念を構成せしめ、そして利子の発達史は、吾々に利潤の発達史を与えるであろう。』もしある長い時期に亘って市場利子率が正確に知られ得るならば、吾々は利潤の発達を測るかなりに正確な標準を得るはずである。
 しかしすべての国において誤れる政策観念から、国家は法定率以上を得るすべての人々に荷重なかつ破滅的な罰金を課して、公平自由なる市場率に干渉を加え来った。すべての国において、これらの法律はおそらく潜《くぐ》られているであろうが、しかし記録は、この点に関してほとんど何事も教えず、利子の市場率よりもはむしろその法定率を指示している。現時の戦争の間に、大蔵省証券及び海軍省証券割引率が極めて高く、ためにしばしばその購買者に、その貨幣に対し七、八%またはそれ以上の利率を与えた。政府は公債を六%以上の利子で募り、そして個人はしばしば間接に、貨幣の利子として一〇%以上のものを支払わざるを得なかったが、しかも同じ期間中に法定率は普《あまね》く五%であったのである。かくて固定的な法定率が市場率とかくも甚しく乖離し得ることを吾々が見出す以上、正確な知識を得るためには、固定的な法定率にはほとんど頼り得ぬものである。アダム・スミスはヘンリ八世の第三七年からジェイムズ一世の第二一年に至るまで、法定利率は引続き一〇%であったと吾々に告げている。王政復古後まもなくそれは六%に、そしてアンの第一二年の法律によってそれは五%に引下げられた。彼は、法定率は市場率に追従しそれに先行しはしなかったと考えている。アメリカ戦争の以前には政府は三%で起債し、そしてこの王国の首府その他多くの地方の信用ある人々は、三・五、四、また四・五%で借入れたのである。
(一〇三)利子率は、窮極的にかつ永続的には利潤率によって支配されるとはいえ、しかも他の諸原因による一時的変動を蒙る。貨幣の分量と価値の変動ごとに貨物の価値は当然変動する。それはまた、吾々の既に証明した如くに、たとえ生産の難易の増減が起らなくとも、供給の需要に対する比例の変動によって変動する。財貨の市場価格が、供給の増加、需要の減少、または貨幣価値の騰貴によって下落する時には、製造業者は、完成貨物を極めて下落せる価格で売ることを喜ばないから、当然その異常な分量を蓄積する。彼れの通常の支払をなすためには、在来はその財貨の売却によってこの支払をなして来たのであるが、今や彼は信用借をなさんと努め、そしてしばしば騰貴せる利子率を与えざるを得なくなる。しかしこれは一時的に過ぎない。けだしこの製造業者の予期に十分な根拠があり、そしてその貨物の市場価格が騰貴するか、または彼が永続的に減少した需要しかないことを見出してもはや事物の成行に抵抗しなくなるからである。価格は下落しそして貨幣と利子は再びその真実価格を囘復するであろう。もし新しい鉱山の発見、銀行の濫用、その他の何らかの原因によって貨幣の分量が大いに増加するならば、その窮極の結果は、貨幣の増加量に比例して貨物の価格を騰貴せしめることである。しかしその間におそらく常に中間期があり、その間利子率にある影響が生み出されるであろう。
 公債の価格は、利子率を判定すべき鞏固《きょうこ》な標準ではない。戦時においては、株式市場は政府の間断なき公債を極めて多く負担するために、公債の価格は、新たな起債が行われるまでにその正当な水準に落着く暇がなく、またはそれは政治的事件の予想によって影響を蒙る。これに反して、平時においては、減債基金の作用、特定階級の人々がその資金を今まで慣れて来ており、安全と思われかつそこではその利子が最も規則的に支払われる所の職業以外のものに向け変えることについて感ずる嫌忌心が、公債の価格を引上げ、従ってかかる有価証券に対する利子率を一般市場率以下に引下げる。政府が異る有価証券に極めて異る利率を支払っていることも注意すべきである。五分利公債での一〇〇|磅《ポンド》の資本が九五|磅《ポンド》で売れている時に、一〇〇|磅《ポンド》の大蔵省証券は時に一〇〇|磅《ポンド》五シリングで売れるであろうが、この大蔵省証券に対しては、年々四|磅《ポンド》一一シリング三ペンス以上の利子は支払われないのである。かくてこれらの有価証券の一方は購買者に上記の価格で五・四分の一%以上の利子を支払い、他方は四・四分の一%をほとんど越えない利子を支払うのみである。一定量のかかる大蔵省証券を銀行業者は安全なかつ売口のよい投資物として要求する。もしそれがこの需要を遥かに越えて増発されるならば、それはおそらく五分利公債よりも常にそれに比例してより[#「より」に傍点]大なる価格で売れるであろう。けだし、そのいずれも負債元金は、額面価格、すなわち一〇〇|磅《ポンド》の公債に対する一〇〇|磅《ポンド》の貨幣以外のものでは、決して償還されないからである。市場利率は四%に下落するかもしれない。その時には政府は、もし五分利公債の所持者が四%または五%以下のある低い利率を得ることに同意しないならば、彼に額面価格で償還するであろう。市場利率が一年三%以下に下落するに至るまでは、彼らは、三分利公債の所持者にかくの如くして償還することによって何らの利益をも得ないであろう。国債の利子を支払うために多額の貨幣が一年に四囘数日間流通界から引去られる。かかる貨幣需要は単に一時的に過ぎないから、物価に影響することは稀である。それは一般に高い利子率を支払うことによって避けられるのである(註)。
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(註)セイ氏は曰く『すべての種類の公債は、資本または資本のある部分を、これを消費に向けるために生産的用途から引き去るという不便を伴う。そしてそれが、その政府が大なる信頼の念を起さしめない国[#「その政府が大なる信頼の念を起さしめない国」に傍点]において行われる時には、それは資本の利子を騰貴せしめるという新たな不便を有つことになる。七%または八%の利子を支払うのを辞さぬ借手が見出され得る時に、誰が年五%で農業や製造業や商業に貸付ける気になるであろう? 資本の利潤と呼ばれている種類の所得は、その場合、消費者の負担において騰貴するであろう。消費は生産物の価格の騰貴によって低減されるであろう。そして他の生産的勤労の需要は減少し、その受ける支払は減少するであろう。資本家達を除く全国民が、かかる事態により害を受けるであろう。』『信用の少い借手が七%または八%を与えようとする時に、誰が年五%で農業者や製造業者や商人に貸付ける気になるであろう?』という問に対しては、私は、あらゆる慎重なかつ合理的な人はその気になるであろう、と答える。貸手が異常な危険を冒す所で利子率が七%または八%であるからということは、かかる危険から確保されている場合にもそれが等しく高くなければならぬことの理由になろうか? セイ氏は利潤率は利子率に依存することを認めているが、しかしこのことから利子率が利潤率に依存するということにはならない。一方は原因であり他方は結果である。そしていかなる事情も両者をしてその位置を変えしめ得ないものである。
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    第二十二章 輸出奨励金及び輸入禁止

(一〇四)穀物の輸出奨励金は外国消費者にとりその価格を低める傾向を有っているが、しかしそれは内国市場におけるその価格に対しては何らの永続的な影響も有たないものである。
 資本の通常かつ一般的な利潤を与えるためには、穀価が英国において一クヲタアにつき四|磅《ポンド》であるべきであると仮定すれば、それは、一クヲタアにつき三|磅《ポンド》一五シリングで売られている外国には輸出され得ないであろう。しかしもしも一クヲタアにつき一〇シリングの奨励金が輸出に対し与えられるならば、それは外国市場において三|磅《ポンド》一〇シリングで売られることができ、従って、穀物栽培者は、それを外国市場で三|磅《ポンド》一〇シリングで売ろうとまたは内国市場において四|磅《ポンド》で売ろうと、同一の利潤を得るであろう。
 かくて英国穀物の価格を外国でその国の穀物生産費以下に低めるべき奨励金は、当然英国穀物に対する需要を拡張し、そして自国穀物に対する需要を減少せしめる。英国穀物に対するこの需要拡張は、一時内国市場においてその価格を高め、かつその期間中またこの奨励金が齎すべき傾向あるほどにそれが外国市場において下落することを妨げざるを得ない。しかし英国における穀物の市場価格にかくの如く作用する原因は、その自然価格またはその真実生産費には何らの影響をも及ぼさないであろう。穀物の栽培には、より[#「より」に傍点]多くの労働もまた、より[#「より」に傍点]多くの資本も必要とされず、従ってもし農業者の資本の利潤が以前には単に他の事業家の資本の利潤と等しいに過ぎなかったならば、それは価格の騰貴の後には、著しくそれ以上になるであろう。農業者の資本の利潤を騰貴せしめることにより、奨励金は農業に対する奨励として作用し、そして資本は、外国市場のための膨脹せる需要が供給されてしまうまでは、土地に用いられるために製造業から引き去られるであろうが、その時には穀価は内国市場において再びその自然価格、必要価格にまで下落し、利潤は再びその通常かつ慣習的な水準に下落するであろう。外国市場に影響を及ぼすこの穀物の供給増加は、またその輸出先の国の穀価を下落せしめ、そしてそれによって輸出業者の利潤を、彼が辛うじて取引をなし得る最低率に制限するであろう。
 しからば、穀物の輸出奨励金の窮極的結果は、内国市場における価格を騰落せしめることではなくて、外国消費者にとっての穀価を、――もし穀物の価格が以前に内国市場よりも外国市場においてより[#「より」に傍点]低くなかった場合にはこの奨励金の金額だけ――そしてもし内国市場の価格が外国市場の価格以上であった場合にはそれよりもより[#「より」に傍点]少い程度に、――下落せしめることである。
 エディンバラ評論の第五巻において穀物の輸出奨励金の問題を論じた一論者は、その外国及び内国の需要に対する影響を極めて明瞭に指摘している。彼はまた、それは輸出国における農業に刺戟を与えずにはおかないということを、正当に述べている。しかし彼はスミス博士及び思うに他の大抵の論者をこの問題に関し誤らせた共通の誤謬を鵜呑みにしているように思われる。彼は、穀物の価格は窮極的に労賃を左右するから、従ってそれはすべての他の貨物の価格を左右するであろうと想像している。彼は曰く、奨励金は、『農業の利潤を引上げることによって、耕作に対する刺戟として作用するであろう。国内の消費者達に対する穀価を騰貴せしめることによって、それはその間彼らの生活の必要品の購買力を減少し、かくて彼らの真実の富を削減するであろう。しかしながら、この最後の結果が一時的でなければならぬことは明かである。すなわち労働に従事する消費者の労賃は以前には競争によって調整されていたが、同じ原則は再び、労働の貨幣価格を、及びそれを通じて他の貨物のそれを[#「及びそれを通じて他の貨物のそれを」に傍点]、穀物の貨幣価格にまで[#「穀物の貨幣価格にまで」に傍点]騰貴せしめることによって、労賃を同一の率に調整するであろう。従って輸出奨励金は窮極的には内国市場における穀物の貨幣価格を騰貴せしめるであろう。しかしながら、それは直接的にではなく、外国市場における需要の拡張と、その結果たる内国における真実価格の騰貴という媒介を通じてである。そしてこの貨幣価格の騰貴は[#「そしてこの貨幣価格の騰貴は」に傍点]、それがひとたび他の貨物に伝播された時には[#「それがひとたび他の貨物に伝播された時には」に傍点]、もちろん固定的となるであろう[#「もちろん固定的となるであろう」に傍点]。』
 しかしながら、もし私が、貨物の価格を騰貴せしめるものは労働の貨幣労賃ではなく、かかる騰貴は常に利潤に影響を及ぼすものである、ということを説明するに成功したとすれば、貨物の価格は奨励
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