フ一である。貨幣はこの二つの場合に異る価値を有っているのである。
(七五)しかし、たとえ貨幣が課税されず、そして価値において変動しなければ、すべての貨物は価格において騰貴するであろうとはいえ、それらは同一の比例においては騰貴しないであろう。それらは課税の後には、課税の前に有っていたと同一の相対価値を相互に有たないであろう。本書の前の部分において、吾々は、固定資本及び流動資本への、またはむしろ耐久的資本及び消耗的資本への資本の分割が、貨物の価格に対して及ぼす結果を論じた。吾々は二人の製造業者が正確に同一額の資本を用い、そしてそれから正確に同一額の利潤を得ても、しかも彼らはその貨物を、彼らが使用する資本が消費されかつ再生産される速度の遅速に従って、極めて異る貨幣額に対して売るであろうということを、説明した。その一方は彼れの財貨を四、〇〇〇|磅《ポンド》で売り、他方は、一〇、〇〇〇|磅《ポンド》で売り、そして彼らは共に一〇、〇〇〇|磅《ポンド》の資本を使用して二〇%の利潤すなわち二、〇〇〇|磅《ポンド》を得ることもあろう。一方の資本は例えば、再生産さるべき二、〇〇〇|磅《ポンド》の流動資本と、建物及び機械における八、〇〇〇|磅《ポンド》の固定資本とから成るであろう。他方の資本はこれに反し、八、〇〇〇|磅《ポンド》の流動資本と、建物及び機械におけるわずか二、〇〇〇|磅《ポンド》の固定資本とから成るであろう。さてもしこれらの人の各々が彼れの所得に対する一〇%すなわち二〇〇〇|磅《ポンド》を課税されるならば、一方はその事業をして一般利潤率を生ぜしめるために、彼れの財を一〇、〇〇〇|磅《ポンド》から一〇、二〇〇|磅《ポンド》に引き上げなければならない。他方もまた彼の財貨の価格を四、〇〇〇|磅《ポンド》から四二〇〇|磅《ポンド》に引き上げざるを得ないであろう。課税の前にはこれらの製造業者の一方によって売られた財貨は、他方の財貨よりも二倍半の価値を有っていた。課税の後にはそれは二・四二倍の価値を有つであろう。一方の種類は二%騰貴したであろう。他方は五%騰貴したのであろう。従って所得に課せられる租税は、貨幣が引続き価値において変動しない間は、貨物の相対価格及び価値を変動せしめるであろう。このことはまた、租税が利潤には課せられずに貨物そのものに課せられた場合にも、真実であろう。それらがその生産に用いられた資本の価値に比例して課税されるならば、その価値がどうであろうとも、それは平等に騰貴し、従って以前と同一の比例を保持しないであろう。一万|磅《ポンド》から一万一千|磅《ポンド》に騰貴した一貨物は、二、〇〇〇|磅《ポンド》から三、〇〇〇|磅《ポンド》に騰貴したもう一つの貨物に対して、以前と同一の関係を有たないであろう。もしかかる事情の下において、貨幣が、――いかなる原因から起ったものであろうと、――価値において騰貴するならば、それは同一の比例において貨物の価格に影響を及ぼすことはないであろう。一方の価格を一〇、二〇〇|磅《ポンド》から一〇、〇〇〇|磅《ポンド》に、すなわち二%弱下落せしめると同一の原因は、他方の価格を四、二〇〇|磅《ポンド》から四、〇〇〇|磅《ポンド》に、すなわち四%四分の三下落せしめるであろう。もし両者がこれを異るある比例で下落するならば、利潤は等しくないことになるであろう。けだし、それを等しくするためには、第一の貨物の価格が一〇、〇〇〇|磅《ポンド》の時には第二の貨物の価格は四、〇〇〇|磅《ポンド》でなければならず、そして第一のものの価格が一〇、二〇〇|磅《ポンド》の時には他のものの価格は四、二〇〇|磅《ポンド》でなければならない。
 この事実の考察は、未だかつて言及されたことがないと私が信ずる一つの極めて重要な原則の理解に導くであろう。それはこうである、すなわち、何らの課税も存在しない国においては、稀少または豊富から生ずる貨幣価値の変動は、等しい比例において一切の貨物の価格に影響を及ぼすであろうし、もし一、〇〇〇|磅《ポンド》の価値を有する貨物が一、二〇〇|磅《ポンド》に騰貴しまたは八〇〇|磅《ポンド》に下落するならば、一〇、〇〇〇|磅《ポンド》の価値を有する貨物は一二、〇〇〇|磅《ポンド》に騰貴しまたは八、〇〇〇|磅《ポンド》に下落するであろうが、しかし価格が課税によって人為的に騰貴せしめられる国においては、流入による貨幣の豊富または外国の需要によるその輸出と、その結果たる稀少は、一切の貨物の価格に対し同一の比例において作用することはなく、それはあるものを五、六、または一二%騰貴または下落せしめ、他のものを三、四、または七%だけ騰貴または下落せしめるであろう、ということこれである。もし一国が課税されずそして貨幣が価値において下落するならば、あらゆる市場における貨幣の豊富は、その各々において同様の結果を生ずるであろう。もし肉が二〇%騰貴するならば、パン、麦酒《ビール》、靴、労働、及びあらゆる貨物もまた二〇%騰貴するであろう。各職業に同一の利潤率を確保するためにはそれらがそうなるべきことが必要である。しかしこれらの貨物のいずれかが課税されている時にはこのことはもはや真実ではない。もしその場合にはそれらがすべて貨幣価値の下落に比例して騰貴するならば、利潤は不平等になるであろう。課税貨物にあっては利潤は一般水準以上に高められ、そして資本は一職業から他の職業に移転されついに利潤の平衡が囘復されるに至るのであるが、このことは相対価格が変動した後にのみ起り得ることである。
 この原則は、英蘭《イングランド》銀行兌換停止中における、貨幣価値の変動によって貨物の価格に対し生ぜしめられたといわれている種々なる結果を、説明するものではないであろうか? 紙幣流通が過剰であったために通貨がその期間減価された、と主張した人々に対しては、もしそれが事実であるならば、すべての貨物[#「貨物」は底本では「貨幣」]は同一の比例で騰貴すべきはずであった、という反対論がなされた。しかし多くの貨物は他のものよりも極めてより[#「より」に傍点]多く変動したことが見出され、そしてこのことからして、物価騰貴は貨物の価値に影響を及ぼす何ものかによるのであって、通貨の価値の変動によるのではないと、推論されたのである。しかしながら、吾々が今見た如くに、貨物が課税されている国においては、それは、通貨の価値の騰貴の結果であるにしても下落の結果であるにしても、必ずしもすべて同一の比例で価格が変動するものではないことが、分るのである。
(七六)もし農業者の利潤を除きすべての職業の利潤が課税されるならば、粗生生産物を除くすべての財貨は貨幣価値において騰貴するであろう。農業者は以前と同一の穀物所得を得、そして彼れの穀物をもまた同一の貨幣価格で売るであろう。しかし彼は、穀物を除き彼が消費するすべての貨物に対して附加的価格を支払わざるを得ないであろうから、それは彼にとり一つの消費税であろう。彼はまた貨幣価値の変動によってもこの租税から免れないであろう。けだし貨幣価値の変動は、あらゆる課税貨物をその以前の価格にまで下落せしめるであろうが、しかし課税されないものはその以前の水準以下に下落すべく、従ってたとえ農業者は彼れの貨物を以前と同一の価格で購買するとしても、それらを購買すべき貨幣は減少しているであろうからである。
 地主もまた正確に同一の地位にあるであろう、もしすべての(他の――編者挿入)諸貨物が価格において騰貴し、そして貨幣が依然同一の価値にあるならば、彼は以前と同一の穀物地代を、そして同一の貨幣地代を、得るであろう。そしてもしすべての(他の――同前)諸貨物が依然同一の価格にあるならば彼は同一の穀物地代を、より[#「より」に傍点]少い貨幣地代を、得るであろう。従っていずれの場合においても、たとえ彼れの所得が直接に課税されなくとも、彼は間接的に徴収される税金に貢献するであろう。
 しかし農業者の利潤もまた課税されると仮定すれば、彼は他の職業者と同一の地位にあるであろう。彼れの粗生生産物は騰貴し、従って彼は、租税を支払った後に同一の貨幣収入を得るであろうが、しかし彼は、粗生生産物も含めての彼が消費するすべての貨物に対して附加的価格を支払うであろう。
 しかしながら彼れの地主はその地位を異にするであろう、彼はその借地人の利潤に対する租税によって利益を受けるが、けだし彼は、彼れの必要とする製造貨物が騰貴した場合にこれを購買する際の附加的価格を償われるであろうからである。そしてもし貨幣価値の騰貴の結果として貨物がその以前の価格で売れているならば、彼は同一の貨幣収入を得るであろう。農業者の利潤に対する租税は、土地の総生産物に比例する租税ではなく、地代、労賃、その他すべての諸掛を支払って後のその純生産物に比例する租税である。第一、第二、及び第三等地なる、異る種類の土地の耕作者は、正確に同一の資本を使用するから、総生産物の分量がどうあろうとも、その一人は他の者よりもより[#「より」に傍点]多くの総生産物を得るであろうが、しかも彼らは正確に同一の利潤を得、従ってすべて同様に課税されるであろう。第一等地の総生産物は一八〇クヲタアであり、第二等地のそれは一七〇クヲタア、第三等地のそれは一六〇クヲタアであり、そしてその各々は一〇クヲタアの税を課せられると仮定すれば、租税を支払って後の第一等、第二等、及び第三等地の生産物の間の差違は以前と同一であろう。けだし、第一等地は一七〇クヲタア、第二等地は一六〇クヲタア、そして第三等地と第二等地との間の差違は一〇クヲタアであろうからである。もし、課税後に、穀物及びすべての他の貨物の価格が依然として以前と同一であるならば、穀物地代並びに貨幣地代は引続き不変であろう。しかしもし穀物及びすべての他の貨幣の価格が、租税の結果として騰貴するならば、貨幣地代もまた、同一の比例において騰貴するであろう。もし穀物地代が一クヲタアにつき四|磅《ポンド》であるなら、第一等地の地代は八〇|磅《ポンド》であり、また第二等地のそれは四〇|磅《ポンド》であろう。しかし、もし穀物が五%だけ、すなわち四|磅《ポンド》四シリング騰貴するならば、地代もまた五%騰貴するであろう、けだしこの際二〇クヲタアの穀物は八四|磅《ポンド》に値し、そして一〇クヲタアは四二|磅《ポンド》に値するからである。従ってあらゆる場合において地主はかかる租税によって影響を蒙らないであろう。資本の利潤に対する租税は常に穀物地代を依然不変のままにしておき、従って貨幣地代は穀価と共に変動する。しかし粗生生産物に対する租税または十分一税は決して穀物地代を不変のままにしておくことなく、しかし一般的に貨幣地代をして以前と同一ならしめておくのである。本書の他の部分において、私は、もし同一貨幣額の地租が、あらゆる種類の耕地に、肥沃度の相違を斟酌することなしに課せられるならば、それはより[#「より」に傍点]肥沃な土地の地主にとっては一つの利潤であろうからその作用は極めて不等であろうことを、述べた。それは最劣等の土地の農業者の荷《にな》う負担に比例して穀価を騰貴せしめるであろう。しかしこの附加的価格はより[#「より」に傍点]良い土地により産出されるより[#「より」に傍点]多量の生産物もこれを得るのであるから、かかる土地の農業者はその借地期限の間利益を受け、そしてその後にはこの利益は地代増加の形において地主の手に入るであろう。農業者の利潤[#「利潤」に傍点]に対する平等な租税の結果は正確に同一である。もし貨幣が同一の価値を保持するならば、それは地主の貨幣地代を騰貴せしめる。しかしすべての他の職業の利潤が農業者の利潤と同様に課税され、従ってすべての財貨の価格が穀物の価格と同様に騰貴せしめられるのであるから、地主はそれだけの額をその地代を支出して得る財貨及び穀物の貨幣価格の増加によって失うのである。もし貨幣が価値において騰貴し、そしてすべての物が資本
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