ネに簡單ではなく,殊に Bohr は個々の電子,原子などの行動が,こんなに迄立ち入つて檢討せられるものとは考へて居なかつたやうである.
此 Bohr の考へは誤ではあつたが,今日から見て興味あることは,今の量子論ではこれと同樣な考へ方が,時間空間の問題に採用せられて居るといふことである.即ち個々の光量子や電子の時間空間に於ける傳播,運動は,これを豫知することは出來ない.只統計的にのみこれを規定し得るものである.即ち Bohr−Kramers−Slater の考へ方は,これをエネルギー,運動量に適用せずして,それと正規共軛の關係にある時間,空間に適用すればよかつたのであつた.こんなことは後から考へると眞に紙一重の差である.
對應原理の無力を示す事象は,その他色々出て來たが,その中でも Ramsauer 效果及び多重スペクトルなどは著しいものであつた.前者は結局量子力學の發見によつて始めて解かれた問題であるが,後者は電子のスピンによつてその前に闡明せられたのである.此スピンの發見は Goudsmit,Uhlenbeck の二人によつて指摘せられたものである.Bohr は始め雜誌 Naturwiss. に出た兩人の寄書を見落して居たのであるが英國に行つた途中和蘭に立ち寄つて此話を聞き,速座に其考への正しいことを洞察し,歸國後早速 Goudsmit を Copenhagen に招き,連日の討議によつて今日のスピン模型の理論が確立せられたのであつた.此論議に於て2なる値をもつ係數を Thomas が計算したのであつた.
此話は Bohr が如何に學術の進歩を促すに熱心であるかを示す一例である.これによつて八方塞がりの量子論も稍愁眉を開いたのであるが,然し眞の展開はそれから後の事であつた*[#「*」は上付き小文字].
*[#「*」は上付き小文字]今日の量子論の状態がこれに類似して居る.湯川理論によつて重粒子間の作用,その他宇宙線の問題は解かれたが,更に量子論その物の本質的改革が要望せられて居る.
§6. 量子力學の發見.
それは Heisenberg の量子力學の發見によつて始まつた.此着想は1925年の春 Heisenberg が病を避けるため Heligoland の島に居た時得たものである.そして島から下りて來る途中 Hamburg に居た Pauli に此話を
前へ
次へ
全32ページ中13ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
仁科 芳雄 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング