は Copenhagen 市より寄附することになり,經常費は政府が出し,又丁抹ビール會社 Carlsberg の設立した Carlsberg Foundation も多額の寄附をしたので,研究所の擴張として1925年に先づ Bohr 教授の官舍が隣に新築せられて一家はこれに移られた.そして元の住宅であつた二階は理論の方の人が使ふことになり,又別に工作場と實驗室とを含む1棟が増築せられた.實驗の方の助手 Jacobsen は初め此處で仕事をして居つた.
其後 Bohr 教授一家は,前述の Carlsberg 會社の社長 Jacobsen が學者の爲に寄贈した壯大な邸宅に移られた.それはもう7年前の事である.此邸宅に住む人は丁抹隨一の學者で,同國の學士院が推薦することになつて居る.最初これに住まつたのは哲學者〔Ho'ffding〕で,其沒後 Bohr 教授一家がこれを承け繼いだのである.
最近原子核物理學が盛んとなつたので,Bohr の研究所にも此方面の實驗設備が整へられることになつた.Rockfeller Foundation 及び實業會社方面の寄附によつて,200萬ヴォルトの高電壓電源が建設せられ,且つ丁抹の人である Poulsen の電弧發振器に用ひられて居た,65瓲の電磁石を改造してサイクロトロンが作られつつある.之等を容れるために研究所の建物が増設せられたのは云ふ迄もない事である.これで原子核の問題,生物學の研究が著しく推進せられることと豫期せられる.これ迄此方面の研究は,同地のラヂウム研究所のラヂウム,及び Bohr 教授の50歳の誕生日を祝つて友人たちの贈つた 500mg のラヂウムによつて居たのである.以上で明かなやうに,名は理論物理學研究所であるが,實驗方面に於ても常に世界の第一線に立つやうな設備が整へられて居る.これが結局理論を進める重要な手段なのである.
*[#「*」は上付き小文字] 留學者の氏名:青山新一,有山兼孝,金子五郎,木村健二郎,杉浦義勝,高嶺俊夫,仁科芳雄,福田光治,堀健夫.
§5. 對應原理と原子構造.
Bohr は水素原子の理論を提唱した最初から,量子論に沒頭しながらも古典論から目を離さなかつた.否寧ろ古典論の結果を出來るだけ量子論に利用して其發展を企てたのである.そして此兩者の間には不離不即ともいふべき一種の對應の存在する
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