かにして彼がかかる穀物の騰貴を貨幣価値の下落から区別し、またはいかにして彼がスミス博士の結論以外の何らかの他の結論に達し得るのであるかが、私には判らない。『諸国民の富』の第一巻二七六頁への一つの註の中においてビウキャナン氏は曰く、『しかし穀価は土地の粗生生産物のすべての他の部分の貨幣価格を左右しない。それは金属類の価格も石炭、木材、石材等の如き種々なる有用物の価格も左右しない。そしてそれは労働の価格を左右しないから、それは諸製造品の価格を左右しない[#「そしてそれは労働の価格を左右しないから、それは諸製造品の価格を左右しない」に傍点]。従って奨励金は、それが穀価を騰貴せしめる限りにおいて、疑いもなく農業者に対する真実の利益である。従ってこの根拠に立ってはその政策は論議さるべきではない。穀価を騰貴せしめることによる農業に対するその奨励は、認めなければならない。かくて問題は、農業はかくの如くして奨励さるべきであるか否か? ということになる。』――かくてそれはビウキャナン氏によれば、労働の価格を騰貴せしめないから、農業者に対する真実の利益である。しかしもしそれが騰貴せしめるならば、それはすべての物の価格をそれに比例して騰貴せしめるであろうが、しかる時には、それは農業に対して何らの特定の奨励を与えないであろう。
 しかしながら、何らかの貨物の輸出奨励金の傾向は、少しばかり貨幣価格を下落せしめるにあることを、認めなければならない。輸出を促進するものは何でも、一国に貨幣を蓄積する傾向があり、これに反して輸出を阻害するものは何でも、それを減少する傾向がある。課税の一般的影響は、課税貨物の価格を騰貴せしめることにより、輸出を減少し従って貨幣の流入を阻止する傾向があり、そして同一の原理によって奨励金は貨幣の流入を奨励するのである。このことは課税に対する一般的観察についてより[#「より」に傍点]十分に説明されてある。
 重商主義の有害な影響はスミス博士によって十分に暴露された。その主義の全目的は、貨物の価格を、外国の競争を禁止することによって内国市場において騰貴せしめることであった。しかしこの主義は、社会の他のいかなる部分よりも農業階級により[#「より」に傍点]有害であるわけではなかった。資本がしからざれば流入しなかった通路に強いて赴かしめることによって、それは生産される貨物の全量を減少せしめた、価格は永久的により[#「より」に傍点]高くなったけれども、それは稀少によってではなく、生産の困難によって支持されたのである。従って、かかる貨物の売手はそれをより[#「より」に傍点]高い価格で売ったけれども、彼らは、資本の必要量がその生産に用いられた後は、それをより[#「より」に傍点]高い利潤で売ったのではないのである(註)。
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(註)セイ氏は、国内の製造業者の利益は一時的のもの以上であると想像している。『一定の外国財貨の輸入を絶対的に禁止する所の政府は、かかる貨物を国内において生産する者の利益になるように[#「者の利益になるように」に傍点]、これらを消費する者を犠牲として[#「者を犠牲として」に傍点]、独占を樹立するのである。換言すれば、それを生産する所の国内の者は、それを売却する排他的特権を有っているから、その価格を自然価格以上に引上げ得よう。そして国内の消費者は、それを他の場所で取得し得ないから、それをより[#「より」に傍点]高い価格で購買せざるを得ない。』第一巻、二〇一頁。
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 しかし、彼らの同胞市民のあらゆる者がこの事業に入るのが自由である時に、いかに彼らはその財貨の市場価格を永久的にその自然価格以上に支持し得るか? 彼らは外国の競争に対しては保証されているが、内国の競争に対しては保証されていない。かかる独占――もしそれがこの名で呼ばれ得るならば、――からその国に生ずる真実の害悪は、かかる財貨の市場価格を騰貴せしめることにはなく、その真実価格、自然価格を騰貴せしめることにある。生産費を増加することによって、国の労働の一部分はより[#「より」に傍点]不生産的に用いられるのである。
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 製造業者自身も消費者としてかかる貨幣に対して附加的価格を支払わねばならなかった。従って『両者(組合法及び外国貨物の輸入に対する高き関税)によって惹起される価格の昇騰《しょうとう》はどこでも結局、国の地主、農業者によって支払われる』というのは正しくあり得ない。
 外国穀物の輸入に対して同様の高い関税を課するために、今日紳士によってアダム・スミスの権威が引用されているから、この記述をなすのがいっそう必要となる。種々なる製造貨物の生産費従ってまた価格が、消費者に対し、商法上誤謬によって高められているから、我国は、正義を口実として、新たな誅求《ちゅうきゅう》に黙従《もくじゅう》することを求められ来ったのである。吾々はすべて吾々の亜麻布やモスリンや綿布に対して附加的価格を支払っているから、吾々は吾々の穀物に対しても附加的価格を支払うのが正当であると考えられている。世界の労働の一般的分配において、吾々は生産物の最大量が、その労働の吾々の分前により、製造貨物において、取得されることを妨げ来ったから、吾々は更に、粗生生産物の供給における一般的労働の生産力を減少せしめることによって、自らを所罰《しょばつ》すべきであろう、と。誤れる政策が吾々を誘って採用せしめた誤謬を認め、そして直ちに普遍的貿易の健全な原理への徐々たる復帰を開始するのが、遥かにより[#「より」に傍点]賢明であろう(註)。
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(註)『種々なる勤労生産物のすべて及びあらゆる社会の欲望に適する商品を豊富に有つ英国の如き国を、稀少の可能性から保証するには、貿易の自由が要求されるのみである。地球上の諸国民は、そのいずれが飢餓に服すべきかを決定するために骰子《さいころ》を投ずるようには命ぜられてはいない。世界には常に豊富な食物がある。不断の豊饒を享受するためには、吾々はただ、吾々の禁止や制限を撤廃し、そして神の慈悲深き智慧に逆うことを止めさえすればよい。』大英百科全書補遺、『穀物条例と貿易』の項。
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 セイ氏は曰く、『私は既に不適当にも貿易差額と呼ばれているものを論ずるに当って、もし貴金属を外国に輸出するのが何らかの他の財貨を輸出するよりも一商人の利益により[#「より」に傍点]よく合するならば、国家はその市民を通じてのみ利得しまたは損失するのであるから、彼がそれを輸出することはまた国家の利益でもあり、そして外国貿易に関する事柄においては個人の利益に最もよく合するものがまた国家の利益にも最もよく合するのであり、従って個人が貴金属を輸出したいと思うのにそれに障害を作ったとて、それはただ彼らを強いて彼ら自身及び国家にとってより[#「より」に傍点]不利な何らかの他の貨物を代用せしめることとなるに過ぎぬということを、述べる機会を得た。しかしながら、私は外国貿易に関する事柄において[#「外国貿易に関する事柄において」に傍点]言っているに過ぎないということが、注意されなければならぬ。けだし商人達が自国民との取引によって得る利潤は、植民地との排他的商業において得られるそれと同様に、国家にとっての利益では全くないからである。同一国の個人間の取引においては生産された効用の価値以外には何らの利得もない。』(註)第一巻、四〇一頁。私はここになされている内国商業の利潤と外国貿易の利潤との区別を了解し得ない。すべての商業の目的は生産物を増加することである。もし一樽の葡萄酒を購買するために、私は一〇〇日の労働の生産物の価値をもって買われる地金を輸出し得るが、しかし政府が、地金の輸出を禁止することによって、私に、一〇五日の労働の生産物の価値をもって買われる貨物をもって購買するを余儀なからしめるならば、五日の労働の生産物が私の、また私を通じて国家の、損失となるのである。しかしもしかかる取引が個人の間に同一国の異る地方において行われるならば、もし彼がそれをもって購買をなすべき貨物の選択につき全然束縛されないならば、個人、また個人を通じて国家の、両者に同一の利益が生じ、そしてもし政府により彼が最も不利益な貨物をもって購買をなすの余儀なきに至らされるならば、同一の不利益が生ずるであろう。もし製造業者が同一の資本をもって、石炭が稀少な処よりも石炭が豊富な処において、より[#「より」に傍点]多くの鉄を製し得るならば、国はその差額だけ利得するであろう。しかしもし石炭がどこにも豊富になく、そして彼が鉄を輸入し、そしてこの附加量を同一の資本及び労働をもってする貨物の製造によって取得し得るとすれば、同様に彼は鉄の附加量だけ自国を利するであろう。本書の第六章において私は、外国貿易であろうと内国商業であろうとすべての商業が有利であるのは、生産物の分量を増加せしめるからであり、生産物の価値を増加せしめるからではないということを、示さんと努めた。吾々が最も有利な内国商業及び外国貿易を営んでいようと、または禁止法によって束縛される結果として最も不利な商業をもって満足せざるを得なかろうと、吾々はより[#「より」に傍点]大なる価値を有たないであろう。利潤率と生産される価値とは同一であろう。その利益は常に、セイ氏が内国商業に限るものの如く思われる所のものと等しい。双方の場合において、生産された効用の価値ということ以外には何らの利得もないのである。
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(註)次の章句は上に引用された章句と矛盾しないであろうか?『内国取引は(それは種々なる人の手にあるから)注意を惹くことはより[#「より」に傍点]少いとはいえ、最も重要である、ということの他に、それは最も有利でもある。内国取引において交換される貨物は必然的にその同じ国の生産物である。』[#「』」は底本では欠落]第一巻、八四頁。
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『最も有利な販売は一国がそれ自身に対してなす販売であって、その理由は、それは二つの価値すなわち販売される価値とそれで購買がなされる価値とがその国民によって生産されることなくしては起り得ないからである、ということを、英国政府は観察しなかった。』第一巻、二二一頁。
 私は第二十六章においてこの意見の正当なるか否かを検討するであろう。
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    第二十三章 生産奨励金について

(一一〇)資本の利潤、土地及び労働の年々の生産物の分割、及び製造品と粗生生産物との相対価格について、私が樹立せんと努め来った諸原理の適用を観察せんがために、粗生生産物及びその他の貨物の生産[#「生産」に傍点]に対する奨励金の影響を考察することは、無益ではないであろう。第一に穀物の生産[#「生産」に傍点]に対する奨励金を与えるために政府の用うべき資本を調達する目的をもって、すべての貨物の租税が課せられたと仮定しよう。かかる租税のいかなる部分も政府によって費されないであろうし、また人民の一階級より受領されたすべては他の階級に返付されるであろうから、国民は全体としてはかかる租税と奨励金とによってより[#「より」に傍点]富みもせずより[#「より」に傍点]貧しくもならないであろう。この資金を作り出す所のすべての貨物に対する租税が、課税貨物の価格を騰貴せしむべきことは、直ちに認められるであろう。従ってかかる貨物の消費者はすべてこの資金に貢献するであろう。換言すれば、その自然価格または必要価格が高められるから、その市場価格もまた高められるであろう。しかしかかる貨物の自然価格が高められると同一の理由によって、穀物の自然価格は引下げられるであろう。生産に奨励金が支払われる以前には、農業者はその穀物に対し、その地代及び出費を償いかつ彼らに一般利潤を与えるに必要な価格を得たが、奨励金の支
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