蛯ネる価値を含む所の一般に欲求される貨物を製造することに成功するならば、またはもしこの国のみが、一般に欲求されかつ他国が所有せぬある自然的生産物に恵まれているならば、この国は、この貨物と交換に金の附加的分量を取得するであろうが、それはこの国の穀物や家畜や粗布の価格に影響を及ぼすであろう。遠距離という不利益は、おそらく、大なる価値を有つ輸出貨物を有つという利益によって相殺されて余りあるであろう、そして貨幣は英国におけるよりもポウランドにおいて永続的により[#「より」に傍点]低い価値を有つであろう。もし反対に、技術及び機械の利益が英国によって所有されるならば、何故《なにゆえ》に金がポウランドにおけるよりも英国においてより[#「より」に傍点]少い価値を有ち、かつ何故《なにゆえ》に穀物や家畜や衣服が英国においてより[#「より」に傍点]高い価格にあるのかについての、もう一つの理由が、以前に存在した理由に附加されるであろう。
 以上が世界の異る国における比較的貨幣価値を左右するただ二つの原因であると私は信ずる。けだし、課税は貨幣の平衡を攪乱するけれども、それは課税されている国から、熟練、勤労、及び気候に伴う利益のあるものを奪うことによって、攪乱するのであるからである。
 貨幣の低き価値と、穀物その他の貨幣がそれと比較される貨物の高き価値とを、注意深く区別しようというのが、私の努力であった。この両者は、一般的には、同じことを意味するものと考えられ来った。しかし、穀物が一ブッシェルにつき五シリングから十シリングに騰貴する時には、それは貨幣価値の下落かまたは穀物の価値の騰貴かによるものであろうことは、明かである。かくて吾々は、増加しつつある人口を養わんがために逐次ますますより[#「より」に傍点]劣れる質の土地に頼らねばならぬ必要によって、穀物は他の物に対する相対価値において騰貴しなければならない、ということを見た。従ってもし引続き永続的に同一の価値を有つならば、穀物はかかる貨幣のより[#「より」に傍点]多くと交換され、換言すればそれは価格において騰貴するであろう。同一の穀価の騰貴は、吾々をして特殊の利便をもって貨物を造るを得せしめるべきような製造業の機械の改良によっても、惹起されるであろうが、それはけだし、貨幣の流入がその結果として起るであろうからである。それは価値において下落し、従ってより[#「より」に傍点]少い穀物と交換されるであろう。しかし穀物の高き価格の結果起る諸結果は、それが穀価の騰貴によって惹起された場合と貨幣価値の下落によって惹起された場合とでは、全然異っている。双方の場合において労賃の貨幣価格は騰貴するであろうが、しかしもしそれが貨幣価値の下落の結果であるならば、単に労賃及び穀物のみならず、更にすべての他の貨物も騰貴するであろう。製造業者は労賃としてより[#「より」に傍点]多くを支払わなければならぬとしても、彼れの製造財貨に対し彼はより[#「より」に傍点]多くを受取り、そして利潤率は依然影響を受けないであろう。しかし穀価の騰貴が生産の困難の結果である時には、利潤は下落するであろう、けだし製造業はより[#「より」に傍点]多くの労賃を支払うを余儀なくされ、そして彼れの製造貨物の価格の引上げによって補償を得ることが出来ないであろうから。
(五三)鉱山採掘の便宜における進歩によって貴金属類がより[#「より」に傍点]少い労働をもって生産され得るに至るならば、貨幣価値は一般に下落するであろう。その時にはそれはすべての国においてより[#「より」に傍点]少い貨物と交換されるであろう。しかしある特定の国が製造業において優越し、そのためその国への貨幣の流入が惹起される時には、その国においては他の国におけるよりも貨幣はより[#「より」に傍点]低く、そして穀物及び労働の価格は相対的により[#「より」に傍点]高いであろう。
 このより[#「より」に傍点]高い貨幣価値は為替相場によっては表示されないであろう。手形は、一つの国においては他国よりも穀物及び労働の価格が一〇%、二〇%、または三〇%だけより[#「より」に傍点]高くあっても、引続き額面で授受されるであろう。仮定された事情の下においてはかかる価格の差異は事理の当然であり、そして為替相場は、製造業に優越する国に十分な分量の貨幣が導入され、ためにその国の穀物及び労働の価格が引上げられる時においてのみ、平価にあり得るのである。もし外国が貨幣の輸出を禁止し、そしてかかる法律の遵守を強制することに成功するならば、その国は実際は、製造業国の穀物及び労働の価格騰貴を妨げ得るであろう。けだし、紙幣が用いられていないと仮定すれば、かくの如き騰貴は、貴金属の流入の後にのみ起り得るからである。しかしそれは為替相場がその国に著しく逆となるのを防ぎ得ないであろう。もし英国がこの製造業国であり、そして貨幣の輸入を妨げ得るとすれば、フランス、オランダ、及びスペインとの為替相場は、これらの国々に対して五%、一〇%、または二〇%逆になるであろう。
 貨幣の流通が強制的に停止され、そして貨幣がその正当な水準に落着くことを妨げられる時には、いつでも、為替相場の起り得べき変動には限りがない。その結果は持参人の要求に応じて正金と兌換され得ない紙幣が強制的に流通せしめられる時に随伴するものと同様である。かかる通貨は必然的に、それが発行される国に限定される。すなわちそれは過多の時といえども、一般に他国へは普及され得ない。流通の水準が破壊され、そして為替相場は不可避的に、紙幣量が過剰なる国に対し逆となるであろう。貿易の流れが貨幣に国外流出の動因を与えた時に、もし強制的な手段により遁《のが》れ得ざる法律によって貨幣が一国に留置かれるならば、金属貨幣流通の結果も右の紙幣の場合と同様であろう。
 各国がその当然有つべき貨幣量を正確に有っている時においても、多くの貨物についてそれは五%か一〇%かまたは二〇%も異っていようから、貨幣は実際その各々において同一の価値を有たないであろうが、しかし為替相場は平価であろう。英国における一〇〇|磅《ポンド》、または一〇〇|磅《ポンド》に含まれている銀は、フランスやスペインやオランダにおいて、一〇〇|磅《ポンド》の手形、または同一量の銀を購買するであろう。
 為替相場及び異る国における貨幣の比較価値を論ずるに当って、吾々は決して、その各国において貨物において評価された貨幣の価値に関説してはならない。為替相場は、穀物、毛織布、またはいかなる貨物において貨幣の比較価値を評価しても、確かめられるものではなく、それは一国の通貨の価値を他国の通貨において評価することによって確かめられるものである。
 それはまた、それと両国に共通なある標準に比較することによっても、確かめられ得よう。もし一〇〇|磅《ポンド》の英国宛手形がフランスかスペインにおいて、同額のハムブルグ宛手形が購買すると同一量の財貨を購買するならばハムブルグと英国との間の為替相場は平価である。しかしもし一三〇|磅《ポンド》の英国宛手形が、一〇〇|磅《ポンド》のハムブルグ宛手形と同じだけを購買するに過ぎないならば、為替相場は英国に対し三〇%逆である。
 英国において一〇〇|磅《ポンド》は、オランダにおいて一〇一|磅《ポンド》、フランスにおいて一〇二|磅《ポンド》、及びスペインにおいて一〇五|磅《ポンド》を受取る権利、すなわち手形を購買し得よう。その場合には英国との為替相場は、オランダにとり一%逆、フランスにとり二%逆、そしてスペインにとり五%逆、と言われる。それは、これらの国においては通貨の水準が当然あるべきよりもより[#「より」に傍点]高いことを示すものであり、そして英国のそれは、これらの国から通貨を引出すかまたは英国の通貨を増加せしめることによって、直ちに平価に囘復されるであろう。
 我国の通貨が最近十年間減価し、その間に為替相場は我国に二〇ないし三〇%逆となった、と主張した人々も、貨幣は一国において、種々なる貨物との比較において、他国におけるよりもより[#「より」に傍点]大なる価値を有ち得ないとは――彼らはかく主張したと非難されているが、――主張したのでは決してない。彼らは、一三〇|磅《ポンド》が、ハムブルグまたはオランダの貨幣で評価して、一〇〇|磅《ポンド》に含まれる地金よりもより[#「より」に傍点]多くの価値を有たない時には、それが減価せられざる限り、それは英国に留置され得ない、と主張したのである。
 一三〇|磅《ポンド》の純良な英国|磅《ポンド》貨幣をハムブルグへ送ることによって、五|磅《ポンド》の費用を要しても、私はハムブルグで一二五|磅《ポンド》を得るであろう。しからばハムブルグにおいて一〇〇|磅《ポンド》を私に与える手形に対し一三〇|磅《ポンド》を支払うことを私に承諾せしめるものは、私の磅《ポンド》が純良な磅《ポンド》貨幣でないということ以外の理由で有り得ようか? ――私の磅《ポンド》は減価せられたのであり、その内在価値においてハムブルグの磅《ポンド》貨幣以下に低下せしめられたのであり、そしてもし実際五|磅《ポンド》の費用でその地へ送られるならば一〇〇|磅《ポンド》にしか売れぬであろう。金属|磅《ポンド》貨幣をもってすれば私の一三〇|磅《ポンド》はハムブルグにおいて私に一二五|磅《ポンド》を与えるであろうが、しかし磅《ポンド》貨幣をもってすれば私は単に一〇〇|磅《ポンド》を取得し得るに過ぎないということは、否定されていないが、しかし紙幣での一三〇|磅《ポンド》は銀または金での一三〇|磅《ポンド》と等しい価値を有つ、と主張されたのである。
 ある人々は実際紙幣での一三〇|磅《ポンド》は金属貨幣での一三〇|磅《ポンド》と等しい価値を有たないと主張したが、それはより[#「より」に傍点]正当である。しかし彼らはその価値を変じたのは金属貨幣であって紙幣ではないと云った。彼らは、減価なる語の意味を実際の価格下落の場合に限定しようと欲し、そして貨幣の価値と法律によってそれを定める本位との比較的差違に限定しようとは欲しなかった。英国貨幣の一〇〇|磅《ポンド》は以前にはハムブルグ貨幣の一〇〇|磅《ポンド》と等しい価値を有ち、そしてこれを購買することが出来た。他のいかなる国においても、英国宛またはハムブルグ宛の一〇〇|磅《ポンド》手形は、正確に同一量の貨物を購買することが出来た。近頃は同一の物を取得するために、ハムブルグはハムブルグ貨幣の一〇〇|磅《ポンド》でそれを取得することが出来たのに、私は英国貨幣の一三〇|磅《ポンド》を支払うを余儀なくされた。かくてもし英国の貨幣は以前と同一の価値を有つならば、ハムブルグの貨幣が価値において騰貴したのに相違ない。しかしどこにこのことの証拠があるか? 英国の貨幣が下落したのかまたはハムブルグの貨幣が騰貴したのかは、いかにして確かめらるべきであるか? このことを決定し得る標準は無い。それは証拠を許さない推測であり、そして積極的に肯定することもまた積極的に否定することも出来ない。世界の諸国民は、夙《つと》に早くから、誤りなくそれに頼り得る価値の標準は本来ないことを確信しているに相違なく、従って彼らは、大体において他のいかなる貨物よりも変動しないように彼らに思われた媒介物を、選んだのである。
 法律が変更されるまで、そしてある他の貨物――その使用によって吾々が樹立した標準よりもより[#「より」に傍点]完全な標準を取得すべき所の貨物――が発見されるまで、吾々はこの標準に従わなければならない。金が我国においてもっぱら標準である間は、金が一般価値において騰貴すると下落するとにかかわらず、磅《ポンド》貨幣が本位たる金の五ペニウェイト三グレインと等しい価値を有たない時には、貨幣は減価されていることになるであろう。
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    第八章 租税について

(五四)租税とは、一国の土地及び労働の生産物の中、政府の処分に委ねられた所
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