オた所が,Pauli は直ぐ贊意を表したので之を書いて雜誌 〔Zeitschrift fu:r Physik〕 に送つた.之が所謂 Pauli の“裁許”(sanction)の一例である.
 Heisenberg は是以前に Copenhagen に來たことがあるから對應原理の眞髓に徹して居た.殊に Kramers と共に光の分散に關する量子論の研究を行つて,その精神に曉通して居たのである.此分散の研究は量子力學發見の先驅であつた.要するに Heisenberg の理論は Bohr の對應原理を數學的の形式によつて體現したものであつて,之によつて對應原理は其使命を果したものと云つて好いであらう.そして古典論と量子論との對應は一目瞭然,しかも定量的に規定せられるやうになつた.
 これより先に de Broglie の物質波動説は提唱せられて居たのであるが,〔Schro:dinger〕 がこれに數學的の形を與へ,所謂波動力學を樹ててから一般の注意を惹くやうになつたのである.〔Schro:dinger〕 の理論は de Broglie 波を表現するものであると同時に,Heisenberg の意味での量子力學に於ける,最も有力な數學的武器である事が後から解つて來て,今迄堰き止められて居た水が,一時に奔流するやうな勢で凡ての問題が解かれて行つた.
 これで知れるやうに量子力學の發見には,直接に Bohr の手で行はれた部分はない.然し直接間接にこれを生み出す機運を誘致し,又其下にある Copenhagen 學徒の中から發見者並に推進者を出したのであるから,其生みの親と云つても好いであらう.
 §7. 量子論の哲學的考察――相補性*[#「*」は上付き小文字].
 量子力學の威力が至る所に發揮せられている頃,Heisenberg は其物理的内容の闡明について深い研究を行ひ,不確定性原理**[#「**」は上付き小文字]を誘導した.これは Hamilton の所謂正規共軛の二つの量を同時に測定する場合,その各の平均の測定誤差の積は,Planck の常數 h よりは小さくし得ないといふ原理である.これは測定器の不正確に基因するものではなく,量子論的の量に固有の原則的制限であつて,これ以上の正確度を云爲するのは意味の無いことなのである.
 Bohr は之と類似の考へを前から抱いて居つて*
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