支払い、または全然地代を支払わない農業者は、少額の租税を支払うべきであり、または全然租税を支払わざるべきである。もしこれが事実であるならば、救貧税は、それが農業階級によって支払われる限り、全然地主の負担する所となり、そして粗生生産物の消費者には転嫁され得ないであろう。しかし私はそれは事実ではないと信ずる。救貧税は農業者が実際彼れの地主に支払う地代に従っては賦課されはしない。それは彼れの土地の年々の価値に比例せしめられるが、その年々の価値が地主の資本によって土地に与えられようと、あるいは借地人の資本によって与えられようと、それは問う所ではないのである。
 もし二人の農業者が同一の教区において二つの異質の土地を賃借し、その一方は五〇エーカアの最も肥沃な土地に対し年々一〇〇|磅《ポンド》の地代を支払い、そして他方は一〇〇エーカアの最も肥沃度の小なる土地に対して同一額の一〇〇|磅《ポンド》を支払うならば、そのいずれもが土地の改良を企てなかった場合には、彼らは同一額の救貧税を支払うであろう。しかし、もし貧弱な土地の農業者が、極めて長期の借地契約を利用して、大なる費用をもって、施肥、灌漑、囲墻《かこい》等によって、彼れの土地の生産力を増進せしめる気になるならば、彼は、地主に支払われる実際の地代に比例してではなく、土地の実際の年々の価値に比例して、救貧税を納入するであろう。租税は地代に等しくもあろうし、またそれを超過しもしよう。しかしそれが事実そうであろうとなかろうと、租税のいかなる部分も地主によっては支払われないであろう。それはあらかじめ借地人によって計算されていたことであろう。そしてもし生産物の価格が、彼れのすべての費用、並びに救貧税に対するこの附加的出資を、彼に償うに足りないならば、彼れの改良はなされなかったことであろう。しからば、租税はこの場合には、消費者によって支払われることは、明かである。けだしもし何らの租税もなかったとしても、同一の改良がなされ、そして穀価がより[#「より」に傍点]低くとも、通常かつ一般利潤が使用資本に対し取得されたであろうからである。
 もし地主が自身でかかる改良をなし、その結果として彼れの地代を一〇〇|磅《ポンド》から五〇〇|磅《ポンド》に引上げたとしても、それはこの問題には全然相違を起さないであろう。租税は等しく消費者に課せられるであろう。けだし地主が彼れの土地に多額の貨幣を投ずるか否かは、彼が土地に対する報償として受取る地代または地代と呼ばれるものに依存し、そしてこれは更に、穀物またはその他の粗生生産物の価格が、啻にこの附加的地代のみならず更にこの土地に課せられる租税に堪えるに足るほど高いということに、依存するであろうからである。もし同時にすべての製造業資本が、農業者または地主が土地改良のために投ずる資本と同一の比例で、救貧税に貢献するならば、それはもはや農業者または地主の資本の利潤に対する偏頗な租税ではなく、あらゆる生産者の資本に対する租税となるであろう。従ってそれはもはや粗生生産物の消費者にも地主にも転嫁され得ないであろう。農業者の利潤は、製造業者のそれ以上には、租税の影響を感じないであろう。そして前者は、後者と同様に、それを彼れの貨物の価格騰貴に対する理由として抗弁し得ないであろう。資本がある特定の職業に用いられるのを妨げるものは、利潤の絶対的下落ではなく相対的下落である。すなわち資本を一つの職業から他のそれに移動させるものは利潤の差違である。
 しかしながら、救貧税の実状において、彼らの各々の利潤に比例して製造業者よりも遥かにより[#「より」に傍点]多額が農業者の負担する所となっており、農業者は彼が取得する実際の生産物に従って課税されるが、製造業者は、彼れの使用する機械や労働や資本の価値は顧慮する所なく、単にその中で彼が仕事をする建物の価値に従って課税されるに過ぎぬことが、認められなければならない。かかる事情からして、農業者はその生産物の価格をこの全差額だけ引上げ得るということになる。けだし、この租税は不平等にかつ特に彼れの利潤の負担する所となるから、粗生生産物の価格が引上げられぬ場合には、彼は、その資本をある他の職業に使用するよりもそれを土地に充用しようという動機が、減少するであろうからである。もし反対に、租税が農業者よりも製造業者のより[#「より」に傍点]重く負担する所となっていたならば、製造業者は、同一の事情の下において農業者が粗生生産物の価格を引上げ得たと同一の理由で、この差額だけ彼れの財貨の価格を引上げ得たであろう。従って、その農業を拡張しつつある社会においては、救貧税が特に重く土地の負担する所となっている時には、それは一部分は資本の利潤の減少という形において資本の使用者により、そして一部分は粗生生産物の価格騰貴の形においてその消費者によって、支払われるであろう。かかる事態においては、この租税は、ある事情の下において、地主達にとって有害であるよりもむしろ有利でさえあり得よう。けだしもし最劣等の土地の耕作者によって支払われる租税が、より[#「より」に傍点]肥沃な土地の耕作者によって支払われるそれよりも、取得される生産物の分量との比例においてより[#「より」に傍点]高いならば、すべての穀物に及ぶ穀価の騰貴は、後者にこの租税を償って余りあるであろうからである。この利益はその借地契約の継続期間中は彼らに続くであろうが、その後はその地主に移転されるであろう。これは進歩しつつある社会における救貧税の結果であろう。しかし静止的または退歩的な国においては、資本が土地から引去られ得ない限り、もし更に税金が貧民の支持のために賦課せられるならば、農業の負担する所となるその部分は、現在の借地期間中は農業者によって支払われるであろうが、しかしかかる借地契約の満了した時には、それはほとんど全く地主の負担する所となるであろう。以前の借地契約の継続期間中に、その土地の改良にその資本を支出した農業者は、もしその土地が依然彼れの手中にあるならば、土地がその改良によって得た新たな価値に応じてこの新租税を課せられ、そして彼れの利潤がそのために一般水準以下に低下しても、彼はその借地期間中この金額を支払わざるを得ないであろう。けだし彼が支出した資本は、到底それから引去られ得ない程度に合体していることが有り得るからである。実際、もし彼または彼れの地主(もし資本が彼によって支出されていたならば)がこの資本を引去ることが出来、かつそれによってこの土地の年々の価値を低減せしめることが出来るならば、この税はそれに比例して下落し、そして生産物は同時に減少するから、その価格は騰貴するであろう。彼はこの租税を消費者に課することによってその補償を得、従っていかなる部分も地代の負担する所とはならないであろう。しかしこれは少くとも、資本のある部分については不可能であり、従って、租税は、その比例において、農業者の借地期間中は彼らによって、またその満了後は地主によって、支払われるであろう。この附加的租税は、もしそれが特に荷重に製造業者の負担する所となるならば、――事実はそうなることはないが、――かかる事情の下においては、彼らの財貨の価格に附加されるであろう。けだし彼らの資本が容易に農業に移転され得る時に、彼らの利潤が一般利潤以下に低減されるべき理由はあり得ぬからである(註)。
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(註)本書の前の部分において私は、正当に地代と呼ばるべき地代と、地主の資本がその借地人に与えた利潤に対して地代という名前で地主に支払われる報酬との間の、差異に注意した。しかし私はおそらく、この資本の適用される方法の異ることから生ずる差異を十分明かにしなかった。資本の一部分は、ひとたび農場の改良に費される時には、土地と不可分離に融合され、その生産力を増加せしめる傾向を有つから、その使用に対して地主に支払われる報酬は、厳密には地代の性質を有ち、地代に関するあらゆる法則に服するものである。それが地主の費用でなされようとまたは借地人の費用でなされようと、この改良は、第一に報酬がある他の等しい額の資本の投下によって挙げ得べき利潤と少くとも相等しいという強い蓋然性がない限り、企てられないであろう。しかしひとたび改良がなされた時には、取得された報酬はその後は常に全く地代の性質を有つに至り、かつ地代のあらゆる変動を蒙るであろう。しかしながらこれらの費用のあるものは、単に限られた期間だけ土地に利益を与えるに過ぎず、永久的にその生産力を増加せしめることはない。すなわち建物及びその他の消耗的な改良に投ぜられるならばそれは絶えず更新される必要があり、従って地主のためにその真実地代に対する何らの永続的附加をも獲得しないのである。
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    第十九章 貿易路の急変について

(九二)大製造業国は、特に、資本が一つの職業から他の職業へと移転するために生ずる一時的の災難や事故に曝されている。農業生産物に対する需要は均一であり、それは流行や偏見や気紛れの影響を蒙らない。生命を維持するためには食物が必要であり、そして食物に対する需要はすべての時代、すべての国において継続しなければならない。製造品についてはこれと異る。ある特定の製造貨物に対する需要は、啻に購買者の欲望に支配されるのみならず、更に嗜好や気紛れにも支配される。新租税もまた、一国が特定貨物の製造において有っていた比較的な得点を破壊するかもしれず、または戦争の結果その運送上の船賃及び保険料が騰貴したために、それはもはや以前にそれが輸出された国の国産品と競争し得なくなるかもしれない。あらゆるかかる場合においては、著しき困苦とそして疑いもなくある損害を、かかる貨物の製造に従事する人々は経験するであろう。そしてこれは、啻にかかる変化の時においてのみならず、更に彼らが支配し得る資本及び労働を一つの職業から他の職業に移しつつある期間全体に亙って感ぜられるであろう。
 かかる諸困難が発生したのみならず、更にその貨物が以前に輸出された国々においても、困苦は経験されるであろう。いかなる国も、輸出しない限り長く輸入することは出来ず、またいかなる国も輸入しない限り長く輸出することは出来ない。しからば、もしある国をして、外国貨物の平常量を輸入することを、永久的に妨げるある事情が起るならば、それは必然に平常輸出されていた貨物中の、あるものの製造を減少せしめるであろう。そして、同一額の資本が用いられていようから、その国の生産物の総価値はおそらくほとんど変動しないであろうとはいえ、しかもそれは同様に、豊富でかつ低廉ではないであろうし、また職業の変動によって著しい苦痛が経験されるであろう。もし一〇、〇〇〇|磅《ポンド》を、輸出向綿製品の製造に用いることによって、年々、吾々が二、〇〇〇|磅《ポンド》の価値ある絹靴下三、〇〇〇足を輸入するとし、そして外国貿易の中絶のために、吾々がこの資本を綿製品の製造から引去り、それを吾々自身靴下の製造に用いるを、余儀なくされたとしても、資本のいかなる部分も破壊されない限り、吾々は依然二、〇〇〇|磅《ポンド》の価値を有つ靴下を取得するはずである。ただし吾々は三、〇〇〇足ではなく、単に二、五〇〇足を得るに過ぎぬであろう。資本を綿工業から靴下業に移転するに当って多くの困苦が経験されるかもしれない。しかし、たとえそれが吾々の年々の生産物の分量を、減少することがあるとしても、国民財産の価値を著しく害することはないであろう(註)。
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(註)『商業は吾々をして、一貨物を、それが見出さるべき場所において取得し、それが消費せらるべき他の場所にそれを運送することを、得せしめる。従って、それは吾々に、その貨物の価値を、これらの場所の第一におけるその価格と第二におけるその価格との間の全差額だけ、増加する力を与えるものである。』セイ氏、第二
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