dは極めて不平等な租税であり、そしてアダム・スミス(編者註)によればすべての租税がそれに一致しなければならない租税一般に関する四公理の一つに反するであろう。この四公理は次の如くである。
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一、『あらゆる国家の臣民は彼らの各々の能力に出来得る限り比例して政府の支持に寄与すべきである。
二、『各個人が支払わざるべからざる租税は確定的であるべく、恣意的であってはならない。
三、『あらゆる租税は、納税者にとりそれを支払うに最も便利なように思われる時または方法において、賦課せらるべきである。
四、『あらゆる租税は、それが国庫に齎す以上には出来るだけ少く人民の懐中から取り去りかつ出来るだけ少く人民の懐中以外にあらしめるように、工夫せらるべきである。』
(編者註)第五篇、第二章、(訳者註――キャナン版、第二巻、三一〇――三一一頁)。
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 無差別的にかつその地質の区別を無視してあらゆる耕地に課せられる平等な地租は、最も悪質の土地の耕作者によって支払われる租税に比例して穀価を騰貴せしめるであろう。質を異にする土地は、同一の資本を用いて、極めて異る分量の粗生生産物を産出するであろう。もし、一定の資本をもって一千クヲタアの穀物を産する土地に、一〇〇|磅《ポンド》の租税が課せられるならば、穀物は、農業者にこの租税を補償するために、一クヲタアにつき二シリング騰貴するであろう。しかし、より[#「より」に傍点]良き質の土地に同一の資本を用いれば、二、〇〇〇クヲタアが生産され得ようが、それは一クヲタアにつき二シリング騰貴した時には、二〇〇|磅《ポンド》を与えるであろう。しかしながら、租税は双方の土地に平等に課せられるからより[#「より」に傍点]良い土地に対しても劣等の土地に対すると同様に一〇〇|磅《ポンド》であろう、従って穀物の消費者は、啻に国家の必要費を支払うためにのみならず、更にまたその借地期限の間より[#「より」に傍点]良い土地の耕作者に一年につき一〇〇|磅《ポンド》を与え、またその以後には地主の地代をその額だけ高めるために課税されるであろう。かくてこの種の租税はアダム・スミスの第四の公理に反するであろう、すなわち、それは、それが国庫に齎した額以上を人民の懐中以外にあらしめるであろう。革命前のフランスにおけるタイユはこの種の租税であった。平民の保有地のみが課税され、粗生生産物の価格は租税に比例して騰貴し、従ってその所有地の課税されなかった人々は彼らの地代の増加によって利益を受けた。粗生生産物に対する租税並びに十分一税は、この反対論から免れる。それらは、粗生生産物の価格を騰貴せしめるが、しかしそれらは、各々の質の土地に、その実際の生産物に比例して納税させ、そして生産力の最小なるものの生産物に比例しては納税させないのである。
 アダム・スミスが地代についてとった特殊な見解からして、すなわち、あらゆる国において、何らの地代もそれに対して支払われない土地に多くの資本が投ぜられていることを、彼が観察しなかったことからして、彼は、土地に対するすべての租税は、それが地租または十分一税の形において土地そのものに対して賦課せられようと、または農業者の利潤から徴収されようと、すべて常に地主によって支払われるものであり、そして租税は一般に名目上借地人によって前払されてはいるが、すべての場合において地主が真実の納税者である、と結論した。彼は曰く、『土地の生産物に対する租税は実際においては地代に対する租税である。そしてそれは初めは農業者によって前払されるかもしれぬが、終局的には地主によって支払われる。生産物の一定部分が租税として払い出さるべき時には、農業者は出来るだけ詳しくこの部分の価値が年々|幾何《いくばく》に上りそうであるかを計算し、そして彼が地主に対して支払うことを同意している地代をそれに比例して減額する。この種の地租たる教会十分一税が年々幾何に上りそうであるかをあらかじめ計算しない農業者はない。』(訳者註)農業者が彼れの農場の地代について彼れの地主と約定する時にあらゆる種類の蓋然的支出を計算することは疑いもなく真実である。そしてもし教会に支払われる十分一税に対し、または土地の生産物に対する租税に対して、彼がその農場の生産物の相対価値の騰貴によって補償されないならば、彼は当然にそれを彼れの地代から控除せんと努めるであろう。しかしまさにこれが、すなわち、彼は結局それを彼れの地代から控除するであろうか、または生産物の価格騰貴によって補償されるであろうか、ということが、論争のある問題なのである。既に述べた理由により、私は彼らが生産物の価格を引上げるであろうことを、従ってアダム・スミスはこの重要な問題について誤れる見解をとっていたことを、少しも疑い得ないのである。
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(訳者註)キャナン版、第二巻、三二一頁。
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 スミス博士のこの主題に関する見解がおそらく彼をして次の如く述べしめた理由である、すなわち、『十分一税、及びこの種のあらゆる他の地租は、完全な平等の外観を有ちながら極めて不平等な租税であり、それは、生産物の一定分量も、事情の異る場合には、はなはだ異る分量の地代に相当するからである。』(訳者註)かかる租税は重さを異にして農業者または地主の異る階級の負担する所とはならないが、けだし彼らは共に粗生生産物の騰貴によって補償され、そして単に彼らが粗生生産物の消費者たるに比例してこの租税を納付するに過ぎないからである、ということを、私は説明せんと努力し来った。実に労賃が、そして労賃を通じて利潤率が、影響を蒙る故に、地主はかかる租税に対し彼らの十分な分前を納付せず特に免除された階級なのである。その基金が不十分なために租税を支払い得ない所の労働者の負担に課せられる租税部分が引き出されるのは、資本の利潤からである。この部分は資本の使用によりその所得を得るすべての者のもっぱら負担する所であり、従ってそれは毫も地主に影響を及ぼさない。
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(訳者註)キャナン版、同上。
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(六八)十分一税及び土地と生産物とに対する租税に関するこの見解からして、それらは耕作を阻害しないと推論してはならぬ。極めて一般的に需要されているいかなる種類でもの[#「でもの」はママ]貨物の交換価値を騰貴せしめるあらゆるものは、耕作及び生産の両者を阻害する傾向がある。しかしこれはあらゆる課税から免れ得ぬ害悪であり、そして吾々が今論じている特定の租税に限られるものではない。
 このことはもちろん国家によって受領されかつ支出されるすべての租税に伴う不可避的な不利益と考え得よう。あらゆる新労働の一部分は今や国家の自由になし得る所となり、従って生産的に使用され得ない。この部分が極めて大となり、そのために、通常彼らの貯蓄によって国家の資本を増大する者の努力を刺戟するに足る剰余生産物が、残されなくなるであろう。課税は幸《さいわい》にして、未だいかなる自由国家においても、不断に年々その資本を減少せしめるほどに行われたことはない。かかる課税状態は久しく耐えられ得ないであろう。またはもし耐えられたとしても、それは極めて多くの国の年々の生産物を吸収し、ために最も広大なる範囲の窮乏、飢饉、及び人口減少を惹起すに至るであろう。
 アダム・スミスは曰く、『大英国の地租の如くに、各地方において一定不変の標準によって課せられる地租は、その最初の設定の時には平等であっても、時を経るにつれ国の種々なる地方の耕作の改良または等閑の程度の不平等なのに従って、必然的に不平等になる。英国においては、種々なる州及び教区がウィリアム及メアリの第四年の法律によって地租の課せられた基準となった評価は、その最初の設定の時ですら、極めて不平等であった。従ってこの租税はそれだけ上述の四公理の第一のものに反するものである。それは他の三つには完全に合致する。それは完全に確実である。その租税の支払期が地代の支払期と同一であることは、納税者にとり最も便利である。地主がすべての場合において真実の納税者ではあるけれども、この租税は普通借地人によって前払され、地主は彼に対して地代の支払においてそれを差引かなければならないのである。』(訳者註)
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(訳者註)キャナン版、三一三頁。
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 もし借地人によって租税が地主にではなく消費者に転嫁されるならば、しかる時は、もしそれが最初に不平等でないならば、それは決して不平等にはなり得ない。けだし生産物の価格は租税に比例して直ちに引上げられたのであり、そしてその故をもってその以後にもはや変化することはないであろうからである。もし不平等であるならば、私はそうであろうことを証明せんと試みたのであり、それは上述の第四の公理に反するであろうが、しかし第一の公理には反しないであろう。それは国庫に齎す額以上を人民の懐中から取り去るであろうが、しかしそれは不平等に納税者のある特定階級の負担する所とはならないであろう。セイ氏は、次の如く言う時に、英国の地租の性質及び結果を誤解しているように私には思われる、『多くの人は英国農業の大繁栄をこの固定的評価に帰している。それがこれにはなはだ多く寄与したことには、疑いは有り得ない。しかし小商人に向って次の如く云う政府には、吾々は何と云うべきであろうか、すなわち、「小さな資本をもって君は小さな商売を営んでいる、そしてその結果君の直接納税は極めて小である。資本を借り入れかつ蓄積せよ。君の商売が巨大な利潤を君に齎すように、それを拡張せよ、しかも君にはより[#「より」に傍点]多くの納税はさせないであろう。しかのみならず君の相続者が君の利潤を相続し、かつそれを更に増加せしめる時に、君の場合よりも彼らの場合にその評価をより高く[#「高く」に傍点]はしないであろう。そして君の相続者はより[#「より」に傍点]多額の公の負担を負わせはしないであろう」と。
『疑いもなく、これは製造業及び取引に対して与えられる大なる奨励であろう。しかしそれは正当であろうか? それらの進歩はある他の代価によって得ることを得ないであろうか? 英国自身において、製造業及び商業はこの時期以来、かくも多くの差別待遇を受けることなくて、かえってより[#「より」に傍点]大なる進歩をすらなしはしなかったか? 一地主は彼れの勤勉や節約や熟練によって彼れの年収入を五、〇〇〇フランだけ増加するとする。もし国家が彼からその増加された所得の五分の一を請求するとしても、彼れのより[#「より」に傍点]以上の努力を刺戟すべく四、〇〇〇フランの増加が残らないであろうか?』(編者註)
 セイ氏は、『一地主は彼れの勤勉や節約や熟練によって彼れの年収入を五、〇〇〇フランだけ増加する』(編者註)と想像している。しかし一地主は彼がそれを自身耕作せざる限り、彼れの勤勉や節倹や熟練を彼れの土地に用うべき何らの手段をも有たない。そしてその場合には彼が改良をなすのは資本家及び農業者たる資格においてであって、地主たる資格において[#「て」は底本では欠落]ではない。まず彼れの農場に用いられる資本の分量を増加することなくして、彼が彼として有つ任意の特殊な[#「特殊な」に傍点]熟練によってその生産物をかく増加し得ようとは考えられない。もし彼が資本を増加したとしても、彼れのより[#「より」に傍点]大なる収入は彼れの増加された資本に対して、あらゆる他の農業者の収入が彼らの資本に対すると同一な比例を保つであろう。
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(編者註)『経済学』第三篇、第八章、三五三――四頁。
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 もし、セイ氏の教える所に従い、そして国家は農業者の増加せる所得の五分の一を請求すべきであるとするならば、それは農業者に対する局部的租税となり、彼らの利潤には影響を及ぼすけれども、他の職業の者の利潤には影響を及ぼ
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