物々交換によって行われると仮定しよう。かかる事情の下においては、穀物は他の物との交換価値において騰貴し得ようか? もし騰貴し得るならば、穀物の価値がすべての他の貨物の価値を左右するというのは真実でない。けだしそうあるためには、それらの物に対するその相対価値は変動してはならないからである。もし騰貴し得ないならば、穀物が、肥沃なまたは貧弱な土地において、多量のまたは少量の労働をもって、機械の援《たす》けをもってまたはこれなくして得られようとも、それは常に等量の他のすべての貨物と交換されるということが、主張されなければならない。
しかしながら、たとえアダム・スミスの一般的学説は私が今引用したばかりのものと一致するとはいえ、しかも彼れの著作の一箇所においては、彼は価値の性質につき正確な説明を与えているように思われることを、私は述べざるを得ない。彼は曰く、『金及び銀の価値と他のあらゆる種類の財貨のそれとの間の比例は、すべての場合において[#「すべての場合において」に白丸傍点]、一定量の金及び銀を市場に齎すに必要な労価量と[#「一定量の金及び銀を市場に齎すに必要な労価量と」に傍点]、一定量の他のあらゆる種類の財貨をそこに齎すに必要なそれとの間の比例に[#「一定量の他のあらゆる種類の財貨をそこに齎すに必要なそれとの間の比例に」に傍点]依存する[#「依存する」に白丸傍点]。』ここでは彼は、もし一種の財貨を齎すに必要な労価量にある増加が起ったのに、他方他の種類をそこへ齎すにはかかる増加が何ら起らないとすれば、第一の種類が相対価値において騰貴することを、十分に認めているではないか? もし毛織布か金かを市場に齎す以前と同一量の労働しか必要とされないならば、それらは相対価値において変動しないであろうが、しかしもし穀物及び靴を市場に齎すに必要な労働が増加するならば、穀物及び靴は、毛織布及び金で造られた貨幣に対して、その価値が騰貴しないであろうか?
(一〇七)アダム・スミスは、更に、奨励金の結果は、貨幣価値の部分的下落を惹起すにあると考えている。彼は曰く、『鉱山の肥沃度の結果であり、かつ商業世界の大部分を通じて平等にまたはほとんど平等に作用しているところの銀価の下落は、ある特定国にとっては、ほとんど問題にならない事柄である。その結果たるすべての貨幣価格の騰貴は、それを受取るところの者を真実により[#「より」に傍点]富ましめるものではないが、また彼らを真実により[#「より」に傍点]貧しからしめるものでもない。一式の器物が真実により[#「より」に傍点]低廉になり、そしてあらゆる他の物は、正確に以前と同一の真実価値を有っているのである。』この観察は最も正しい。
『しかし、一の特定国の特殊の位置かまたはその政治組織かの結果であるために、単にその国にのみ起った所の銀価の下落は、極めて重大な事柄であり、それは何人かを真実により[#「より」に傍点]富ましめる傾向を有つ所か、あらゆる者を真実により[#「より」に傍点]貧しからしめる傾向を有っている。この場合その国に特有なすべての貨物の貨幣価格の騰貴は、その国内で営まれるあらゆる種類の産業を多かれ少かれ阻害する傾向を有ち、また外国諸国民をして、ほとんどすべての財貨をそれ自身の労働者がなす余裕を有ち得るよりもより[#「より」に傍点]少量の銀に対して提供することによって、それを啻に外国市場においてのみならず内国市場においてすら下値に売り得せしめる傾向を有っている。』
私は他の場所において、農業生産物と製造貨物とに影響を及ぼすべき貨幣価値の部分的下落は、おそらく永久的たり得ないことを、示さんと企てた。貨幣が部分的に下落すると言うのは、この意味において、すべての貨幣が高い価格にあると言うことである。しかし金及び銀が自由に最も低廉な市場において購買をなす間は、それは他国のより[#「より」に傍点]低廉な財貨を得るために輸出され、そしてその分量の減少は国内におけるその価値を増加せしめるであろう。貨物はその通常の水準に復帰し外国市場に適するものは以前の如くに輸出されるであろう。
従って奨励金は思うにこの理由に基いては反対せられ得ないのである。
しからばもし奨励金が他のすべての物に比して穀物の価値を騰貴せしめないならば、奨励金を支払うという不便以外には他のいかなる不便もそれに随伴しないであろうが、この不便は私は隠蔽しようとも過少評価しようとも欲しないのである。
(一〇八)スミス博士は曰く、『穀物の輸入に対する高い関税とその輸出にに対する奨励金を設けることによって、田舎紳士は製造業の行為を模倣したように見えた。』同一の手段によって、両者はその財貨の価値を引上げようと努めた。『彼らはおそらく、自然が穀物とほとんどすべての他の財貨との間に設けた大きなかつ本質的な差異に留意しなかったであろう。上記の手段のいずれかによって、我が製造業がそれなくしてその財貨に対して取得し得たよりもややより[#「より」に傍点]高い価格で売り得た時には、啻にそれらの財貨の名目価格のみならずその真実価格も引上げられる。啻にそれらの製造業者の利潤、富及び収入が名目的に増加するのみならず真実にも増加する。――それらの製造業者は真実に奨励を受けるのである。しかし同様な施設によって、穀物の名目価格すなわち貨幣価格が引上げられる時には、その真実価格は引上げられず、我が農業者または田舎紳士の真実の富は増加せられず、穀物の栽培は奨励を受けない。事物の自然は穀物に、単にその貨幣価格を変動せしめることによっては変動せしめられ得ない一つの真実価値を刻印した。世界全体を通じて、その価値は、それが維持し得る労働量に等しいのである。』
私は既に、穀物の市場価格は、奨励金の結果需要が増加した場合には、必要な附加的供給が得られるまではその自然価格を超過し、またその時に至ればそれは再びその自然価格に下落するということを、説明せんと試みた。しかし穀物の自然価格は貨物の自然価格の如くに固定してはいない。けだし穀物に対してある大きな需要の増加があれば、一定量を生産するにより[#「より」に傍点]多くの労働が必要とされる劣等な品質の土地が耕作されなければならず、従って穀物の自然価格は騰貴するからである。従って穀物の輸出に対する継続的奨励金によって穀価の永久的騰貴の傾向が造られるであろうが、それは、私が他の場所で説明した如くに(註)、必ず地代を騰貴せしめるものである。かくて田舎紳士は、穀物輸入禁止及びその輸出に対する奨励金に、啻に一時的のみならずまた永久的の利益を有っているが、しかし製造業者は、貨物の輸入に対する高関税及びその輸出に対する奨励金を設けることに、何らの永久的な利益も有たない。彼らの利益は全然一時的である。
[#ここから2字下げ]
(註)地代についての章を参照。
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製造品の輸出に対する奨励金は疑いもなく、スミス博士の主張する如くに、製造品の市場価格を騰貴せしめるであろうが、しかしそれはその自然価格を騰貴せしめはせぬであろう。二〇〇人の労働は、一〇〇人が以前に生産し得たこれらの財貨の二倍を生産するであろう。従って、必要な資本量が必要な製造品量を供給するに用いられる時は、それは再びその自然価格にまで下落し、そして高い市場価格から生ずるすべての利益はなくなるであろう。かくて製造業者が高い利潤を得るのは、単に貨物の市場価格の騰貴後附加的供給が得られるまでの中間期間に限る。けだし価格が低落するや否やその利潤は一般水準にまで下落するであろうからである。
従って私は、田舎紳士は穀物の輸入を禁止することに、製造業者が製造財貨の輸入を禁止することに有っているほどの大きな利益を有つものではない、というスミスの意見には同意せずして、彼らは遥かに優れた利益を有つものであると主張する。けだし製造業者の利益は単に一時的に過ぎないが、彼らの利益は永久的であるからである。スミス博士は、自然は穀物とその他の財貨との間に一つの大きなかつ本質的な差異を設けたと述べているが、しかしその事情からの正当な推理は、彼がそれから引出しているものの正反対である。けだし地代が創造されかつ田舎紳士が穀物の自然価格の騰貴に利益を有つのは、この差違によるからである。スミス博士は、製造業者の利益を田舎紳士の利益と比較せずにそれをその地主の利益とは極めて異るところの農業者の利益と比較すべきであった。製造業者はその貨物の自然価格の騰貴には何らの利益をも有たず、農業者もまた穀物またはその他の粗生生産物の自然価格の騰貴に何らの利益も有たないが、もっとも両階級はその生産物の市場価格が自然価格を超過している間は利益を受けるのである。これに反して地主は穀物の自然価格の騰貴に最も決定的な利益を有っている。けだし地代の騰貴は粗生生産物の生産の困難の不可避的結果であり、それなくしてはその自然価格は騰貴し得ないからである。さて穀物の輸出に対する奨励金と輸入の禁止とは需要を増加しそして吾々をしてより[#「より」に傍点]貧弱な土地の耕作をせしめるから、それは必然的に生産の困難の増加を惹起すのである。
製造品または穀物の輸入に対する高い関税またはその輸出に対する奨励金の唯一の影響は、資本の一部分を、それを求めるのが当然ではない用途に移転せしめることである。それは社会の一般資金の有害な分配を惹起す、――それは製造業者をして比較的により[#「より」に傍点]不利な職業を開始せしめまたは継続せしめる。損失額は一般資本のより[#「より」に傍点]不利な分配によって埋合《うめあわ》されているから、それが内国から奪い去るすべてのものを外国に与えない故にそれは最悪の課税である。かくて、もし穀物が英国では四|磅《ポンド》でありフランスでは三|磅《ポンド》一五シリングであるならば、一〇シリングの奨励金は、結局、それをフランスにおいて三|磅《ポンド》一〇シリングに下落せしめ、英国において四|磅《ポンド》なる同一価格に維持するであろう。輸出される毎クヲタアに対して英国は一〇シリング租税を支払う。フランスに輸入される毎クヲタアに対してフランスは単に五シリングを利得するに過ぎず、従って一クヲタアにつき五シリングの価値が、おそらく穀物ではなく何らかの他の必要品または享楽品の生産を減少せしめる如き資金の分配によって、絶対的に世界から失われるのである。
(一〇九)ビウキャナン氏は奨励金に関するスミス博士の議論の誤謬を認めたように思われ、私が引用した最後の章句について極めて思慮深く次の如く述べている。『自然は穀物に単にその貨幣価格を変動せしめることによっては変動せしめられ得ない真実の価値を刻印したと主張する場合、スミス博士はその使用価値をその交換価値と混同している。一ブッシェルの小麦は、豊富な時よりも稀少な時の方がより[#「より」に傍点]多数の奢侈品や便宜品と交換されるであろう。従って処分すべき食物の剰余を、穀物がより[#「より」に傍点]多量にある時よりも、より[#「より」に傍点]大なる価値の他の享楽品と交換するであろう。従ってもし奨励金は穀物の強制的輸出を惹起すとしても、それはまた真実の価格騰貴を惹起すことはないであろうと論ずるのは、無益である。』奨励金の問題のこの部分についてのビウキャナン氏の議論の全体は完全に明瞭でかつ十分であるように、私には思われる。
しかしながら、ビウキャナン氏は思うに、スミス博士または『エディンバラ評論』の論者と同じく、労働の価格の騰貴が製造貨物に対して及ぼす影響について、正しい意見を有っていない。私が他の場所で述べた所の彼れの特殊な見解からして、彼は、労働の価格は穀物と何らの関聯も有たず、従って穀物の真実価値は労働の価格に影響せずに騰貴し得るしまた騰貴するであろう、と考えている。しかしもし労働が影響されるならば、彼は、アダム・スミス及び『エディンバラ評論』の論者とともに、製造貨物の価格もまた騰貴すると主張するであろう。そしてしかる時には、い
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