tだけより[#「より」に傍点]多く支払おうと、それはほとんどどうでもよいことである。もし一〇〇|磅《ポンド》が国家の経費に対する私の正当なる割当であるならば、課税のなすべきことは、私をしてそれ以上でもそれ以下でもなくまさに一〇〇|磅《ポンド》を確実に支払わしめることである。そしてそれは労賃か利潤かまたは粗生生産物に対する租税によって最も確実に行われ得るのである。
(六一)第四のそして注意すべき最後の反対論は、粗生生産物の価格を引上げることによって、粗生生産物が入っているすべての貨物の価格は引上げられ、従って、吾々は一般市場において外国製造業に平等な条件で対抗し得ないであろう、というのである。
第一に、穀物及びすべての[#「すべての」に傍点]内国貨物は、貴金属の流入なくしては価格において著しく高められ得ないであろう、けだし同一量の貨幣は高い価格においても低い価格の場合と同様に同一量の貨物を流通せしめ得ず、そして貴金属は決して高価な貨物をもっては購買され得ないであろうからである。より[#「より」に傍点]多くの金が必要とされる時には、それはそれと交換してより[#「より」に傍点]少い貨物ではなくより[#「より」に傍点]多くの貨物を与えることによって、取得されなければならない。貨幣の不足は紙幣によっても満《みた》され得ないであろう、けだし貨物としての金の価値を左右するものは紙幣ではなく、紙幣の価値を左右するものは金であるからである。しかる時は金の価値が引下げられ得ない限り、減価されずして紙幣は流通に加えられ得ないであろう。そして金の価値が引下げられ得ないであろうことは、吾々が一貨物としての金の価値は、それと交換に外国人に与えられねばならぬ財貨の分量によって左右されなければならぬことを考える時に明かになる。金が低廉である時には貨物は高く、そして金が高い時には貨物は低廉であり、価格において下落する。さて外国人が彼らの金を通常よりもより[#「より」に傍点]安く売るべき原因は何ら示されていないのであるから、少しでも金の流入が起ろうとは思われない。かかる流入なくしては、その量の増加は、その価値の下落は、財貨の一般価格の騰貴は、あり得ないのである(註)。
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(註)単に租税のみによって価格が騰貴した貨物が、その流通のためあるより[#「より」に傍点]多くの貨幣を必要とするか否かは、疑い得よう。私はそれを必要としないであろうと信ずる。
[#ここで字下げ終わり]
粗生生産物に対する租税の蓋然的結果は、粗生生産物の及び粗生生産物が入り込めるすべての貨物の価格を騰貴せしめることであろうが、しかしその程度は決して租税に比例しない。しかるに金属や土で造った物の如き何らの粗生生産物も入り込まぬ他の貨物は価値において下落するであろう。従って以前と同一量の貨幣が全流通に対し適当であるであろう。
すべての内国生産物の価格を高める結果を有つべき租税は、はなはだ短い期間を除けば輸出を阻害しないであろう。もしそれが国内で価格において高められるならばそれは実際直ちに有利に輸出されることを得ないであろう、けだしそれは国内において外国では免れている負担を蒙るからである。この租税はすべての国に一般でありかつ共通であるものではなくして、ある一単独国に限られている所の貨幣価値の変動と、同一の結果を生み出すであろう。もしも英国がその国であるとするならば、英国は売却することは出来ないかもしれぬが、購買することは出来るであろう、けだし輸入される貨物は価格において騰貴しないであろうからである。かかる事情の下においては、貨幣以外に何物も外国貨物と引換えに輸出され得ないであろうが、しかしこれは久しく続き得ない取引である。一国民はその貨幣を消尽してしまうことは出来ない、けだし一定量がその国民を去った後にはその残りのものの価値は騰貴し、そしてその結果として貨物の価格は、それが再び有利に輸出され得るように変動するであろうからである。従って貨幣が騰貴した時には吾々はもはや財貨と引換えにそれを輸出せずして、吾々はまずその原料たる粗生生産物の価格の騰貴によって価格が騰貴し次いで再び貨幣の輸出によって下落した所の製造品を、輸出するであろう。
しかし、貨幣が価値においてかくの如く騰貴した時には、それは内国貨物に関してと同様に外国貨物に関しても騰貴するであろうし、従って、外国財貨の輸入に対するあらゆる奨励が停止するであろう、という反対がなされるかもしれない。かくて吾々が外国において一〇〇|磅《ポンド》を費しそして我国において一二〇|磅《ポンド》に売れる財貨を輸入したと仮定するならば、貨幣価値が英国において騰貴せる結果それが単に一〇〇|磅《ポンド》に売れるに過ぎなくなった時には、吾々はそれを輸入することを止めるであろう。しかしながらこのことは決して起り得ないであろう。一貨物を輸入することを吾々に決心せしめた動機はそれが外国においては相対的に低廉であることを発見したにある。それは外国でのその価格と内国でのその価格との比較である。もし一国が帽子を輸出し毛織布を輸入するとすれば、そうする理由は帽子を造ってそれを毛織布と交換することにより、毛織布を自国で造る場合よりもより[#「より」に傍点]多くの毛織布を取得することが出来るからである。もし粗生生産物の騰貴が帽子の製造における生産費の増加を齎すならば、それは毛織布の製造における費用の増加をも齎すであろう。従って、もし双方の貨物が国内において造られるならば、それらは双方共に騰貴するであろう。しかしながら一方は、吾々が輸入する貨物であるから、貨幣価値が騰貴した時にも、騰貴もしなければ下落もしないであろう。けだし下落せざることによって、それは輸出貨物に対するその自然的関係を恢復するであろうからである。粗生生産物の騰貴は帽子をして三〇シリングから三三シリングに、または一〇%騰貴せしめる。同一の原因はもし吾々が毛織布を製造していたならば、それを一ヤアルにつき二〇シリングから二二シリングに騰貴せしめるであろう。この騰貴は毛織布と帽子との関係を破壊するものではない。一箇の帽子は一ヤアル半の毛織布に値したし、また引続きそれに値する。しかしもし吾々が毛織布を輸入するならば、その価格はまず貨幣価値の下落によって影響を蒙らず、次いでその騰貴によって影響を蒙らずして、引続き一様に一ヤアルにつき二〇シリングであろう。しかるに三〇シリングから三三シリングに騰貴している帽子は再び三三シリングから三〇シリングに下落するであろう、そしてこの点において毛織布と帽子との間の関係は恢復されるであろう。
この問題の考察を簡単にするために、私は、粗生原料品の価値の騰貴は、すべての内国貨物に等しい割合で影響を及ぼすものであり、すなわちもし一貨物に対して及ぼす影響がそれを一〇%騰貴せしめることであるならば、それはすべての貨物を一〇%騰貴せしめるであろうと、仮定して来たが、しかし貨物の価値が粗生原料品及び労働から出来上っている割合は極めて異っており、またある貨物例えば金属から造られているすべてのものは、地表からの粗生生産物の騰貴によって影響を受けないであろうから、粗生生産物に対する租税によって貨物の価値に対し及ぼされる影響には各種各様の最大の種類があることは明かである。この影響が生み出される限り、それは特定貨物の輸出を奨励したり阻害したりし、そして疑いもなく、貨物の課税に伴うと同一の不便を伴うであろう。それは各々の価値の間の自然的関係を破壊するであろう。かくて一箇の帽子の自然価格は、一ヤアル半の毛織布と同一ではなくして、単に一ヤアル四分の一の価値を有つに過ぎないか、または一ヤアル四分の三の価値を有つことになり、従ってむしろ異る方向が外国貿易に対して与えられるであろう。すべてのこれらの不便はおそらく輸出品及び輸入品の価値[#「価値」に傍点]に影響を及ぼさないであろう。それは単に全世界の資本の最上の分配を妨げるに過ぎないであろうが、かかる分配は、あらゆる貨物が人為的制限によって束縛されずに自由にその自然価格に落着くに委ねられる時に最も適宜に調整されるのである。
しからばたとえ我国自身の貨物の大抵のものの騰貴が、一時の間一般に輸出を妨げ、そして永続的に若干の貨物の輸出を妨げるとしても、それは外国貿易を大いに妨げることは出来ず、そして外国市場における競争に関する限りにおいては吾々を他に比較して不利益な地位に置くことはないであろう。
[#改ページ]
第十章 地代に対する租税
(六二)地代に対する租税は地代にのみ影響を及ぼすであろう。それは全然地主の負担する所となり、そしていかなる消費者階級へも転嫁され得ないであろう。地主は、最も不生産的な耕地から得られる生産物とあらゆる他の質の土地とから得られるそれとの間の差違を不変にしておくであろうから、その地代を高め得ないであろう。第一、第二、及び第三の三種の土地が耕作されており、そして各々同一の労働をもって、一八〇、一七〇、及び一六〇クヲタアの小麦を産出する。しかし第三等地は何ら地代を支払わず、従って課税されない。かくて第二等地の地代は十クヲタアの価値を、また第一等地のそれは二十クヲタアの価値を、超過せしめられ得ない。かかる租税は粗生生産物の価格を高め得ないが、それは、第三等地の耕作者は地代もまた租税も支払わないから、彼は決して生産された貨物の価格を高め得ないからである。地代に対する租税は新しい土地の耕作を阻害しないであろう、けだしかかる土地は地代を支払わず、かつ課税されないであろうから。もし第四等地が耕作されるに至り、そして一五〇クヲタアを産出するとしても、いかなる租税もかかる土地に対して支払われないであろうが、しかしそれは第三等地に十クヲタアの地代を発生せしめ、かくて第三等地は租税を支払い始めるであろう。
(六三)地代が構成されるにつれて地代に課せられる租税は、耕作を阻害するであろうが、けだしそれは地主の利潤に対する一租税となるであろうからである。土地の地代なる言葉は、私が他の場所で論じた如くに、農業者がその地主に支払う価値の全額に適用されているが、その一部のみが厳密には地代なのである。建物や造作、及び地主の支払うその他の費用は、厳密には農場の資本の一部をなし、そして地主によって供給されなければ借地人によって備えられねばならなかったものである。地代とは土地の使用に対しそして土地の使用に対してのみ、地主に支払われる額である。地代の名の下に支払われるより[#「より」に傍点]以上の額は建物等の使用に対するものであり、そして実際は地主の資本の利潤である。地代に課税する際には土地の使用に対し支払われる部分と、地主の資本の使用に対し支払われるそれとの間には、何らの区別もされないであろうから、租税の一部分は地主の利潤の負担する所となり、従って、粗生生産物の価格が騰貴しない限り、耕作を阻害するであろう。その使用に対しては何らの地代も支払われない土地においては、地主に対し彼れの建物の使用に対して、その名の下にある補償が与えられるであろう。粗生生産物が売られる価格が、啻にすべての通常の支出を支払うのみならず、更に租税というこの附加的支出を支払うまでは、これらの建物が建てられることもないであろうし、また粗生生産物がかかる土地に栽培されることもないであろう。租税のこの部分は地主の負担にも農業者の負担にも帰せず、粗生生産物の消費者の負担する所となる。
もしも租税が地代に課せられるならば、地主は直ちに、土地の使用に対して彼らに支払われるものと、建物の使用及び地主の資本によってなされた改良に対して支払われるものとを、弁別する方法を発見するであろうことは、ほとんど疑いはあり得ない。後者が家屋及び建物の賃料と呼ばれるに至るか、または耕作されるに至ったすべての新しい土地においては、地主によってではなく借地人によって、かかる建物が建てられかつ改良が
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