サれを受取る者によっては単に名目的であるに過ぎない。それは穀物市場における競争を増加せしめ、そしてその終局的政策は穀物の栽培者と商人の利潤を高めることである。労働の労賃は実際は、必要品の供給と需要、及び労働の供給と需要との間の比例によって左右される。そして貨幣は単に労賃を言表わす媒介物または尺度であるに過ぎない。しからばこの場合においては、附加的食物の輸入によるかまたは最も有用な代用品の採用による他は、労働者の困厄は不可避的であり、そしていかなる立法も救済を与え得ないのである。
穀物の高き価格が需要増加の結果である時には、それは常に労賃の騰貴によって先行される、けだし需要は、その欲する物に対して支払うべき人民の資力の増加なくしては、増加し得ないからである。資本の蓄積は当然に、労働の雇傭者の間の競争を増加せしめ、そしてその結果たる労働の騰貴を惹起す。労賃の騰貴は、常に必ずしも直ちに食物に費されるとは限らず、最初には労働者の他の享楽に寄与せしめられる。しかしながら、彼れの境遇の改善は、彼を誘って結婚せしめ、またそれを可能ならしめる。しかる時は彼れの家族の支持のための食物に対する需要は当然に、彼れの労賃が一時費された他の享楽品に対する需要を排除する。かくて穀物は、それに対する支払の資力をより[#「より」に傍点]多く有つ者が社会にあるためそれに対する需要が増加するから、騰貴する。そして農業者の資本の利潤は一般水準以上に高められ、ついに必要な資本量がその生産に用いられるに至るであろう。このことが起った後に穀物が再びその以前の価格にまで下落するか、または引続き永続的により[#「より」に傍点]高くあるかは、それより穀物の分量増加が供給された土地の質に依存するであろう。もし、それが、最後に耕作された土地と同一の肥沃度を有つ土地から、またより[#「より」に傍点]大なる労働の支出なしに、得られるならば、価格はその以前の状態にまで下落するであろう。もしより[#「より」に傍点]貧しい土地からであるならば、それは引続き永続的により[#「より」に傍点]高いであろう。第一の場合の高き労賃は労働に対する需要の増加から起ったものである。それが結婚を奨励し子供を支持したが故にそれは労働の供給を増加するの結果を生み出したのである。しかしこの供給が得られた時には、もし穀物がその以前の価格まで下落したならば、労賃は再びその以前の価格にまで下落し、もし穀物の供給の増加が、より[#「より」に傍点]劣等の質の土地から生産せられたならば以前の価格よりより[#「より」に傍点]高い価格にまで下落するであろう。高き価格は決して豊富な供給と両立し得ないものではない。価格が永続的に高いのは、分量が不足であるからではなく、その生産費が増加したからである。人口に刺戟が与えられた時には、その場合に必要とされる以上の結果が生み出されるということは、実際一般に起る所である。人口は、労働に対する需要の増加にかかわらず、労働者を支持するための基金に対して資本の増加の前よりもより[#「より」に傍点]大なる比例を有つほどに増加され得ようし、また事実一般に増加されたのである。この場合には反動が起り、労賃はその自然的水準以下となり、そして供給と需要との間の通常の比例が囘復されるまでは引続きそれ以下にあるであろう。しからばこの場合においては、穀価の騰貴は労賃の騰貴によって先行され、従ってそれは労働者に何らの困厄をも蒙らせないのである。
鉱山からの貴金属の流入の結果たる、または銀行の特権の濫用による、貨幣価値の下落は、食物の価値騰貴に対するもう一つの原因である。しかしそれは生産される分量には何らの変動をも起さないであろう。それは労働者の数も彼らに対する需要も同一にしておく。けだし資本の増加も減少もないであろうからである。労働者に割当てられるべき必要品の分量は、労働の比較的需給に対する必要品の比較的需給に依存する。貨幣はそれによってこの分量が現わされる媒介に過ぎない。そしてこれらの両者のいずれもが変動していないから、労働者の真実の報酬は変動しないであろう。貨幣労賃は騰貴するであろうが、しかしそれは単に彼をして以前と同一の必要品量を手に入れることを得さしめるに過ぎないであろう。この原理を論難しようとする者は、何故《なにゆえ》に、貨幣の増加は、分量の増加しなかった労働の価格をを騰貴せしめるという同一の結果を有たないかということを、説明すべきである、けだし彼らは、もし靴や帽子や穀物の分量が増加しなかったならば、それらの貨物の価格に対し、それは同一の結果を有つであろうということを、認めているからである。帽子と靴との相対的市場価値は、靴の需給と比較しての帽子の需給によって左右され、そして貨幣はこれらの貨物の価値を言い現わす媒介に過ぎない。もし靴が価格において二倍となるならば、帽子もまた価格において二倍となるであろう、そして両者は同一の相対価値を保持するであろう。同様に、もし穀物及び労働者のすべての必要品が価格において二倍となるならば、労働もまた価格において二倍となるであろう、そして必要品及び労働の通常の需給に対し何らの妨げも存しない間は、それらがその相対価値を保持しないという理由はあり得ないのである。
貨幣価値の下落も粗生生産物に対する租税も、その各々は価格を引上げるであろうが、粗生生産物の分量を、またはそれを購買することが出来、かつそれを消費せんと欲する者の数を、必然的[#「必然的」に傍点]に妨げるわけではないであろう。何故《なにゆえ》に、一国の資本が不規則に増加する時に、労賃は騰貴するがしかるに穀価は静止しまたはより[#「より」に傍点]少い比例で騰貴するかを、そして何故《なにゆえ》に、一国の資本が減少する時に、労賃は下落するがしかるに穀価は静止しまたは遥かにより[#「より」に傍点]少い比例で下落し、しかもこのことがかなりの期間そうであるかを、了解することは、極めて容易である。その理由は、労働は随意に増減し得ない貨物であるからである。もし需要に対し市場に余りに少い帽子しかないならば、価格は騰貴するであろうが、しかしそれは単に短い期間に過ぎない。けだし一年経てば、より[#「より」に傍点]多くの資本をその職業に用いることによって、帽子の分量がある適当な量だけ増加され、従ってその市場価格は久しくその自然価格を極めて甚しく超過し得ないからである。しかし人間の場合はこれと異る。人は彼らの数を、資本の増加がある時に一二年で増加することは出来ず、またその数を、資本が退歩的状態にある時に急速に減少することも出来ない。従って、人間の数は遅々として増加するが労働維持のための基金は速かに増減するのであるから、労働の価格が穀物及び必要品の価格によって正確に規制されるまでにはかなりの時の隔りがなければならない。しかし貨幣の下落、または穀物に対する租税の場合には、必ずしも労働の供給の超過もなく、需要の減退もなく、従って労働者が労賃の真実の減少を受けるという理由はあり得ぬのである。
穀物に対する租税は必ずしも穀物の分量を減少せしめず、ただその貨幣価格を騰貴せしめるに過ぎない。それは必ずしも労働の供給と比較しての需要を減少せしめない。しからば何故《なにゆえ》にそれは労働者に支払われる分前を減少せしめなければならないか? それが労働者に与えられる分量を減少せしめるということを、換言すれば、租税が彼れの消費する穀物の価格を騰貴せしめると同一の比例においてそれは彼れの貨幣労賃を騰貴せしめるものではないということを、真実なりと仮定しよう。穀物の供給は需要を超過しないであろうか?――それは価格において下落しないであろうか? またかくて労働者は彼れの通常の分前を取得しないであろうか? かかる場合には実際、資本は農業から引き去られるであろう、けだしもし価格が租税の金額だけ騰貴しないならば、農業利潤は利潤の一般水準よりもより[#「より」に傍点]低くなるであろうし、そして資本はより[#「より」に傍点]有利な用途を探求するであろうからである。かくて問題の点たる粗生生産物に対する租税に関しては、粗生生産物の価格の騰貴と労働者の労賃の騰貴との間には、労働者に対して圧迫する時期はなく、従ってこの階級がある他の課税方法によって蒙る不便、換言すれば、租税が労働の支持のために向けられた基金を害し従って労働に対する需要を妨げまたは減少するかもしれぬという危険の他には、彼らは何らの不便をも蒙らないであろうと、私には思われるのである。
(六〇)粗生生産物に対して課せられる租税に対する第三の反対論、すなわち労賃の引上と利潤の引下とは蓄積の阻害であり、そして土壌の自然的疲瘠と同様の作用をする、という反対論に関しては、私は、本書の他の部分において、貯蓄は、生産からと同様に有効に支出から、利潤率の騰貴からと同様に有効に貨物の価値の下落から、なされ得ようことを、示さんと努めた。物価が引続き同一である時に私の利潤を一、〇〇〇|磅《ポンド》から一、二〇〇|磅《ポンド》に増加せしめることによって、私が貯蓄によって資本を増加する力は増加されるけれども、しかしこの力は、私の利潤は引続き以前と同一であるが貨物が価格において下落したために以前には一、〇〇〇|磅《ポンド》で購買しただけの分量を八〇〇|磅《ポンド》で取得し得るに至った場合ほどには、増加されないであろう。
さて、租税によって要求される額は徴収されなければならない、そこで問題は単にこの額は個人の利潤を減少せしめることによって個人から徴収せらるべきであるか、または彼らの利潤がそれに支出される貨物の価格を引上げることによって徴収せらるべきであるか、ということである。
課税はいずれの形においても諸害悪についての一選択であるに過ぎない。もしそれが利潤その他の所得の源泉に影響を及ぼさなければ、それは支出に影響を及ぼすに相違ない。そして負荷が平等に負担されかつ再生産を圧迫しない限り、それはいずれに賦課されても構わない。生産に対する租税または資本の利潤に対する租税は、直接に利潤に対し課せられようと、または土地あるいは土地の生産物に対して課税することにより、間接に課せられようとに論なく、他の租税以上にこの得点を有っている、すなわちすべての他の所得が課税されぬ限り、社会のいかなる階級もそれを免れ得ず、そして各人はその資力に応じて納税するのである。
支出に対する租税は吝嗇家《りんしょくか》が遁《のが》れるであろう。彼は毎年一〇、〇〇〇|磅《ポンド》の所得を有ち、そして単に三〇〇|磅《ポンド》を費すに過ぎないであろう。しかし直接的のものであろうと間接的のものであろうと利潤に対する租税からは、彼は遁れ得ない。彼は、その生産物の一部分、またはその一部分の価値を、抛棄して、納税することになるであろう、しからざれば生産に欠くべからざる必要品の価格の騰貴によって、彼は以前と同一の率で蓄積を続け得なくなるであろう。もちろん彼は同一の価値を有つ所得を得るであろうが、しかし彼は、労働に対する同一の支配力も有たず、またはそれにかかる労働が用いられ得る原料品の等しい分量に対する同一の支配力をも有たないであろう。
もし一国がすべての他国より孤立し、その隣国のいずれとも商業をしないならば、それは決してその租税のいかなる部分をも他国に転嫁し得ない。その土地と労働との生産物の一部分は、国家の用に供せられるであろう。そして私は、それが蓄積しかつ貯蓄する階級に対し不平等の圧迫を加えぬ限り、租税が利潤に課せられようと、農業貨物に課せられようと、または製造貨物に課せられようと、それはほとんどどうでもよいと考えざるを得ない。もし私の収入が一年につき一、〇〇〇|磅《ポンド》であり、そして私は一〇〇|磅《ポンド》に当る額の租税を支払わなければならぬとすれば、私がそれを私の収入から支払って九〇〇|磅《ポンド》を手許に残そうと、または私の農業貨物または私の製造財貨に対し一〇〇|磅《ポンド
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