国の利益が害されるべきことは全く確実ではある。しかしジャメイカがその財貨を英国に送り、そしてそこでそれをオランダの財貨と交換せざるを得ないならば、英国の資本または英国代理店が、しからざればそれが従事しなかった職業に用いられるであろう。それは、英国ではなくオランダ及びジャメイカによって支払われた奨励金によって、そこに誘致されるのである。
二国における労働の不利益な分配によって受ける損失は、その一方にとっては有利であるかもしれぬが、しかし他方は実際かかる分配によって起る損失以上のものを蒙る、ということは、アダム・スミス自身によって述べられている。そしてこのことは、もしそれが真実であるならば、植民地にとっては大いに有害な一方策は、母国にとっては部分的に有利であるかもしれぬことを、直ちに証明するであろう。
彼は通商条約を論じて曰く、『ある国民が条約によって自らを束縛し、ある外国からの一定の諸財貨の輸入を、他のすべての外国からの輸入は禁止しながら、許可し、またはある国の財貨を、他のすべての国の財貨には関税を課しながらこれを免除する時には、その通商がかくの如き特恵を受けている国または少くともその国の商人及び製造業者は、必然的に条約から大きな便益を得るに相違ない。かかる商人及び製造業者は、彼らに対してかくも寛大なこの国においては一種の独占を享受する。その国は、彼らの財貨に対するより[#「より」に傍点]広大なかつより[#「より」に傍点]有利な市場となる。より[#「より」に傍点]広大なというのは、、他の諸国民の財貨が排斥されまたはより[#「より」に傍点]重い関税を賦課されていて、彼らからより[#「より」に傍点]多量を購買するからであり、より[#「より」に傍点]有利なというのは、特恵国の商人はそこで一種の独占を享受していて、しばしばその財貨を、すべての他の国の自由競争に曝される場合よりもより[#「より」に傍点]高い価格で販売するからである。』
通商条約を締結している二国が母国とその植民地とであるとしよう、そして、アダム・スミスは明かに、母国はその植民地を圧迫することによって利益を享《う》け得よう、としているのである。しかしながら、外国市場の独占が排他的一会社の手中にない限り、内国の購買者が貨物に支払う以上のものを外国の購買者が支払うことはなく、かかる双方の購買者が支払う価格は、それらの貨物が生産される国でのその自然価格と大して異ならないであろう、と云われるかもしれない。例えば英国は、通常の事情の下においては常に、フランスの財貨をフランスにおけるそれらの財貨の自然価格で買うことが出来、またフランスは英国の財貨を英国におけるその自然価格で買うとい
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