は Bohr より14年の年長者であつたが,兩者の親交は Bohr に大きな支援,激勵,慰安を齎したのである.一昨年 Rutherford の薨去に際して Bohr の受けた心的打撃が如何に大であつたかは,筆者に寄せられた手紙によつても明かである.その一節に
“To me Rutherford was not only the great master but a fatherly friend such as I shall hardly find in life any more.”
といふのがある.よく兩者の交りが表はれて居ると思ふ.
Rutherford が Cavendish Laboratory の長として Cambridge に居た頃は,Bohr は大抵1年に一度か2年に二度海を渡つて Rutherford を訪問し,Cavendish Laboratory で講演したりなどして居た.現に筆者が初めて Bohr に會つたのは,1922年3月 Cavendish Laboratory に於てであつた.
話が岐路に走つたが,Bohr が Manchester に行つた時は
前へ
次へ
全63ページ中8ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
仁科 芳雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング