蛾рフ結果を,古典論によつて抽象せられた波動とか粒子とかいふ概念によつて解釋して居ることであつて,何等矛盾ではない.即ち五感を通して得た古典的概念によつて,光とか電子とかいふ五感を超越した實在を律しようとすると,相補性に從つて其半面だけが把握せられるのものであつて,それが別々の實驗である以上矛盾ではない.寧ろ古典的概念の本質として半面しか表はし得ないといふのが量子論から云へば當然なのである.これで世紀に亙る波動説と粒子説との論爭も結末を告げることになつた.
所で量子力學の數式の解釋によると,光又は電子等の時間空間の傳播,運動の問題では確率が與へられるだけで,古典論のやうに個々の過程に於て因果律は成立しない.確率が與へられる結果として,因果律の成立するのは多くのものの統計的結果に對してだけである.此事は Heisenberg の不確定性原理から云つても,古典的因果律に反するものではない.といふのは古典的因果律が成立する爲には時間,空間,エネルギー,運動量の數値が全部正確に與へられる必要がある.所が不確定性原理に從へば,それは不可能なことなのであるから,事が因果的に運ばないのは寧ろ當然である.即ち量子論は古典的因果律を適用すべき範圍ではないのである.
そして統計的の結果は,量子力學の示す所によれば波動の形を採るものであるから,多くの光量子,多くの電子の體系が波動性を示すことになつて來る.之に反してエネルギー,運動量は量子力學にあつても,個々の過程に於て其不滅則の成立することが示される.從つて不滅則の關する限り個々の過程に於て古典的因果律が成立するのである.
以上の結論として時間空間の問題に於ては古典的因果律は成立せず,且つエネルギー,運動量は問題の表面に現はれて來ない.これに反しエネルギー,運動量の問題に於ては因果律は成立するが,時間空間の問題は全く不明である.古典論に於ては時間空間の問題が因果的に記述せられたのであるが,量子論に於てはこれが兩立せず,只一方だけが當面の問題となるもので,而かも二つの半面が全實在を構成し,極限に於ては合して古典論となることからして相補性の名が生れたのである.そして此相補の關係にある二つの半面は互に排除的であつて,一方が問題となる時は他方は隱れて了ふものなのである.これを Heisenberg の不確定性原理が數學的に表はして居る.
量子論の此半面性乃至は古典的因果律の不成立といふことは,人によつては甚だ不滿足であると考へて居るやうであるが,これは吾人の抱く物理的觀念の本質として止むを得ぬ事態である.吾人の觀念は巨視的事象から抽象せられたものであつて,それを微視的實在に適用するから此やうな事態に立ち至るのである.而かもこれは古典論の極めて自然な擴張と見らるべきものであるから,寧ろ滿足すべきものである.
ところが人によつては吾人の古典的觀念を捨てて,何か新しい觀念を用ひれば,半面性並に古典的因果律の不成立が避け得られるであらうと考へるやうであるが,之は全くの誤であつて,吾人の物理的觀念なるものは巨視的世界に於ける事象を經て形成せられるより外に方法はないのであるから,今日の結果は極めて順調にして正當な發展と見るべきである.吾人のもつ觀念,例へば時間とか位置とか,又エネルギーとか運動量などを適用する限りは,どうしても個々の運動は確率で規定せられるより外はないのである.
これ等古典觀念と量子論との關係に就いては,後に述べる Bohr の形式と内容とに關する言葉こそ,洵に味ふべきものである.
*[#「*」は上付き小文字] 論文 (47), (48), (51), (53) 參照.
**[#「**」は上付き小文字] ΔxΔpx[#「x」は下付き小文字]※[#同相、1−2−78]ΔyΔpy[#「y」は下付き小文字]※[#同相、1−2−78]ΔzΔpz[#「z」は下付き小文字]※[#同相、1−2−78]h.
***[#「***」は上付き小文字] 論文 (34), (35) 參照.
§8. 他の領域に於ける相補性*[#「*」は上付き小文字].
宇宙を構成する物質の窮極世界に行はれる法則が,生物現象又は精神現象と一脈相通ずる所があるのは,孰れも廣い意味に於ける自然現象の一面であるといふ見方から云へば,或は當然かも知れないが眞に興味あることである.そして前にも述べたやうに,物質の究極に達する Bohr の勘は,生物界乃至は精神界にも通じたのである.それは相補性なる事態が,物質以外の他の世界にもあることを指摘したことである.勿論今日の所ではそれは單なる類推に過ぎないで,その間には何の因果的關係も存在しない.從つて目下の所では,單純なる物理學の事態から推して複雜なる他の領域の問題の理解を易からしめ,又果てしなき無用の論爭を避けて新しい見方を教へるといふに止つて居る.然しこれ等類推の裏には,更に深く且つ廣い共通の基礎が横はつて居るのかも知れない.これは恐らく遠い將來の研究に俟つべき問題であらう.
それは兎も角,Bohr は生命と今日の原子物理學的方法とが互に相補の關係にあること,從つて生命は物理學的には解けぬ實在として取扱ふべきものであること,恰も Planck の作用量子が古典論では解けぬ實在として扱はれると同樣であることを先づ指摘した.
心理學に於ても同樣の事態が存在する.例へば自己の心理現象を觀察することは,その心理現象その物とは互に相補の關係にあつて,觀察のために現象が變化する.自由意志の存在が因果的に説明出來ないのは,やはり自己の意思の觀察に於て,既述の通り主觀と客觀とが互に作用して分けられないからであつて,これは恰度量子論に於て凡ての量が同時に觀測出來ないから因果的の記述が出來ないのと同樣である.又生物學に於て,生命現象を原子物理學的に記述出來ないのも類似の事態によるのであつて,生物體は新陳代謝が行はれて居る爲に,これを原子物理學的に規定することが出來ない.即ちどれだけの原子が其生物に屬し,又どれだけが生物體外のものであるかが決められない.規定することが出來なければ原子物理學を適用する手掛りを失ふわけである.
又思想と感情,理性と本能といふ對立的心理現象の存在も互に相補の關係にあつて,一方の存在する所他方が隱れて了ふのは,自己觀察の特性の然らしむる所である.
吾人の用ふる言葉そのものも,その分析と適用とが相補關係にあつて,言葉を分析し定義すると使へなくなつて了ふ.これを定義しないで漠然たる所に適用の餘地が出來てくるのである.又事物の形式と内容とも相補の關係にあつて,内容なくして形式はないが,内容を餘り分析すると形式は無くなつて了ふ.尚此形式と内容とについては Bohr は次のやうに云つて居る.
[#ここから3字下げ]
There is no content which is not framed in a form;
there is no form which is not too narrow, if one
does not limit its application.
[#ここで字下げ終わり]
そして内容の増大による不調和は,更に廣い見地から調和せられるものであるといふ.量子論の發達は恰度これを體現して居る.
* 論文 (51), (53), (57), (58), (66), (67) 參照.
§9. 原子核の理論.
原子核の理論に於ける Bohr の業績も影響の及ぶ所が大きい.それは中性子の捕獲の問題から這入つて行つて所謂 Bohr の液滴模型を提唱した.それは核の構成粒子間の相互作用が大きい爲に,これを核外電子のやうに一體問題にして解くことが出來ぬことを高調し,中性子捕獲の共鳴作用,其際生ずるγ線,又多くの粒子の放出作用等について,古典的模型を用ひて考察を進めた.
此考察の結果は實驗の進むにつれて次第に實證せられて行きつつある.そして立入つた定量的の研究は Kalckar と共著で一昨年最初の論文を發表し,次いで行はれた研究が發表せられる豫定であつたが,Kalckar の急逝で其後どうなつたかと思はれる.
最近はγ線による原子核の光電效果的崩壞について考察を廻らせ,何故にγ線による變換が元素により選擇的に共鳴作用を現はすかを論じて居る.
これ等の研究は今後更に興味ある發展を示すであらう.それと共にかやうな模型を微視的に取扱ふ方法が見出されることを希望して居る.
尚序に一言すべきは,Gamow がα崩壞の理論を提唱して間もなく Copenhagen に來て其話をした所が,Bohr は速座に其正しいことを認めてこれを激勵した.その後 Gamow は長く Copenhagen に居つて好い仕事を殘した.
§10. Bohr と學術會議.
Bohr は歐米各國の大學,學士院,學會などから名譽學位を與へられ,名譽會員に推され,又賞牌などは數知れず授けられて居る.1921年のノーベル物理學賞は其一である.又歐洲の各國で開かれた物理學の會議には,よく出席して講演に討論に其抱負見解を述べ,指導的影響を與へて居る.
米國には既に4囘も招聘せられ,各地で講演討論を行ひ,其結果は何か新しい發展を米國の物理學會に殘して居る.目下は Princeton 大學の招きに應じ Institute for Advanced Study に於て5月頃迄講義するといふことである.
Bohr は毎年春か秋かに,主として Copenhagen に居たことのある有爲の物理學者を呼び集めて,現下の重要問題を討議することになつて居る.これは非公式ではあるが最も有意義の會議であつて,その爲に物理學は直接間接に大きな推進力を得て居る.
尚 Bohr はベルギーの Solvay 會議の會長であつて,此處でも同樣に新しい問題が討議せられる.嘗て不確定性原理が論ぜられた時などは,Einstein と Bohr との間に深更に至る迄興味ある討論が行はれたといふことである.Einstein は前から今日の量子論に反對の意見をもち,先年 Podolsky,Rosen と共著で“量子論は物理學的實在を完全に記述し得るや”といふ論文を出して,否定的の囘答を與へて居る.Bohr はこれに反駁の論文 (60)[#「(60)」は上付き小文字] を發表したが,要するにこれは Einstein の誤解である.
§11. 日本に於ける Bohr.
Bohr 教授を我國に招聘することは長い間の宿題であつて,昭和10年にはこれが實現する段取となつて居たが,長男不慮の逝去によつて中止となつた.然し昭和12年春,三井,三菱,原田積善會,住友本社,逸見製作所,伊藤竹之助氏,森矗昶氏の援助により遂に招聘は實現せられ,夫人並に次男同伴米國を經て4月15日に來朝せられたのであつた.
それから5月19日に長崎から上海に向けて出帆せられる迄,約1箇月餘の滯在の間に12囘の講演と4囘の討論とを行ひ,その上に10囘に近い餐會に出席して寸暇もない忙しい日を送られたのであつた.これ等の公會に於ける講演に挨拶に,Bohr 教授は其薀蓄と熱意とを以て聽衆に多大の感動を與へた.
其説く所は古典量子論より始めて相補性に及び,原子核,宇宙線を始めとして生物學,心理學,哲學等に關する最も基本的な今日の問題に就いて,教授獨自の見解を吐露して廣く我學術の研究發展に刺戟を與へた.現に目下我國に行はれつつある物理學,生物學上の研究の中で,其端を當時教授との討論に發したもののあることは,此招聘が如何に我學界の進歩を促したかを示すものである.
Bohr の講演に對する態度は極めて良心的であり,又常に細心の注意を拂つて居る.日本に於ける講演でも,會場に出る迄話の内容について心を碎いて居られるやうに見受けた.
Bohr の講演は前以て數式や圖を黒板に一杯書いて置いて,その順序に話すのである.然し其講演は決して解り易いものではない.それは言葉の關係もあり又内容から
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