w』第三篇、第八章、二九八頁。
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スミス博士は、労働階級は国家の負担に対し大なる寄与をなし得ない、とどこまでも主張しているが、それは思うに正当な主張である。従って必要品または労賃に対する租税は、貧民から富者に転嫁されるであろう。しからばもしスミス博士の意味が、単に、この目的すなわち貧民から富者への租税の転嫁を成就するために、『ある租税はある財貨の価格の中に時に四囘も五囘も繰返されかつ累積される』というのであるならば、かかる租税はその故をもって非難してはならないはずである。
一人の富める消費者の正当な租税の分担額が一〇〇|磅《ポンド》であり、かつ彼はそれを直接支払うものと仮定するならば、もし租税が所得や葡萄酒やまたはその他のある奢侈品に課せられるとすれば、彼は、必要品の課税によって、彼自身の及び彼れの家族の必要品の消費が関する限りにおいて、二五|磅《ポンド》の支払を求められるに過ぎないならば、何らの損害をも蒙らないであろう。しかし労働者またはその雇傭者に、彼らが前払することを求められた租税を償うために、他の貨物に対して附加的価格を支払うことによって、この租税を三度繰返すことを求められるであろう。この場合においてすら、この推理は首尾一貫しない。けだし政府の求める以上のものが支払われないならば、富める消費者が一つの奢侈品に対して騰貴せる価格を支払うことによって直接にこの租税を支払おうと、または彼が消費する必要品その他の貨物に対して騰貴せる価格を支払うことによって間接にそれを支払おうと、それは彼にとってどれだけの重要なことであり得ようか? もし政府の受取る以上のものが人民によって支払われないならば、富める消費者は単に彼れの公正なる分前を支払うに過ぎないであろう。もしそれ以上のものが支払われるならば、アダム・スミスはそれを誰が取るかを説明すべきであった。しかし彼れの全議論は誤謬に基いている。けだし貨物の価格はかかる租税によって騰貴せしめられないからである。
セイ氏は、私が彼れの好著より引用した明白な原則を首尾一貫して固執しているとは、私には思われない。けだし彼はその次の頁において、課税を論じて次の如く言っているからである、すなわち、『もしそれが過度に失する時には、それはこの悲しむべき結果を齎し、国家を富ましめることなくして納税者からその富の一部分を奪う。もし吾々が、各人の消費力は、それが生産的なると否とを問わず、その所得によって制限されていることを考えるならば、これは吾々の理解し得ることである。しからば彼がその所得の一部分を奪われる時には、彼は必ずそれに比例してその消費を減少せざるを得ない。このことからして、彼がもはや消費せぬ財貨、特に租税が賦課せられている財貨に対する、需要の減少が起る。この需要の減少から生産の減少従って課税し得る貨物の減少という結果が起る。しからば、納税者はその享楽品の一部分を、生産者はその利潤の一部分を、そして国庫はその収入の一部分を、失うであろう。』(編者註)
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(編者註)経済学、同上、三〇〇頁。
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セイ氏は、革命前のフランスにおける塩税の例を引いているが、それは、彼の言う所によれば、塩の生産を二分の一だけ減少せしめた。しかしながらより[#「より」に傍点]少い塩が消費された場合には、より[#「より」に傍点]少い資本がそれを生産するに用いられたのである。従ってたとえ生産者は塩の生産に対してはより[#「より」に傍点]少い利潤を得たとはいえ、彼は他の物の生産に対してはより[#「より」に傍点]多くを得たであろう。もし一租税がいかに重かろうと、それが収入の負担する所となり、資本の負担する所とならないならば、それは需要を減少せしめず、単にその性質を変更するに過ぎない。それは政府をして、納税者が以前に消費していたと同じだけの、国の土地と労働の生産物とを消費し得せしめるものであって、それを過重に課することなくとも十分に大なる害悪である。もし私の所得が年々一、〇〇〇|磅《ポンド》であり、そして租税として年々一〇〇|磅《ポンド》を求められるならば、私は、以前に消費した財貨の分量の単に十分の九を需要し得るに過ぎぬけれども、しかし私は残りの十分の一を政府をして需要し得せしめる。もし課税された貨物が穀物であるならば、必ずしも穀物に対する私の需要が減少する必要はない、けだし私はむしろ穀物に対して年々一〇〇|磅《ポンド》をより[#「より」に傍点]多く支払い、そして葡萄酒や家具やその他の奢侈品に対する需要を同額だけ削減することを、選ぶであろうから(註)。従って、葡萄酒製造業または家具製造業に用いられる資本は減少するであろうが、しかし政府の課した租税がそれに費される貨物の製造に用いられる資本は増加するであろう。
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(註)セイ氏は曰く、『貨物の価格に附加される租税はその価格を騰貴せしめる。貨物の価格が騰貴するごとに、必然的に、それを騰貴し得る者の数、または少くとも彼らの消費する量は減少される。』これは決して必然的ではない。私は、もしパンが課税されても、パンの消費は、毛織布、葡萄酒または石鹸が課税された場合以上には、減少するであろうとは信じない。
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セイ氏は、チュルゴオ氏が、パリにおいて、魚類に対する市場税(〔les droits d'entre'e et de halle sur la mare'e〕)を二分の一減ずることによって、その実収高を減少せしめなかったし、従って魚類の消費は倍加したに相違ない、と云っている。彼は、このことから推して、漁撈者及びこの職業に従事する者の利潤もまた倍加したに相違なく、かつ国の所得は、利潤の増加の全額だけ増加したに相違なく、また蓄積に刺戟を与えることによって、それは国家の富源を増加せしめたに相違ない、と云っている(註)。
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(註)同じ著者の次の語は同様に誤謬であると私には思われる。『木綿に高い税が課せられるならば、木綿を基礎とするすべての財貨の生産は減少する。もしある特定の国において、木綿の種々なる製造業においてそれに加えられる総価値が一年一〇、〇〇〇万フランに上り、そして租税の結果が消費を二分の一に減少せしめるにあるとするならば、この税は、政府が受取る額に加うるに、年々五、〇〇〇万フランを、その国から奪うであろう。』(編者註、経済学、第二巻、三一四頁)
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この租税の改正を命じた政策はこれを問題外とし、私はそれが蓄積に大なる刺戟を与えたか否かについて、疑いを有っている。もし漁撈者及び漁撈に従事する他の者の利潤が、魚類の消費が増加した結果倍加するならば、資本及び労働は、この特定の職業に用いられるために他の職業から引き去られたに相違ない。しかしかかる職業において資本及び労働は利潤を生み出していたのであるから、この利潤はそれが引き去られた時に抛棄されたに相違ない。この国の蓄積能力は、単に資本が新たに用いられた職業において取得される利潤と、資本が引き去られた職業において取得される利潤との差額だけ、増加したに過ぎないのである。
収入から徴収されようとまたは資本から徴収されようと、租税は国家の課税し得る貨物を減少せしめる。もし私が一〇〇|磅《ポンド》の租税を支払うことによって、私自身でそれを費さずに、政府をしてこの額を費し得せしめたために、一〇〇|磅《ポンド》を葡萄酒に費すことを止めるなら、一〇〇|磅《ポンド》に値する財貨は必然的に課税し得る貨物の表の中から除かれる。もし一国の個人の収入が一、〇〇〇万であるならば、彼らは少くとも一、〇〇〇万に値する課税し得る貨物を有するであろう。もしその中のあるものに課税することによって、一百万が政府の処分の下に移されても、彼らの収入は名目上は依然一、〇〇〇万であろうが、しかし彼らは単に九百万に値する課税し得る貨物を有つに過ぎないであろう。いかなる事情の下においても、課税は、租税を窮極的に負担する者の享楽を奪わぬという場合はなく、また新たなる収入の蓄積以外に、それらの享楽を再び拡張し得る手段はないのである。
課税が平等に適用され、その結果すべての貨物の価値に同一の比例において作用し、しかもそれらの物を同一の相対価値に保持せしめるということは、あり得ない。それは、しばしば、その間接的結果のために、立法者の意図とははなはだ異る作用をする。吾々は既に、穀物及び粗生生産物に対する直接税の結果は、もし貨幣もまたその国内で生産されるのであるならば、粗生生産物がその構成に参加するに比例してすべての貨物の価格を騰貴せしめ、かつそれによってこれらの物の間に以前に存在した自然的関係を破壊するにあることを、知った。もう一つの結果は、それが労賃を騰貴せしめ利潤率を下落せしめることである。吾々はまた本書の他の部分において、労賃の騰貴と潤利の下落は、より[#「より」に傍点]大なる程度において固定資本を用いて生産される貨物の貨幣価格を下落せしめるという結果を有つことを知ったのである。
(八五)一貨物が課税される時はそれはもはやそれほど有利に輸出され得ないということは、十分に理解されているから、しばしば戻税《もどしぜい》がその輸出に対して与えられ、また関税がその輸入に対して課せられる。もしかかる戻税及び関税が啻にかかる貨物そのものに対してのみならず、更にそれが間接に影響を与え得るすべてのものに対して、正確に課せられるならば、貴金属の価値には何らの変動も起らないであろう。吾々は、一貨物を、課税後も以前と同様に容易に輸出することが出来、また輸入に何らの特殊の便宜も与えられないから、貴金属が以前よりもより[#「より」に傍点]以上に輸出貨物表に入り込むことはないであろう。
すべての貨物の中、自然または技術の援助によって、特殊の便宜をもって生産されるものほど、課税に適当するものはおそらくないであろう。諸外国についていえば、かかる貨物は、その価格が投下労働量によって左右されずに、むしろ購買者の気紛れ、趣味、及び資力によって左右されるものの、種目の下に分類され得よう。もし英国が他国よりもより[#「より」に傍点]生産的な錫鉱を有ち、または優秀な機械及び燃料のため、綿製品の製造の特殊の便宜を有つとしても、錫及び綿製品の価格は、英国において、依然としてそれを生産するに必要な労働及び資本の比較的分量によって左右され、そして我国の商人の競争は、外国消費者に対してそれをほとんどより[#「より」に傍点]高価にしないであろう。これらの貨物の生産上での我国の利益は極めて決定的であるから、おそらくそれらの物は外国市場において、その消費を著しく減少せしめずに極めて著しい附加価値を有つであろう。これらの物は、国内において競争が自由である間は、その輸出に対する租税以外のいかなる他の手段によってもこの価格に達することを得ないであろう。この租税は全然外国の消費者の負担する所となり、そして英国政府の経費の一部分は、他国の土地及び労働に対する租税によって支弁されるであろう。現在英国民によって支払われ、そして英国政府の経費の補助に寄与している茶税は、もしそれが支那において茶の輸出に対して課せられるならば、支那政府の経費の支払に流用され得よう。
奢侈品に対する租税は、必要品に対する租税に比してある利益を有っている。それは一般に所得から支払われ、従って国の生産的資本を減少しない。もし葡萄酒が課税の結果として価格が大いに騰貴するならば、おそらくそれを購買し得るためにその資本に対し重大な侵害を加えるよりも、むしろ葡萄酒の飲用を止めるであろう。それは極めて価格と一致しているから、納税者は租税を支払っていることをほとんど自覚しない。しかしそれはその短所を有っている。第一にそれは決して資本には及ぼされ得ない、しかも若干の異常の場合には、資本さえも公共の緊急
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