ウないであろう。この租税は、あらゆる土地によって、すなわち産出額の乏しい土地によっても産出額の多い土地によっても、支払われるであろう。そしてある土地においては、何らの地代も支払われていないのであるから、地代の低減によってのそれに対する補償はあり得ないであろう。利潤に対する局部的な租税は決してそれが課せられた事業の負担する所とはならない、けだし事業者は彼れの職業を中止するか、またはその租税に対して補償を受けるか、であろうからである。さて何らの地代をも支払わない者は、生産物の価格騰貴によってのみ補償され得る、かくてセイ氏の提議せる租税は消費者の負担する所となり、そして地主の負担にも農業者の負担にもならないであろう。
もしこの提議された租税が、土地から得られた総生産物の分量または価値の増加に比例して増加されるならば、それは十分一税と何ら異る所なく、そして等しく消費者に転嫁されるであろう。しからばそれが土地の総生産物の負担する所となろうとまたはその純生産物の負担する所となろうと、それは等しく消費に対する租税であり、そして単に粗生生産物に対する他の租税と同様な仕方で地主及び農業者に影響を及ぼすに過ぎないであろう。
もしいかなる種類の租税も土地に対して賦課されず、そして同一額がある他の手段によって徴収されたとしても、農業は少くとも実際に同じほど繁栄したであろう。けだし、土地に対するいかなる租税も農業に対する奨励[#「奨励」に傍点]であり得ることは不可能であるからである。適度な租税は大いに生産を妨げ得ないであろうし、またおそらく妨げないが、しかしそれは生産を奨励することは出来ない。英国政府はセイ氏が想像したような言葉は用いなかった。それは農業階級とその相続者とをあらゆる将来の課税から除外し、そして国家が必要とすべきそれ以上の資は他の社会階級から徴収するとは、約束しなかった。それは単に次の如く云ったに過ぎない、すなわち、『かくの如くして、吾々は、土地にこれ以上の負担をかけないであろう。しかし吾々は、君らをしてある他の形において国家の将来の必要費に対する君らの十分な割当額を支払わしめる最も完全なる自由を保留する』と。
物納租税または十分一税と正確に同一なる生産物の一定の比例の租税について、セイ氏は曰く、『この課税方法は最も公平であるように思われる。しかしながらこれよりも不公平なものはない。すなわちそれは全然生産者によってなされる前払を考慮せず、それは総収入に比例せしめられ、純収入には比例せしめられない。二人の農業者が異る種類の粗生生産物を耕作する。一人は中等の土地で穀物を耕作し、その支出は年々平均して八、〇〇〇フランに当る。彼れの土地から得られる粗生生産物は一二、〇〇〇フランで売れる。しかる時は彼は四、〇〇〇フランの純収入を得る。
『彼の隣人は牧場または森林地を有し、それは毎年同額の一二、〇〇〇フランを齎すが、しかし彼れの支出は単に二、〇〇〇フランに当るに過ぎない。従って彼は平均して一〇、〇〇〇フランの純収入を得る。
『一法律が、すべての土壌の果実の生産物の十二分の一を、それが何であろうとに論なく、実物で徴収すべきことを命ずるとする。第一の者からはこの法律の結果として一、〇〇〇フランの価値の穀物が徴収され、また第二の者からは同じく一、〇〇〇フランの価値を有つ枯草や家畜や木材が徴収される。そこで何事が起ったか? 一方からは、彼れの純所得、四、〇〇〇フランの、四分の一が徴収され、その所得が一〇、〇〇〇になる他方からは、わずかに十分の一が徴収されたに過ぎない。所得とは資本を正確にその以前の状態に囘復した後に残る純利潤である。一商人は、彼が一年の間になすすべての販売に等しい所得を得るか? 確かにそうではない。彼れの所得は単に、彼れの販売が彼れの前払を超過する額に当るに過ぎず、そして所得税を負担すべきものはこの超過額のみである。』(編者註)
[#ここから2字下げ]
(編者註)前掲書、三四四頁、三五〇頁。
[#ここで字下げ終わり]
上記の章句におけるセイ氏の誤謬は、これらの二つの農場の一方の生産物の価値が、資本を囘収した後に、他方の生産物の価値よりもより[#「より」に傍点]大であるから、その故に、耕作者の純所得はこの額だけ異るであろう、と想像していることにある。森林地の地主と借地人との純所得の合計は、穀物地の地主と借地人との純所得よりも遥かにより[#「より」に傍点]大であるかもしれない。しかしそれは地代の相違の故であって、利潤率の相違の故ではない。セイ氏は、これらの耕作者が支払わなければならぬ地代の量の異ることに関する考察を、全然省略したのである。同一の職業には二つの利潤率はあり得ず、従って、生産物の価値が資本に対し異る比例にある時には、異るべきものは地代であって利潤ではない。いかなる口実によって、八、〇〇〇フランの資本を有する他の人が四、〇〇〇フランを取得するに過ぎないのに二、〇〇〇フランの資本を有する人は、それを用いて一〇、〇〇〇フランの純利潤を取得することを許されるであろうか? セイ氏をして地代を適当に斟酌せしめよ。彼をして更に、かかる租税がこれらの異る種類の粗生生産物の価格に対して及ぼすべき影響を斟酌せしめよ、しからば、彼はそれは不平等な租税ではなく、更にまた、生産者自身はいかなる他の消費者階級とも異った方法では租税に貢献しないであろうということを、理解するであろう。
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第十三章 金に対する租税
(六九)貨物の価格騰貴は、課税または生産の困難の結果として、あらゆる場合において結局生ずるであろう。しかし市場価格が自然価格に一致するまでの時の隔りは、貨物の性質に、及びその量が減ぜられ得る難易に、依存しなければならぬ。もし課税された貨物の量が減少され得ないならば、もし例えば農業者または帽子製造業者の資本が他の職業へ向って引き去られ得ないならば、彼らの利潤が租税によって一般水準以下に低減されることは、少しも重大事ではないであろう。彼らの貨物に対する需要が増加しない限り、彼らは決して穀物及び帽子の市場価格をその騰貴したる自然価格にまで引上げ得ないであろう。その職業を去りかつその資本をより[#「より」に傍点]有利な事業に移転するという彼らの威嚇は、実行され得ない所の無益な脅迫と看做され、従って価格は生産の減少によって引上げられることはないであろう。しかしながらあらゆる種類の貨物はその量を減少し得、かつ資本はより[#「より」に傍点]不利な事業からより[#「より」に傍点]有利な事業に――その速度は異るが――移転され得る。特定の貨物の供給が生産者に対する不便を伴わずしてより[#「より」に傍点]容易に減少され得るに比例して、その価格は、その生産の困難が課税またはその他の手段によって増加された後に、より[#「より」に傍点]速かに騰貴するであろう。穀物はあらゆる者にとって不可欠の必要貨物であるから、租税の結果としてそれに対する需要に対してほとんど影響は起らないであろう、従って、たとえ生産者達が彼らの資本を土地から移転するのが極めて困難であるとしても、その供給はおそらく久しく過剰ではないであろう。この理由のために、穀物の価格は課税によって急速に高められ、そして農業者は租税を彼自身から消費者に転嫁し得るに至るであろう。
もし吾々に金を供給する鉱山が我国にあり、そしてもし金が課税されているとするならば、それはその分量が減少されるまでは他の物に対する相対価値において騰貴し得ないであろう。このことは、金がもっぱら貨幣として用いられる場合には、特にますます事実であろう。生産力の最も少い鉱山、何らの地代をも支払わない鉱山は、金の相対価値が租税に等しい額だけ騰貴するまでは一般利潤率を与え得ないから、もはや採掘され得ないことは、真実である。金の分量に[#「に」は底本では欠落]従って貨幣の分量は徐々に減少されるであろう。それはある年には少し減少され、他の年には更にもう少し減少され、そしてついにその価値は租税に比例して騰貴せしめられるであろう。しかしそれまでの間は、所有者または保有者が租税を支払うであろうから、彼らが被害者であり、貨幣を使用した者は被害を蒙らないであろう。もし国内における小麦一、〇〇〇クヲタアごとに、及び将来における一、〇〇〇クヲタアごとに、政府が一〇〇クヲタアを租税として徴収するならば、残りの九〇〇クヲタアは、以前に一、〇〇〇クヲタアと交換されたと同一の分量の他の貨物と交換されるであろう。しかしもし同一のことが金に関して起るならば、すなわちもし現在国内にある貨幣一、〇〇〇|磅《ポンド》ごとに、または将来国内に齎さるべき一、〇〇〇|磅《ポンド》ごとに、政府が一〇〇|磅《ポンド》を租税として徴収し得るならば、残りの九〇〇|磅《ポンド》は、以前に九〇〇|磅《ポンド》が購買した以上にはほとんど購買しないであろう。この租税は財産が貨幣から成る人の負担する所となり、そしてその量が、租税によって起ったその生産費の増加に比例して、減少されるまでは、引続きそうであろう。
(七〇)このことはおそらく、他のいかなる貨物よりも貨幣として使用される金属に関して、特に事実であろう。けだし貨幣に対する需要は、衣服や食物に対する需要の如くに、一定分量に対するものではないからである。貨幣に対する需要は、全くその価値によって左右され、そしてその価値はその分量によって左右される。もし金が二倍の価値を有つならば、半分の分量が流通において同一の職能を果すであろうし、またもしそれが半分の価値を有つならば、二倍の分量が必要とされるであろう。もし穀物の市場価値が、課税または生産の困難によって、十分の一だけ騰貴せしめられるとしても、消費量に何らかの影響が惹起されるか否かは、疑わしいことである、けだしあらゆる者の欲望は一定量に対するものであり、従ってもし彼が購買の資力を有つならば、彼は引続き以前と同様に消費するであろうからである。しかし貨幣に対しては需要はその価値に正確に比例する。何人も彼を支えるために通常必要な穀物量の二倍を消費し得ないであろうが、しかし単に同一量の財貨を売買するに過ぎないあらゆる者は、この貨幣量の二倍、三倍、または何倍でもを、使用するを余儀なくされることもあろう。
私が今述べて来た議論は、貴金属類が貨幣として使用されかつ紙幣信用が樹立されていない社会状態にのみ、妥当するに過ぎない。金属金は、すべての他の貨物と同様に、その市場における価値を、結局それを生産する難易によって左右される。そしてたとえその耐久的性質とその分量を減少することの困難とによってそれはその市場価値の変動に容易に服せぬとはいえ、しかもこの困難はそれが貨幣として用いられるという事情によって大いに増加される。もし商業のみの目的のために用いられる市場における貨幣量が一〇、〇〇〇オンスであり、そして我国の製造業における消費が年々二、〇〇〇オンスであるならば、年々の供給を抑止することによって、一年にしてそれはその価値において四分の一すなわち二五%だけ騰貴するであろう。しかしそれが貨幣として用いられる結果として使用量が一〇〇、〇〇〇オンスであるならば、それは十年以内には価値において四分の一だけ騰貴することはないであろう。紙幣は分量において直ちに減少され得ようから、その価値は、たとえその本位は金であっても、もしその金属が流通の極めて小部分を形造ることによって貨幣と極めて軽微な関係しか有たぬ場合には、金属それ自身の価値と同様に速かに増加されるであろう。
(七一)もし金が一国のみの生産物であり、かつそれが普遍的に貨幣として用いられるならば、かなりの多額の租税がそれに賦課され得、それが、人々が金を製造業において及び什器のために用いるに比例しての他は、いかなる国の負担する所ともならないことがあろう。貨幣として用いられる部分に対しては、多額の租税が収納されても、何人もそれを支払わないであろう。これは貨幣に特有な
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