ユネスコと科學
仁科芳雄

 科學は呪うべきものであるという人がある.その理由は次のとおりである.
 原始人の鬪爭と現代人の戰爭とを比較して見ると,その殺戮の量において比較にならぬ大きな差異がある.個人どうしの掴み合いと,航空機の爆撃とを比べて見るがよい.さらに進んでは人口何十萬という都市を,一瞬にして壞滅させる原子爆彈に至っては言語道斷である.このような殘虐な行爲はどうして可能になつたであろうか.それは一に自然科學の發達した結果に他ならない.であるから,科學の進歩は人類の退歩を意味するものであつて,まさに呪うべきものであるという.
 しかし一方われわれの生活は原始人に比べて,少くとも物質的には問題なく豐かになり,昔の人の夢と考えておつた欲求が現實にかなえられるようになつた.例えばアメリカの科學的成果が翌日は東京でわかるようになり,東京から廣島まで30分足らずで飛んで行く飛行機ができ,又ペニシリンのような藥が見つかつて,人の平均壽命は延びたであろう.そしてこれ等物質文明の進歩は,當然精神文明にもよい影響を與えないでは措かないのである.これ等はすべて科學の進歩のおかげであつて見れば,科學は人類に進歩をもたらすものとして禮讃せねばならぬ.
 以上で明かなとおり,科學を呪うべきものとするか,禮讃すべきものとするかは,科學自身の所爲ではなくて,これを驅使する人の心にあるのである.ユネスコ(UNESCO―United Nations Educational, Scientific and Cultural Organization)は正に人の心に平和の防波堤を築こうとするものであつて,國際聯合の多くの機關の中で最も根本的に平和の基礎を固めて行こうとするものといわねばならぬ.この機關は國際聯合の經濟社會理事會の管轄に屬し,その本部をパリに置いている.その成立は1945年11月1〜16日にロンドンで開かれた會議において決定せられ,第1回の總會をパリで翌1946年11月9日より12月初旬まで開き,44箇國の代表隨員合わせて700名が出席した.第2回總會はメキシコシチーにおいて昨年やはり11月初めから1箇月餘に亘つて開かれた.
 名前で知れるとおりユネスコは教育,科學,文化の方面において,國際的協力によりその進歩を圖り,これにより戰爭の絶滅を企圖しておるのである.今やわが國は文化國家
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