は,水素原子の定常状態のエネルギー値が,古典量子論によるものと今日の量子力學によるものとが定量的に一致することである.これは Coulomb 法則の場合に起る偶然の一致であつて,帶電粒子の衝突の問題に於て,古典論と量子力學とが共に Rutherford 式に達すると同樣である.Coulomb 以外の法則では恐らく必ずしも一致しないであらう.
此偶然の一致は量子論の進歩の爲に,一面幸であり又一面不幸であつたと云へるかも知れない.幸といふのは,此一致の爲に,Bohr は後に述べる對應原理(correspondence principle)を樹立し,これに從つて原子構造論,スペクトル論などを進めて行つて,量子力學の誕生前既にその結果を豫知して居た.若し此一致がなかつたならば,こんな進歩は恐らく著しく遲れたであらう.
然し一面から云ふと,此一致があつた爲に古典論の力を過信した傾きがなかつたとも云へない.殊に Sommerfeld の微細構造の理論等が,之も偶然の一致から實驗に合ふ結果を示したので,其當時の人は古典論は原子,分子にも定量的に適用し得るといふ誤信を抱くものもあつた.之が爲に今日の量子力學の發見が或は多少遲れたかも知れない.然し又一旦之が發見せられると其進展の驚くべく迅速であつたのは,古典論の適用によつて嘗めさせられた經驗の苦さ,及び前述の通り古典量子論によつて形成せられた正しい背景が與つて力あつたと思へば,これも結局は幸であつたといふべきであらう.殊に何の手掛りもなくては量子力學も發見が困難であつたらうから,つまり今日の量子論は行くべき道を進んだと考ふべきである.
*[#「*」は上付き小文字](A)原子内の電子の運動状態は,或る條件で規定せられる所謂定常状態のみが許される.そして此状態は不思議な安定度を有つて居つて,電子が其運動状態を變へる場合には,必ず一つの定常状態から他のものに移り,如何なる作用があつても其中間の状態にはあり得ない.
(B)一つの定常状態から他の定常状態に移る場合には,次の式で與へられる振動數νをもつ電磁波を輻射又は吸收する
[#天から15字下げ]hν=E'−E''
但し E',E'' はそれぞれ初めと終りとの定常状態に於ける原子のエネルギーで,h は Planck の常數である.
§4. Bohr の理論物理學研究所.
1913年の夏 Bohr は Christiansen の後をついだ Knudsen の後任として大學物理學科の助教授(Docent)となつた.此講座では醫學部の學生に物理學初歩を教へるのであつたが,之はあまり有難い仕事ではなかつた.然し夫は1年丈で濟んだ.といふのは1914年には Manchester の Rutherford の所へ,物理の講師として呼ばれたからである.當時歐州大戰が勃發したが同年10月には英國に渡り,2年間 Manchester に滯在した.其間1915年には前記スペクトルと原子構造の研究の繼續結果を發表した (11)(13)[#「(11)(13)」は上付き小文字].
1916年には Copenhagen 大學に Bohr の爲に理論物理の講座が設けられ其教授に任ぜられた.そして此講座にはやはり前記の醫學部學生への講義が付き纏つて居たのであるが,1916年夏歸國するや代講者を置くことを許され,又1918年には別に此講義の講師が置かれることになつて,全く惡縁を切ることになつた.
Bohr は就任後直ちに,此講座に附屬する理論物理學研究所の建設を大學當局に提議した.其内容は圖書室,講義室並に理論物理學研究に必要な設備,又理論物理學研究結果の檢討並に理論發展の手引きをすべき,實驗研究を行ふための器械裝置及び工作場を設けることであつた.此建議は大學當局,政府,議會を簡單に通過した.それは此敷地が有志者の寄附(8萬クローネ即ち現在の8萬圓)によつて,市の東北 Blegdamsvej に購入することが決つたからである.
此建築は1918−1919年の冬に始められ,1921年3月3日大學理論物理學研究所(Universitetets Institute for teoretisk Fysik)として開所せられた.此建物は約15間×7間位で,半地下室は物理實驗室及び工作場に用ひられ,その上の階が講義室,圖書室並に理論の方の人の居室,及び化學實驗室になつて居り,二階は Bohr 教授一家の住居となつて居た.此研究所の完成により外國の若い理論並に實驗物理學者が次から次へと集つて來た.我國の學者で此處で研究した人も10人近くある.Bohr 教授は日本の留學生に對しては非常に好意を寄せられ,皆愉快に研究に沒頭することが出來た*[#「*」は上付き小文字].
此研究所に最初に來た物
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