iに存する。そして共通の貯財からの労働者への給与は常にその供給に比例するであろう』からである。
(八一)労働の労賃に対する租税は労働の価格を騰貴せしめるか否かという第二の点に関して、ビウキャナン氏は曰く、『労働者が彼れの労働の正当な報償を受取った後に、彼が後に租税に支払わねばならぬものを、いかにして彼はその傭主《やといぬし》に求償し得ようか? かかる結論の正当なることを保証する法則または原則は世上にはない。労働者が彼れの労賃を受取った後は、それは彼自身の保有する所でありそして彼は出来る限り彼がその後に蒙るかもしれぬいかなる徴収の負担をも担わなければならない。けだし彼は、既に彼にその仕事の正常な価格を支払った者にその補償をなさしめる何らの方法をも有たないからである。』(編者註一)ビウキャナン氏は、大いに賞讃して人口に関するマルサス氏の著作から次の如き有能な章句を引用しているが、それは私には、完全に彼れの反対論に答うる所あるものと思われる。『労働の価格は、その自然的水準を見出すに委ねられている時には、食料品の供給とそれに対する需要との間の、消費せられるべき分量と消費者数との間の、関係を示す所の、極めて重要な政治的晴雨計である。そして、偶発的事情を別として平均をとるならば、それは更に、人口に関し社会の欲求する所を明瞭に示すものである。換言すれば、現在の人口を正確に維持するためには、一結婚に対し幾何の子供が必要であろうと、労働の価格は、労働維持のための真実の財本の状態が静止的であるか、進歩的であるか、または退歩的であるかに従って、この数をちょうど維持するに足るか、またはそれ以上であるか、またはそれ以下であろう。しかしながらそれをかかる見解において考えることなく、吾々は、それをもって吾々が恣《ほしいまま》に引上げまたは引下げ得るもの、主として国王の治安判事に依存するものと、考えている。食料品の価格騰貴が供給に対して需要が余りに大なることを示している時に、労働者を以前と同一の境遇に置かんがために吾々は労働の価格を引上げる、換言すれば吾々は需要を増加する、そしてしかる後食料品の価格が引続き騰貴するのに大いに驚く。この場合に吾々の行為は、普通の晴雨計の水銀が暴風雨[#「暴風雨」に傍点]になっている時に、ある強制的圧力によってそれを快晴に引上げ、そしてしかる後に引続き降雨が続くのに大いに驚いているのと、極めて類似しているのである。』(編者註二)
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(編者註一)同上、第三巻、三三八頁、註。
(編者註二)『人口論』第二巻、第三篇、第五章、一六五、一六六頁、(第三版)。
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『労働の価格は人口に関し社会の欲求する所を明瞭に示すであろう、』それは、当該時に労働者の維持のための財本の状態が必要とする人口を支持するにちょうど足るであろう。もし労働者の労賃が以前にこの必要な人口を供給するに足るのみであったならば、それは課税後には、彼はその家族に対し費すべき同一の財本を有たないであろうから、その供給に不適当になるであろう。従って労働は、需要が継続するから、騰貴するであろうし、そして供給が妨げられないのは、価格の騰貴によってのみである。
帽子または麦芽が課税された時に騰貴するのを見るほど普通なことはない。それが、それが騰貴しなければ必要な供給が与えられないから、騰貴するのである。労賃が課税された時には労働についても同様であり、その価格はそれが騰貴しなければ必要な人口が維持されないから、騰貴するのである。ビウキャナン氏は、彼が次の如く言う時には、ここに主張されているすべてを認めているのではないか? 『もしも彼(労働者)が実際にわずかに単なる必要品を得るに過ぎぬまで落魄するならば、彼はその労賃をより[#「より」に傍点]以上減額されないであろう、けだし彼はかかる境遇においてはその種を継続し得ないであろうからである。』(編者註)国の事情によって、最低の労働者が、啻にその種の継続のみならず更にその増加が求められている、と仮定すれば、彼らの労賃はそれに従って左右されるであろう。もし租税が彼らからその労賃の一部を取去り、そして彼らを単なる必要品を得るに過ぎぬまでに落魄せしめるならば、彼らは必要とされる程度において増殖し得ようか?
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(編者註)ビウキャナン版、第三巻、三三八頁、註。
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課税貨物は、もしそれに対する需要が減少し、かつもし分量が低減せられ得ないならば、租税に比例して騰貴しないことは、疑いもなく真実である。もし金属貨幣が一般に使用されているならば、その価値はかなりの間、租税によって、租税の額に比例して、騰貴せしめられはしないであろう。けだしより[#「より」に傍点]高い価格においては、需要は減少せしめられ、その分量は減少せしめられないであろうからである。そして疑いもなく同一の原因はしばしば労働の労賃に影響する。労働者数は、彼らを雇傭すべき基金の増加または減少に比例して、急に増加または減少せしめられ得ない。しかし仮定された場合においては、労働に対する需要の必然的減少はなく、もし減少したとしても需要は租税に比例して減少しない。ビウキャナン氏は、租税によって徴収された基金は、労働者――もちろん不生産的労働者ではあるがしかもなお労働者である――の維持に政府によって用いられることを忘れているのである。もし労賃が課税されている時に労働が騰貴しないならば、労働に対する競争は著しく増加するであろう、けだしかかる租税に対しては何ものをも支払う必要のない資本所有者は、労働を雇傭するための同一基金を有っているのに、他方に租税を受取る政府は、同一の目的のための附加的基金を得るであろうからである。かくて政府と人民とは競争者となり、そして彼らの競争の結果は、労働の価格の騰貴である。単に同一数の人間が雇傭されるであろうが、しかし彼らは騰貴した労賃で雇傭されるであろう。
もし租税が直ちに資本家に賦課されていたならば、その労働の維持のための基金は、その目的のための政府の基金が増加したとまさに同一の程度において減少したであろう。従って労賃には騰貴はなかったであろう。けだしたとえ同一の需要があるとしても、同一の競争がないからである。もし租税が賦課せられた時に、政府が直ちにそれによる徴収高を補助金として外国に輸出するならば、従ってまたもしかかる基金が、例えば陸海軍人、等々の如き、英蘭《イングランド》労働者ではなく外国の労働者の維持に向けられるならば、実に労賃は課税されても、労働に対する需要は減少し、そして労賃は騰貴し得ないであろう。しかし、租税が消費貨物や資本の利潤に課せられ、またある他の方法で同一額がこの補助金を供給するために徴収される場合には、同一のことが起り、すなわちより[#「より」に傍点]少い労働しか国内で雇傭され得ないであろう。一方の場合においては労賃の騰貴は妨げられ、他方の場合においてはそれは絶対的に下落しなければならない。しかし労賃に対する租税の額が労働者から徴収された後に、彼らの雇傭者達に無償で支払われると仮定するならば、それは彼らの労働の維持のための貨幣基金を増加するであろうが、しかしそれは貨物も労働も増加せしめないであろう。従ってそれは労働の雇傭者の間の競争を増加せしめ、そしてこの租税は結局雇主にも労働者にも損失を齎さないであろう。主人は騰貴せる労働の価格を支払い、労働者の受取る附加的分量は政府に租税として支払われ、そして再び雇主達に返されるであろう。しかしながら、租税の徴収高は一般に浪費され、それは常に人民の慰楽と享楽とを犠牲として取得され、そして普通に、資本を減少せしめるかその蓄積を妨害するものであることを、忘れてはならない。資本を減少せしめることによって、それは労働の維持に当てられた真実の基金を減少し、従ってそれに対する真実の需要を減少せしめる傾向を有つ。かくて租税は一般には、それが国の真実の資本を害する限りにおいて、労働に対する需要を減少せしめ、従って、労賃は騰貴しても、それはこの租税に正確に等しい額だけ騰貴しないということは、労賃に対する租税の蓋然的な結果であるが、必然的なまたは特有な結果ではないのである。
(八二)アダム・スミスは、吾々の見た如くに、労賃に対する租税の結果は、少くとも租税に等しい額だけ労賃を騰貴せしめるにあり、そして直接的ではないとしても終局的には労働の雇傭者によって支払われるであろう、ということを十分に認めていた。その限りでは吾々は完全に同意する。しかし、かかる租税のそれ以後の作用については、吾々はその見解を本質的に異にするのである。
アダム・スミスは曰く、『労働の労賃に対する直接税は、たとえ労働者はおそらくそれを彼れの手から支払うかもしれぬとはいえ、彼によって前払されるとさえ言うことは、正当ではあり得ぬであろう。少くとももし労働に対する需要と食料品の平均価格とが課税後もその以前と同一であるならば、あらゆるかかる場合においては、啻にこの租税のみならずまた租税以上のあるものが、彼を直接に使用する者によって実際前払されるであろう。この最終的支払は、場合の異なるにつれ異なる人々の負担する所となるであろう。かかる租税の齎すべき製造業労働の労賃の騰貴は、親方製造業者によって前払されるであろうが、彼らはそれを利潤と共に彼れの財貨の価格に添加する権能を有ちかつ添加せざるを得ないのである[#「彼らはそれを利潤と共に彼れの財貨の価格に添加する権能を有ちかつ添加せざるを得ないのである」に傍点](編者註)。かかる租税が齎すべき農業労働の騰貴は、農業者によって前払されるであろうが、彼らは以前の同数の労働者を支持するために、より[#「より」に傍点]大なる資本を使用せざるを得ないであろう。このより[#「より」に傍点]大なる資本を、資本の通常利潤と共に[#「資本の通常利潤と共に」に傍点]、囘収せんがためには、土地の生産物のより[#「より」に傍点]大なる部分を、または同じことになるが、より[#「より」に傍点]大なる部分の価格を、彼がその手に留め、従って彼がより[#「より」に傍点]小なる地代を地主に支払うことが、必要である。この労賃騰貴の最終的支払は、この場合には、それを前払いした農業者の附加的利潤と共に[#「それを前払いした農業者の附加的利潤と共に」に傍点]、地主の負担する所となるであろう。あらゆる場合において、労働の労賃に対する直接税は、この租税収入に等しい額を、一部分は土地の地代に、そして一部分は消費貨物に、適当に賦課する場合に起るよりも、より[#「より」に傍点]大なる土地地代の減少と、より[#「より」に傍点]大なる製造財貨価格の騰貴とを、結局において惹起するであろう。』第三巻、三三七頁(訳者註)。この章句においては、農業者によって支払われる附加的労賃は、終局においては、減少せる地代を受取るべき地主の負担する所となるのであろうが、しかし、製造業者によって支払われる附加的労賃は、製造財貨の価格の騰貴を惹起し、従って、それらの貨物の消費者の負担する所となるであろう、ということが主張されているのである。
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(編者註)ここに、省略された次の一文が続く、『従ってこの労賃騰貴の最終的支払は、親方製造業者の附加的利潤と共に、消費者の負担する所となるであろう。』
(訳者註)引用は正確ではない。キャナン版、第二巻、三四九頁。
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さて、社会が地主、製造業者、農業者及び労働者から成ると仮定すれば、労働者がこの租税に対して補償を受けるであろうということは、認められている。――しかし誰によってか?――地主の負担する所とならない部分を誰が支払うであろうか?――製造業者はそのいかなる部分をも支払い得ないであろう。けだしもし彼らの貨物の価格が、彼らの支払う附加的労賃に比例して騰貴するならば、彼らは課税前よりもその以後においてはより[#「よ
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