医者はそう云った。で、彼女は南フランスへ転地することになった。カンヌへ来て、彼女は久しぶりで太陽をふり仰いだ。海を眺め、オレンヂの花の香りを胸一ぱい吸った。
 やがて春が廻って来た。彼女はまた北国へ帰って行った。
 けれども、今はもう彼女は自分の病気が癒ることが怖《こわ》かった。ノルマンディーのながい冬が恐ろしかった。彼女は体の工合《ぐあい》がすこし快くなって来ると、夜、部屋の窓をあけて、遠く地中海のあたたかな海辺にその想いを馳せるのだった。
 こうして、彼女はいま、遠からずこの世を去ろうとしているのである。自分でもそれは承知していた。けれども彼女はそれを悲しいことだとは思わなかった。かえってそれを喜んでいた。
 持って出たまままだ開いてみなかった新聞を展《ひろ》げると、こんな見出しが、ふと彼女の眼にとまった。

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巴里に初雪降る
[#ここで字下げ終わり]

 それを見ると、彼女は、水でも浴びせられたように、ぶるぶるッと身顫いをした。それからにッこり笑った。そして、遠くエストゥレルの群峰《やまやま》が夕陽をあびて薔薇色《ばらいろ》に染っているのを眺めていた。彼女は
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