zしていることは出来ない。しかし家屋に対する租税は、借家人によって支払われる家賃の附加と考えてよかろうから、その傾向は、家屋の供給を減少することなくして同一の年家賃の家屋に対する需要を減少することであろう。従って家賃は下落し、そして租税の一部分は間接に家主によって支払われるであろう。
(七三)アダム・スミスは曰く、『家屋の家賃は二つの部分に区別し得よう。その一方は極めて正当に建築物家賃と呼ばれ得ようし、他方は普通敷地地代と呼ばれている。建築物家賃は家屋の建築に費された資本の利子または利潤である。建築業者の職業を他の職業と同一水準に置くためには、この家賃は第一に、彼がその資本を良好な担保を取って貸附けた場合に、彼がその資本に対して得べきと同一の利子を支払うに足り、また第二に、家屋を絶えず修繕しておくことに、または同じことになるが、一定年限にそれを建築するに使用された資本を囘収するに足ることが、必要である。』(訳者註一)『もし金利に比例して、建築業者の職業が、ある時において、これよりも遥かにより[#「より」に傍点]大なる利潤を与えるならばそれは直ちに他の諸々の職業から極めて多くの資本を引去り、その結果この利潤をその正当な水準まで低下せしめるであろう。もしもそれがある時においてこれよりも遥かにより[#「より」に傍点]以下を与えるならば、他の職業は直ちにこの職業から多くの資本を引去り、その結果再びその利潤を高めるであろう。家屋の全家賃のうちこの正当な利潤を与えるに足る額を越えるすべては、当然に敷地地代に属する。そして土地の所有者と建築物の所有者とが、二人の異る人である場合には、それは大抵の場合において完全に前者に支払われる。大都市から遠く離れ、土地を広く選択し得る、田舎家屋にあっては、敷地地代は、家屋のある場所が農業に用いられた場合に支払う所以上ではほとんどなく、またはそれ以上では全くない。ある大都市の近郊における田舎の別墅《べっしょ》にあっては、それは時に大いにより[#「より」に傍点]高く、そしてその特殊の便益または地の利はそこにおいてはしばしば極めて高い支払を受ける。敷地地代は一般に、首都において、また、取引や事業のためであろうと、娯楽や社交のためであろうと、または単なる虚栄や流行のためであろうと、その需要の理由が何であるかを問わず、とにかく家屋に対する需要の最大な首都の特殊部分において、最高である。』(訳者註二)家屋の家賃に対する租税は、居住者か土地地主かまたは建物家主かの負担となるであろう。普通の場合においては、全租税は直接的にかつ終局的に居住者によって支払われると推定し得よう。
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(訳者註一)『諸国民の富』キャナン版、第二巻、三二四頁。
(訳者註二)同上、三二五頁。
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 もしこの租税が適量であり、そして国の事情によりその国が静止的かまたは進歩的かであるならば、家屋の居住者には、より[#「より」に傍点]悪い種類の家屋で満足しようという動機は、ほとんど起らないであろう。しかしもしこの租税が高いか、もしくはある他の事情が家屋に対する需要を減少するならば、家主の所得は下落するであろうが、けだし居住者は租税の一部を家賃の減少によって償われるであろうからである。しかしながら、租税のうち家賃の下落によって居住者が免れた部分が、いかなる割合において、建築物家賃と敷地地代との負担する所となるであろうかをいうことは困難である。最初にはおそらく双方が影響を蒙るであろう。しかし家屋は徐々としてではあるがしかし確実に破滅して行くものであるから、そして建築業者の利潤が一般水準にまで囘復されるまではそれ以上家屋は建築されないであろうから、建築物家賃はしばらくの後には、その自然価格にまで囘復されるであろう。建築業者は単に建物が存続する間家賃を受取るに過ぎないのであるから、最も不幸な事情の下においては、彼は、それ以上の期間、租税のいかなる部分をも支払い得ないであろう。
 かくてこの租税の支払は終局的には居住者及び土地地主の負担する所となるであろう、しかし、『いかなる割合においてこの終局の支払が彼らの間に分たれるかは』とアダム・スミスは曰う、『これを確かめることは、おそらくは極めて容易ではない。この分割はおそらく、異る事情においては極めて異るであろう、そしてこの種の租税は、それらの異る事情に従って、家屋の住人と土地の所有者との双方に極めて不平等に影響を及ぼすであろう。』(註)
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(註)第五篇、第二章(訳者註――キャナン版、三二六頁)。
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 アダム・スミスは敷地地代をもって特に適当な課税物件であると考えている。彼は曰く、『敷地地代及び通常の土地地代の両者は、所有者が多くの場合において、彼自身の配慮や注意を要せずして享受する収入の一種である。たとえこの収入の一部分が、国家経費を支払うために、彼から取去られたとしても、いかなる種類の産業もそれによっては阻害されないであろう。社会の土地及び労働の年々の生産物は、人民の大多数の真実の富及び収入は、かかる租税が課せられた後においてもその以前も同一であろう。従って敷地地代及び通常の土地地代はおそらく、それらに対して特殊の租税が課せられてもそれを最も良く負担し得るという種類の収入である。』(訳者註)これらの租税の結果がアダム・スミスの述べた如きものであろうことは、認めなければならない。しかし、もっぱら社会のある特定階級の収入にのみ課税するというのは、確かに極めて不正であろう。国家の負荷はすべての者がその資力に応じて負担しなければならない。これは、すべての課税を支配すべきものとしてアダム・スミスが挙げている四つの公理の一つである。賃料はしばしば、多年の辛苦の後にその利得を実現しそしてその財産や土地や家屋の購買に支出した人々に、帰属する。そして財産に不平等に課税することは、確かに、財産の安固という常に神聖に保たるべき原理の一侵害となるであろう。土地財産の移転が負っている印紙税がおそらくそれを最も生産的ならしめるべき人々へのその移転を著しく害しているのは、悲しむべきことである。そして土地が、適当な単一課税物件と看做されて、啻に、その課税の危険を償うために価格において低下せしめられるのみならず、更にその危険の不確定的性質と不確実な価値とに比例して、真面目な事業というよりは、賭博の性質をより[#「より」に傍点]多く有つ所の投機の恰好な目的物となることを、考えるならば、その場合土地を最も所有しそうな人は、おそらく、その土地を最も有利になるように使用する如き真面目な所有者の性質よりも、賭博者の性質をより[#「より」に傍点]多く有つ人であろう。
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(訳者註)同上、三二八頁。
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    第十五章 利潤に対する租税

(七四)一般に奢侈品と名づけられている貨物に対する租税は、それを使用する者のみの負担する所となる。葡萄酒に対する租税は葡萄酒の消費者によって支払われる。娯楽用|馬匹《ばひつ》または馬車に対する租税は、かかる享楽物を備えている者により、かつ彼らがそれらを備えている程度に正確に比例して、支払われる。しかし必要品に対する租税は必要品の消費者達に対し、彼らによって消費される分量に比例して影響するものではなく、しばしば遥かにより[#「より」に傍点]高い比例において影響する。穀物に対する租税は、既に述べた如くに、製造業者に対し、啻に彼及びその家族が穀物を消費するに比例して影響するのみならず、更にそれは資本の利潤率をも変更せしめ、従って彼れの所得にも影響する。労働の労賃を騰貴せしめるものは何でも資本の利潤を下落せしめ、従って、労働者によって消費されるいかなる貨物に対する租税も、すべて利潤率を下落せしめる傾向を持つものである。
 帽子に対する租税は帽子の価格を騰貴せしめるであろう。靴に対する租税は靴の価格を騰貴せしめるであろう。もしそうでなければ租税は結局製造業者によって支払われるであろう。彼れの利潤は一般水準以下に下落しそして彼はその職業を中止するであろう。利潤に対する部分的租税は、それを負担する貨物の価格を騰貴せしめるであろう。例えば帽子製造業者の利潤に対する租税は帽子の価格を騰貴せしめるであろう。けだしもし彼れの利潤が課税され、そしていかなる他の職業のそれも課税されないならば、彼れの利潤は、彼がその帽子の価格を引上げない限り、一般利潤率以下となり、そして彼はその職業を中止して他の職業に赴くであろうからである。
 同様にして農業者の利潤に対する租税は穀価を騰貴せしめるであろう。毛織物製造業者の利潤に対する租税は毛織布の価格を騰貴せしめるであろう。そして利潤に比例しての租税がすべての職業に賦課せられるならばあらゆる貨物は価格において騰貴せしめられるであろう。しかしもし吾々に我国の貨幣の本位を供給する鉱山が我国にあり、そして鉱山業者の利潤もまた課税されるならば、いかなる貨物の価格も騰貴せず、各人はその所得の等しい割合を与え、そして万事は以前の通りであろう。
 もし貨幣が課税されず、従ってその価値を保持することが許されるが、しかるに他のあらゆる物は課税され、そして価値において騰貴せしめられるならば、各々同一の資本を使用しかつ同一の利潤を得ている帽子製造業者、農業者、及び毛織物製造業者は同一額の租税を支払うであろう。もし租税が一〇〇|磅《ポンド》であるならば、帽子、毛織布、及び穀物は各々価値において一〇〇|磅《ポンド》だけ騰貴せしめられるであろう。もし帽子製造業者が彼れの帽子によって一、〇〇〇|磅《ポンド》ではなく一、一〇〇|磅《ポンド》を利得するとしても、彼は租税として政府に一〇〇|磅《ポンド》を支払い従って依然彼自身の消費のための財貨に対し支出すべき一、〇〇〇|磅《ポンド》を有つであろう。しかし毛織布、穀物、及びその他すべての貨物は同一の理由によって価格において騰貴せしめられるから、彼はその一、〇〇〇|磅《ポンド》に対し以前に九一〇|磅《ポンド》に対し取得した以上を取得しはせず、かくして彼はその支出を減少せしめて国家の緊急費に貢献するということになろう。彼は、租税の支払によって、国の土地と労働との生産物の一部分を彼自身では使用せずして、それを政府の処分に委ねることになるであろう。もし彼れの一、〇〇〇|磅《ポンド》を支出せずして、それを彼れの資本に附加するならば、彼は労賃の騰貴及び粗生原料品と機械との費用の増加に際し、彼れの一、〇〇〇|磅《ポンド》の貯蓄が以前の九一〇|磅《ポンド》の貯蓄額以上に及ばぬことを見出すであろう。
 もし貨幣が課税されるならば、またはもしある他の原因によってその価値が変動し、そしてすべての貨物が以前と正確に同一の価値に留まるならば、製造業者と農業者との利潤もまた以前と同一であり、それは引続き一、〇〇〇|磅《ポンド》であろう。そして彼らは各々政府に対し一〇〇|磅《ポンド》を支払わなければならぬであろうから、彼らはわずかに九〇〇|磅《ポンド》を保持するに過ぎず、それは彼らがそれを生産的労働に支出しようとまたは不生産的労働に支出しようとに論なく、国の土地及び労働の生産物に対するより[#「より」に傍点]小なる支配権を彼らに与えるであろう。正確に彼らが失う所を政府は利得するであろう。第一の場合においては、納税者は一〇〇〇|磅《ポンド》に対し、彼が以前に九一〇|磅《ポンド》に対し得た所と同一の分量の財貨を得るであろう。第二の場合においては、彼は単に以前に九〇〇|磅《ポンド》に対し得たと同じ額を得るに過ぎないであろうが、それはけだし財貨の価格は依然として不変であり、そして彼は単に九〇〇|磅《ポンド》を支出し得るに過ぎないからである。このことは租税の額の相違から起るものである。第一の場合においてはそれは単に彼れの所得の十一分の一に過ぎない。第二の場合においてはそれは十分
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