巻、四五八頁。しかり、しかしいかにしてこの附加価値はそれに与えられるか? 第一に運送費を、第二に商人によってなされた資本の前貸に対する利潤を、生産費に附加することによって。その貨物の価値がより[#「より」に傍点]多くなるのは、あらゆる他の貨物がより[#「より」に傍点]多くの価値を有つに至ると同一の理由によるのであり、すなわちそれが消費者によって購買される前により[#「より」に傍点]多くの労働がその生産及び運送に投ぜられたが故に過ぎぬ。これは商業の持つ利益の一つとして挙げらるべきではない。この問題をより[#「より」に傍点]詳細に検討する時には、商業の有つ全利益は結局、それがより[#「より」に傍点]大なる価値ある物でなくより[#「より」に傍点]有用なる物をば獲得するの手段を与えることに、帰することが、見出されるであろう。
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 長い平和の後の戦争の開始または長い戦争の後の平和の開始は、一般に貿易上に大きな困苦を惹起す。それは諸国のそれぞれの資本が以前に投ぜられていた職業の性質を大なる程度に変化せしめ、そして資本が新しい諸事情が最も有利ならしめた地位に落着きつつある期間内は、多くの固定資本は用いられず、おそらくは全然失われ、そして労働者は十分の職業を得ない。この困苦の期間は、大抵の人がその長く慣れ来った資本用途を棄てるに当って感ずる嫌気の念の強さに応じて、長くも短くもあるであろう。それはまたしばしば、商業界における諸国家の間に広く存在する不合理な嫉妬が惹起す制限や禁止によって、長引かされるのである。
(九三)貿易の激変から起る困苦は、しばしば、国民資本の減少や社会の退歩的状態に伴う所のそれと、誤られる。そして、これらのものを明確に区別するある標識を指示することは、おそらく困難であろう。
 しかしながら、かかる困苦が戦争から平和への変化に直ちに随伴する時には、吾々はかかる原因の存在を知っているから、労働の維持のための基金が大いに害されたというよりはむしろ、その平常の通路から他に転ぜしめられたのであり、そして一時的の苦痛の後には国民は再び繁栄に向うものであると信ずるのをもって、合理的なりとするであろう。退歩的状態は常に不自然な社会状態であるということもまた記憶しなければならない。人は青年から壮年になり、次いで衰え、そして死ぬ。しかしそれは国民の発達過程ではない。最大活力の状態に達した時には、そのより[#「より」に傍点]以上の進歩は実際阻止されるかもしれないが、しかしその自然的傾向は、幾時代に亘り引続きその富と人口とを減少せしめずに維持するにあるのである。
 大なる資本が機械に投ぜられている富みかつ力強い国においては、それに比して極めてより[#「より」に傍点]少い分量の固定資本と極めてより[#「より」に傍点]多い分量の流動資本が存在しており従ってより[#「より」に傍点]多くの仕事が人間の労働によってなされる所の貧しい国におけるよりも、貿易上の激変によってより[#「より」に傍点]多くの苦痛が経験されるであろう。それが投ぜられているある職業から流動資本を引去ることは、それから固定資本を引去ることほどに困難ではない。ある製造品のために作られた機械を他の製造品のために向け換えることはしばしば不可能であるが、しかし一つの職業における労働者の衣服や食物や住居は、他の職業における労働者の支持にも当てられ得、すなわち同一の労働者が、その職業は変化しても同一の食物や衣服や住居を受け得るのである。しかしながら、このことは富める国の甘受すべき一害悪であり、そしてそれに不平を云うのは、あたかも富有な商人が、その貧しい隣人の小屋はあらゆるかかる危険から免れているのに彼れの船だけは海難の危険に曝されている、ということを悲しむと同様に、不合理であろう。
(九四)農業ですら、より[#「より」に傍点]劣れる程度でではあるが、この種の事故を免れることは出来ない。諸国間の通商を中絶せしめる商業国における戦争は、しばしば、穀物が僅小の費用で生産され得る国から、かかる有利な位置にない他の国へ輸出されることを妨げる。かかる事情の下においては、異常な資本量が農業に引去られ、そして以前の輸入国が外国の援助を失うに至る。戦争の終了と共に輸入に対する障害が除去され、そして国内耕作者にとって破滅的な競争が始《はじま》り、この耕作者はこの競争から、その資本の大部分を犠牲にすることなくしては退き得ない。国家の最良の政策は、国内耕作者に漸次に彼れの資本を土地から引去る機会を与えるために、限られた年数の間、外国穀物の輸入に対して、時々減額されて行く租税を課することであろう(註)。かくの如くすれば国はその資本を最も有利に分配しているわけではなかろうが、しかしその国が蒙る一時的租税は、その資本の分配が輸入停止の際に食物の供給を得るに当り極めて役立った特定階級の利益になるであろう。もしも危急の時期におけるかかる努力が、困難の終了の際の破滅の危険を伴うならば、資本はかかる職業を忌避するであろう。資本の通常利潤の他に、農業者は、急激な穀物の流入によって蒙る危険に対して補償されることを期待するであろう。従って供給を最も必要とした季節における消費者にとっての価格は、啻に国内において穀物の栽培費の騰貴のみならず、更に資本のかかる使用が曝されている特殊の危険に対して、価格において彼が支払わなければならぬ保険料だけ高められるであろう。かくて低廉な穀物の輸入を許すことは、それが資本のいかなる犠牲を払ってなされるとも、国にとってより[#「より」に傍点]多くの富を生産することになるにもかかわらず、数年の間はそれに輸入税を課するのがおそらく望ましいであろう。
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(註)大英百科全書の補遺の最終巻の『穀物条例と貿易』なる項目中に、次のような立派な提議と考察とがある。『もし吾々がある将来の時期に吾々の歩を旧に戻そうと思うならば、我国の貧弱な土壌の耕作から資本を引去ってそれをより[#「より」に傍点]有利な職業に投ずる時を与えんがために、漸次に逓減する関税率が採用さるべきであろう。外国穀物が無税で輸入されるべき価格は、その現在の限度たる八〇シリングから年々一クヲタアにつき四シリングまたは五シリング減少し、ついにそれが五〇シリングに達せしめらるべきであろう。その時には港は安全に開かれ、制限制度は永久に廃止され得るであろう。この幸福な事件が起った時には、自然を強いる必要はもはやなくなるであろう。国の資本と企業とは、我国の自然的地位や国民性や政治的制度によって、吾々の卓越に適当する産業部門に向けられるであろう。ポウランドの穀物及びカロライナの原棉は、バアミンガムの器物及びグラスゴウのモスリンと交換されるであろう。真正なる商業精神、すなわち永久的に諸国民の繁栄を確保する精神は、独占という暗い浅薄な政策とは全然両立し得ない。地球上の諸国民は、同一王国の諸地方に類する、――自由にして束縛されざる交通が、そのいずれにおいても全般的並びに地方的な利益を齎すものである。』この全論文は極めて注目に値する。それは極めて教示に富み、上手に書かれ、そして、筆者がこの問題に完全に精通していることを示している。
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 地代の問題を検討するに当って、吾々は、穀物の供給の増加と、その結果たるその価格の下落とのあるごとに、資本がより[#「より」に傍点]貧弱な土地から引去られ、そして当該時に、何らの地代も支払わないより[#「より」に傍点]良い種類の土地が、穀物の自然価格を左右する標準になるということを、見出した。一クヲタアにつき四|磅《ポンド》ならば、より[#「より」に傍点]劣等な質の土地――第六等地と名附けよう――が耕作されるであろう。三|磅《ポンド》一〇シリングならば第五等地、三|磅《ポンド》ならば第四等地が耕作され、以下これに準ずる。もし穀物が、永久的豊富の結果として、三|磅《ポンド》一〇シリングに下落するならば、第六等地に投ぜられた資本は、投ぜられなくなるであろう。けだし、たとえ地代を支払わなくとも、それが一般利潤を取得し得るのは、穀物が四|磅《ポンド》の時に限られるからである。従って資本は引去られ、それをもって、第六等地で栽培された穀物総量が購買され輸入されるべき貨物の製造に向けられるであろう。その資本はかかる用途において、その所有者に必然的により[#「より」に傍点]生産的であろう。しからざればそれは他の用途から引去られないであろう。けだし、もし彼が、その製造した貨物をもって穀物を購買することにより、彼が何らの地代を支払わない土地から得た以上の穀物を取得し得ないならば、その価格は四|磅《ポンド》以下にはなり得ないからである。
 しかしながら、資本は土地から引去られ得ず、それは土地から必然的に分離し得ない施肥、囲墻、灌漑等の如き、囘収し得ない支出形態をとっている、と云われ来っている。これは、ある程度において真実である。しかし牛、羊、乾草及び穀物の禾堆《いなむら》、荷車等から成る資本は引去られ得る。そして、穀価の低廉なるにもかかわらずこれらの物が引続き土地に使用さるべきか、またはこれらの物が売却されてその価値がある他の職業に移さるべきかは、常に計算上の問題となるのである。
 しかしながら、事実は上述の如くであり、いかなる資本部分も引去られ得ないと仮定しよう(註)。農業者は引続き穀物を生産し、しかもいかなる価格でそれが売れようともまさに同一分量を生産するであろう。けだし、より[#「より」に傍点]少く生産することは彼れの利益で有り得ず、またもしその資本をかくの如く用いないならば、彼はそれから全く報酬を取得しないからである。穀物は輸入され得ないであろう、けだし彼はそれを全然売らないよりもむしろそれを三|磅《ポンド》一〇シリング以下で売ろうと思うであろうし、しかも仮定によれば、輸入業者はこの価格以下でそれを売り得ないからである。かくしてこの質の土地を耕した農業者は疑いもなく彼らの生産する貨物の交換価値の下落によって損害を受けるとはいえ、――この国はそれによりいかにして影響されるであろうか? 吾々はあらゆる貨物の同一量を有っているはずであるが、しかし粗生生産物と穀物とは極めてより[#「より」に傍点]低廉な価格で売れるであろう。一国の資本はその国の貨物から成り、そしてこれらのものは以前と同一であろうから、再生産は同一の速度で進むであろう。しかしながら、この穀価の低廉は、当該時に何らの地代も支払っていない第五等地に、単に資本の通常利潤を与えるに過ぎず、そしてすべてのそれ以上の土地の地代は下落するであろう。労賃もまた下落し、そして利潤は騰貴するであろう。
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(註)土地に固定されるに至った資本はいかなるものも、借地期限の満了の時には必然的に地主のものでなければならず借地人のものではない。地主がその土地を再び賃貸する際にこの資本に対して受ける所の報償はいかなるものも、地代の形において現われるであろう。しかし、もし一定の資本をもって、国内でこの土地で作られる以上の穀物が外国から取得され得るならば、いかなる地代も支払われないであろう。もし社会の事情が穀物の輸入を必要とし、そして一定の資本を用いて一、〇〇〇クヲタアが取得され得、かつまた同一額の資本を用いてこの土地が一、一〇〇クヲタアを産出するならば、一〇〇クヲタアは必然的に地代となるであろう。しかしもし一、二〇〇クヲタアが外国から得られるならば、この土地は廃耕されるであろう。けだしその場合にはそれは一般利潤率すら産出しないからである。しかし、土地に投ぜられた資本がいかに大であっても、このことは何らの不利益でもない。かかる資本は生産物を増大せしめる目的で費されたのである、――それが終局の目的であることを忘れてはならない。しからばその資本の半分の価値において下落しようとまたはたとえ皆無になろうと、それが
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