ケられるものであるといふ.量子論の發達は恰度これを體現して居る.
* 論文 (51), (53), (57), (58), (66), (67) 參照.
 §9. 原子核の理論.
 原子核の理論に於ける Bohr の業績も影響の及ぶ所が大きい.それは中性子の捕獲の問題から這入つて行つて所謂 Bohr の液滴模型を提唱した.それは核の構成粒子間の相互作用が大きい爲に,これを核外電子のやうに一體問題にして解くことが出來ぬことを高調し,中性子捕獲の共鳴作用,其際生ずるγ線,又多くの粒子の放出作用等について,古典的模型を用ひて考察を進めた.
 此考察の結果は實驗の進むにつれて次第に實證せられて行きつつある.そして立入つた定量的の研究は Kalckar と共著で一昨年最初の論文を發表し,次いで行はれた研究が發表せられる豫定であつたが,Kalckar の急逝で其後どうなつたかと思はれる.
 最近はγ線による原子核の光電效果的崩壞について考察を廻らせ,何故にγ線による變換が元素により選擇的に共鳴作用を現はすかを論じて居る.
 これ等の研究は今後更に興味ある發展を示すであらう.それと共にかやうな模型を微視的に取扱ふ方法が見出されることを希望して居る.
 尚序に一言すべきは,Gamow がα崩壞の理論を提唱して間もなく Copenhagen に來て其話をした所が,Bohr は速座に其正しいことを認めてこれを激勵した.その後 Gamow は長く Copenhagen に居つて好い仕事を殘した.
 §10. Bohr と學術會議.
 Bohr は歐米各國の大學,學士院,學會などから名譽學位を與へられ,名譽會員に推され,又賞牌などは數知れず授けられて居る.1921年のノーベル物理學賞は其一である.又歐洲の各國で開かれた物理學の會議には,よく出席して講演に討論に其抱負見解を述べ,指導的影響を與へて居る.
 米國には既に4囘も招聘せられ,各地で講演討論を行ひ,其結果は何か新しい發展を米國の物理學會に殘して居る.目下は Princeton 大學の招きに應じ Institute for Advanced Study に於て5月頃迄講義するといふことである.
 Bohr は毎年春か秋かに,主として Copenhagen に居たことのある有爲の物理學者を呼び集めて,現下の重要問題を討議することになつて
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