フ利潤に対する課税の後にその以前の価格にまで下落するならば、地代もまた以前と同一であろう。地主は同一の貨幣地代を受取り、そしてそれを支出して得るすべての貨物をその以前の価格で取得するであろう。従ってあらゆる事情の下において彼は引続き租税を負担しないであろう(註)。
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(註)農業者の利潤のみが課税され、そして他のいかなる資本家の利潤も課税されないということは、地主にとり極めて有利であろう。それは事実上一部分は国家の利益のため、また一部分は地主の利益のための、粗生生産物の消費者に対する租税であろう。
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この事情は奇妙である。農業者の利潤に課税しても、農業者の利潤が租税から除外された場合以上には彼は負担を蒙らず、そして地主は、彼れの借地人の利潤が課税されることに決定的利害関係を有っているが、けだし彼自身が引続き真実に租税を負担しないのはこの条件の下においてのみであるからである。
(七七)資本の利潤に対する租税は、もしすべての貨物がこの租税に比例して騰貴するものならば、たとえ株主の配当は引続き課税されなくとも、株主にもまた影響を及ぼすであろう。しかしもし、貨幣価値の変動によって、すべての貨物がその以前の価格にまで下落するものならば、株主はこの租税に何物をも支払わないであろう。彼は彼れのすべての貨物を同一の価格で購買するであろうが、しかもなお同一の貨幣配当を受取るであろう。
(七八)一人の製造業者の利潤のみに課税することによって、彼れの財貨の価格が、彼をすべての他の製造業者と平等ならしめるために、騰貴するであろう、ということが承認され、また二人の製造業者の利潤に課税することによって、二種の財貨の価格が騰貴しなければならぬ、ということが承認されるならば、私は、吾々に貨幣を供給する鉱山が我国にありかつ引続き課税されていない限り、あらゆる製造業者の利潤に課税することによってあらゆる財貨の価格が騰貴するであろう、ということを、いかにして争い得るかがわからない。しかし貨幣または貨幣の本位は外国から輸入される貨物であるから、すべての財貨の価格は騰貴し得ないであろう。けだしかかる結果は貨幣の附加的分量なくしては起り得ず(註)、それは一〇二頁において説明された如くに高価な財貨と交換しては取得され得ないからである。しかしながらもしかかる騰貴が起り得たとしてもそれは外国貿易に力強い影響を与えるであろうから、それは永続的ではあり得ないであろう。輸入貨物と引替にかかる高価な財貨を輸出することは出来ないであろう、従って吾々は、売ることを止めたにもかかわらず、しばらくの間引続き買わなければならず、そして貨物の相対価値が依然とほとんど同一になるまで貨幣または地金を輸出しなければならないであろう。良く統制された利潤に対する租税は結局内国製及び外国製の貨物を、共に、租税が課せられる前にそれらが有っていたと同一の貨幣価格に恢復するであろうことは、私には絶対に確実であるように思われる。
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(註)更に考察を加えた結果、もし貨物の価格が課税によって騰貴し、生産の困難によって騰貴したのでないならば、同一量の貨物を流通せしめるために、より[#「より」に傍点]多くの貨幣が必要とされるべきか否かを、私は疑う。一〇〇、〇〇〇クヲタアの穀物が一定の地方、一定の時に一クヲタアにつき四|磅《ポンド》で売られ、そして一クヲタアにつき八シリングの直接税の結果として、穀物が四|磅《ポンド》八シリングに騰貴すると仮定すれば、思うに、この穀物をこの騰貴せる価格において流通せしめるために必要な貨幣量は同一であって、より[#「より」に傍点]多くはないであろう。もし私が以前には一一クヲタアを四|磅《ポンド》で購買しそして租税の結果として私の消費を一〇クヲタアに減少するの余儀なきに至るならば、私はすべての場合において私の穀物に対して四四|磅《ポンド》を支払うであろうから、私はより[#「より」に傍点]多くの貨幣を必要としないであろう。公衆は実際十一分の一だけより[#「より」に傍点]少く消費し、そしてこの分量は政府によって消費されるであろう。それを購買するに必要な貨幣は租税の形において農業者達から受取らるべき一クヲタアにつき八シリングから徴収されるであろうが、しかし徴収額は同時に彼らにその穀物に対して支払われるであろう。従ってこの租税は事実上一つの物納租税であり、そしてより[#「より」に傍点]貨幣の用いられることを必要としないか、または必要とするものとしても、その分量は無視してもかまわぬほど少量である。
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粗生生産物に対する租税、十分一税、労賃に対する、及び労働者の必要品に対する租税は、労賃を騰貴せしめることによって、利潤を下落せしめるであろうから、それらはすべて、たとえその程度は等しくなくとも、同一の結果を伴うであろう。
国内製造業を大いに進歩せしめる機械の発明は、常に、貨幣の相対価値を高め従ってその輸入を奨励する傾向を有っている。貨物の製造業者かまたは栽培業者かに対する一切の障害の増加たる一切の課税は、これに反し、貨幣の相対価値を低め従ってその輸出を奨励する傾向を有っているのである。
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第十六章 労賃に対する租税
(七九)労賃に対する租税は労賃を騰貴せしめ、従って資本の利潤率を低下せしめるであろう。吾々は既に、必要品に対する租税はその価格を騰貴せしめ、そして労賃の騰貴を伴うであろう、ということを見た。必要品に対する租税と労賃に対する租税との間の唯一の差異は、前者は必然的に必要品の価格の騰貴を伴うであろうが、しかし後者はそれを伴わないであろうということである。従って労賃に対する租税に対しては、株主も、地主も、または労働の雇傭主を除く他のいかなる階級も、納税しないであろう。労賃に対する租税は全然利潤に対する租税であり、必要品に対する租税は一部分は利潤に対する租税であり、そして一部分は富める消費者に対する租税である。しからばかかる租税から生ずべき窮極的の結果は、利潤に対する直接税から生ずるそれと正確に同一である。
アダム・スミスは曰く、『下級労働者階級の労賃は、どこにおいても必然的に、二つの異る事情、すなわち労働に対する需要及び食料品の通常価格または平均価格によって左右されるということを、私は第一篇において説明せんと努めた。労働に対する需要は、それがたまたま静止的であるかまたは減退しつつあるかに従って、またそれが、増加しつつある、静止的なる、または減退しつつある人口を必要とするに従って、労働者の生活資料を左右し、そしていかなる程度においてそれを豊富に、適当に、または稀少ならしめるかを決定する。食料品の通常価格または平均価格[#「通常価格または平均価格」に傍点]は、労働者をして、年々この豊富な適当なまたは稀少な生活資料を購買し得しめるために、彼に支払われねばならぬ貨幣量を決定する。従って労働に対する需要と食料品の価格が引続き同一である間は、労働の労賃に対する直接税は労賃をこの租税よりもややより[#「より」に傍点]高く騰貴せしめる以外の結果を有ち得ない。』(編者註)
(編者註)『諸国民の富』第五篇、第二章(訳者註――キャナン版、第二巻、三四八頁)。
(八〇)ここにスミス博士によって展開されている命題に対して、ビウキャナン氏は二つの反対論を提出している。第一に彼は労働の貨幣労賃は食料品の価格によって左右されるということを否定する。また第二に彼は労働の労賃に対する租税は労働の価格を騰貴せしめるであろうということを否定する。第一の点については、ビウキャナン氏の議論は次の如くである、五九頁(編者註)『労働の労賃は、既に述べた所であるが、貨幣から成るものではなく、貨幣が購買する所のもの、すなわち食料品及びその他の必要品から成る。そして共通の貯財からの労働者への給与は常にその供給に比例するであろう。食料品が低廉にして豊富なる[#「低廉にして豊富なる」に傍点]所では彼れの分前はより[#「より」に傍点]多くそしてそれが稀少にして高価なる[#「稀少にして高価なる」に傍点]所ではそれはより[#「より」に傍点]少いであろう。彼れの労賃は常に彼に正当な分前を与えるであろうが、、彼にそれ以上を与えることは出来ない。労働の貨幣価格は食料品の貨幣価格によって左右され、そして食料品が価格において騰貴する時には労賃はそれに比例して騰貴するというのは、実に、スミス博士及び大抵の他の論者の採る意見である。しかし労働の価格が食物の価格と何らの必然的な関聯をも有たないことは明かである。けだしそれは全然需要と比較しての労働者の供給に依存するからである。しかのみならず、食料品の高い価格は供給の不足の確実な徴候であり、そして事物の自然の行程において消費を妨げる目的をもって起るものであることを、考えなければならない。食物のより[#「より」に傍点]小なる供給が同一数の消費者に分たれるならば、明かに各人にはより[#「より」に傍点]小なる分前しか残らず、そして労働者は共通の欠乏に対する彼れの分前を負担しなければならない。この負担を平等に分配し、そして労働者が以前の如く自由に生活資料を消費するのを妨げるために、価格は騰貴するのである。しかし労賃は、彼が依然として、より[#「より」に傍点]稀少な貨物の中の同一分量を用い得るために、それと共に騰貴しなければならないように見える。そこでかくて自然は、まず最初には消費を減少せしめるために、食物の価格を騰貴せしめることにより、そして後には労働者に以前と同一の供給を与えるために、労賃を騰貴せしめることによって、自分自身の目的に逆行するものとして、現わされている。』
(編者註)『諸国民の富』ビウキャナン版、一八一四年、第四巻、五九――六〇頁。
ビウキャナン氏のこの議論には、真理と誤謬との大混同があるように私には思われる。食料品の高い価格は時に不足な供給によって齎されるという故をもって、ビウキャナン氏はそれをもって、不足な供給の確実な表示と想像している。彼は多くの原因から生じ得べきものを、ただ一つの原因に帰している。不足な供給の場合にはより[#「より」に傍点]小量が同一数の消費者の間に分たれそしてより[#「より」に傍点]小なる部分が各人に帰すべきことは、疑いもなく真実である。この欠乏を平等に分配し、そして労働者が生活資料を以前と同様に自由に消費するのを妨げるために、価格は騰貴する。従って不足な供給によって惹起される食料品の価格のいかなる騰貴も、必ずしも労働の貨幣労賃を騰貴せしめないであろうが、それは消費が遅滞されねばならぬからであるが、このことは消費者の購買力を減少することによってのみ果され得るということは、ビウキャナン氏に許されなければならない。しかし食料品の価格が不定の供給の不足によって騰貴するという故をもって、吾々は、ビウキャナン氏がなしたと思われる如くに、高い価格を伴う豊富な供給はあり得ないと結論することは決して許されないが、ここに高い価格とは、貨幣に関してのみならず、更に他のすべての物に関しての高い価格のことである。
常に終局的に貨物の市場価格を支配する所のその自然価格は生産の便宜に依存するが、しかし生産量はその便宜には比例しない。たとえ現在耕作されている土地は三世紀以前の耕地よりも遥かに劣り、従って生産の困難は増加されていても、何人が、現在の生産量が当時の生産量を極めて遥かに超過することを、疑い得ようか? 啻に高い価格が増加せる供給と両立し得るのみならず、またそれがこれと共に起らぬことは稀である。かくてもし、課税または生産の困難の結果、食料品の価格が騰貴しそしてその分量が減少されぬならば、労働の貨幣労賃は騰貴するであろう。けだしビウキャナン氏が正当に観察した如くに、『労働の労賃は貨幣には存せず、貨幣が購買する所のもの、すなわち食料品その他の必要
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