は立志社を設け、或は立憲政党、或は愛国公党自由党等を組織して毎に之れが牛耳を執りき※[#白ゴマ、1−3−29]故に彼れを指して政党政社の開山と為す可き乎※[#白ゴマ、1−3−29]曰く皆然り※[#白ゴマ、1−3−29]曰く皆然らず※[#白ゴマ、1−3−29]彼れの力を此の数者に致せしの事実は何人も認むる所にして、彼れも亦之れを以て窃かに自ら誇るものゝ如し※[#白ゴマ、1−3−29]故に皆然りといふ※[#白ゴマ、1−3−29]然れども大阪の会議と民選議院の建白とは、共に独り彼れ一人の発意したるものに非ざるは論なく、政党政社の類に至ても、切に論ずれば唯だ時勢の産物たるに過ぎずして固より彼れの私生児にはあらず※[#白ゴマ、1−3−29]故に皆然らずといふ※[#白ゴマ、1−3−29]余の別に彼れに見る所ありとは他なし※[#白ゴマ、1−3−29]日本の政党首領として比較的成功あるを得たる即ち是れのみ。
 元勲諸老にして政党を組織したるものは、彼を外にして大隈伯の改進党あり、後藤伯の大同団結あり、西郷侯の国民協会ありき※[#白ゴマ、1−3−29]然れども之れを組織して忽ち其の党籍を脱し、若くは之と全く干係を絶ち、若くは一時之れを利用するに止り、未だ板垣伯が能く自由党と進退を倶にし、終始其の党の意思を代表して立つが如く熱心ならざるなり※[#白ゴマ、1−3−29]故に政党首領としての成功は、亦彼れを以て最も優れりといはざる可からず。
 西郷侯の国民協会を組織するや、自ら枢密議官を抛つて公然之れが首領となり、以て一旦大に為すあらんとするの意気ありしにも拘らず、其一躍して内閣に入るや復た冷然として一顧を協会に与へざるの奇観あり※[#白ゴマ、1−3−29]後藤伯の如きは特に甚しといふ可し※[#白ゴマ、1−3−29]其の大言壮語到る処亡国論を唱へ、天下を麾て大同団結を号乎したるに方り、誰れか之れに依て入閣を計るの野心ある可しと想はんや※[#白ゴマ、1−3−29]然るに入閣の勧誘一たび来るや、勅命と称して直に之れに応じ、以て其の政友を売り以て其の糾合せる同志に背き、之れと共に大同団結は極めて短命なる不幸の運命を見たりしに非ずや※[#白ゴマ、1−3−29]若し夫れ大隈伯に至ては、其の改進党を組織して未だ久しからざるに、乃ち亦総理の任を辞して脱党し、尋で一個人の大隈伯として黒田内閣に入り、爾後復た直接に改進党と関係なかりしは固よりいふを待たず※[#白ゴマ、1−3−29]其の党勢の思ふほど拡張せざりしは盖し亦是れが為ならずとせんや※[#白ゴマ、1−3−29]独り板垣伯は然らず※[#白ゴマ、1−3−29]其の自由党に於ける十年一日の如く、自ら党員の前駆となりて四方に奔走し、間断なき運動と恒久なる熱心とは、深く党員の信望を収めて能く之れを統一し、時に或は党中紛擾の事ありと雖も、彼れと党員との関係は、是れを以て必ずしも冷却するに至らず※[#白ゴマ、1−3−29]而して今や彼は、其の党与を挈けて伊藤内閣と結托し、遂に自由党総理たる勢力を擁して入て内相の椅子に就く※[#白ゴマ、1−3−29]是れ政党首領として他の一侯両伯に比し、明かに体裁善き成功を得たりと認む可きものなり※[#白ゴマ、1−3−29]余は即ち此の一事を挙げて以て彼れの人物を偉なりといはむ※[#白ゴマ、1−3−29]彼れが最も誇る可きは亦恐らくは此一事に在らん歟。

 人或は曰く板垣伯入閣は無条件なり、彼れは総理の資格を以て入閣する能はずして元勲の名義に依りて入閣す※[#白ゴマ、1−3−29]是れ伊藤内閣に欺かれたるなりと※[#白ゴマ、1−3−29]然れども其の如何なる名義に依て入閣せるに拘らず、彼れと自由党との関係実際に消滅したりとは何人も認むる能はじ※[#白ゴマ、1−3−29]况んや彼の入閣は自由党と伊藤内閣との結托に原づき、自由党一致の同意を得、自由党全体の意思を代表して入閣したるを事実とす可きをや※[#白ゴマ、1−3−29]仮りに伊藤内閣の為に欺かれたりとせむ※[#白ゴマ、1−3−29]是れ自由党全体の欺かれたるのみ、彼れが自由党を代表して入閣したる事実を抹殺する能はざるなり。
 故に彼れの入閣は、少なくとも政党内閣に進むの門戸を開き、以て今後の政局に一変化を与ふるの動機となりたるものなり※[#白ゴマ、1−3−29]固より彼れが果して能く其の目的を達し得るや否やは容易に断言す可らざるのみならず、寧ろ技倆の称すべきなき一老漢を以て内務の難局に膺る※[#白ゴマ、1−3−29]其の或は久しからずして一敗するに至るも亦未だ知る可からず※[#白ゴマ、1−3−29]然れども彼れは既に根拠を自由党に有するに於て、再び野に下るの日は之れを率いて以て其の敵とするものと戦ふの力あり※[#白ゴマ、1−3−29]伊藤内閣にして彼れを欺き自由党を欺くの事実明白となることあらば、彼れは直に復讎的姿勢を取て伊藤内閣に向はむ※[#白ゴマ、1−3−29]是れ伊藤内閣の大に苦む所にして自由党の窃かに負む所なり。彼れが伊藤内閣と結托したるは、彼れの名誉に於て大なる損失あり※[#白ゴマ、1−3−29]人は彼れを変節者と呼べり、軟化したりと笑へり※[#白ゴマ、1−3−29]太甚しきは彼れを嘲つて主義と利福を交換したりといひ、彼れが岐阜の遭難に死せざりしを不幸と為すに至れり※[#白ゴマ、1−3−29]彼れは方にあらゆる醜詬詆辱の重囲に陥り、満身悉く傷痍を受けて殆ど完膚なきを見る※[#白ゴマ、1−3−29]然り彼れが盛名の時代に死せざりしは実に彼れの不幸なりき※[#白ゴマ、1−3−29]大不運なりき※[#白ゴマ、1−3−29]さもあらばあれ彼れは他の元勲政治家に比して最も堅固なる根拠を有せり※[#白ゴマ、1−3−29]政党の首領として最も素養ある位地を有せり※[#白ゴマ、1−3−29]他の元勲政治家は未だ利害を同ふするの政党を擁するものなく、一旦政党に頼るの必要を認むるに於て、唯だ現存の政党を利用するか、若くは新たに之れを製造するの二途あるのみ※[#白ゴマ、1−3−29]然るに板垣伯の自由党に於けるは、多くの年所を閲みして終始相提携し、以て離る可からざるの関係を為せしに由り、彼れは尚ほ厳として政界の一勢力たるを失はざるなり。
 彼れは能く始めより政党の真意義と真作用とを融会したりしや否や、将た政党内閣を組織するの自信を有して自由党と飽くまで進退を倶せんとするや否や、共に吾儕の知る所に非ずと雖も、とにかく日本政党中に在て、彼れは最も旧き歴史ある自由党の首領として、比較的成功を得たるの事実は甚だ多とするに足れり※[#白ゴマ、1−3−29]余は彼れが心術の正邪醇駁分明ならざるを以て、此の一成功を没するに忍びざるなり。(廿九年五月)

     最近の板垣伯

      其一 劈頭の喝破
 曾て自由神の化身として、憲政の天国を建設す可く藩閥の悪魔と健闘したる老英雄も、今や其の屠竜搏虎の手を収めて、平和にして且つ女性的なる社会事業に老後の慰藉を求むるの人となりぬ。曰く風俗の改良、曰く日本音楽の改良、曰く労働者の保護、曰く盲人の教育、曰く女囚乳児の保育、是れ彼れが老夫人の熱切なる同情と協力とに頼りて、現に社会に寄与しつゝある生涯の残光なり。彼れの前世紀は、血の歴史なり、戦闘の歴史なり、波瀾多き歴史なり。彼れは屡々不忠不臣の名を受けたりき。彼れの一挙一動は常に探偵の報告資料たりき。彼れの党与は総て叛逆匪徒を以て目せられたりき。あらゆる迫害、あらゆる追窮は、高圧力に富める武断政府に依りて間断なく試みられたりき。豈唯だ此に止らむや。彼れは反対党の毒刄に傷けられて殆ど生命を喪はむとしたりき。嗚呼当年の彼れを以て之れを現時の彼れに比せば、殆ど喬木を出でて幽谷に遷りしが如し、誰れか其の変化の甚しきに驚かざるものあらむや。
 然れども彼れは二十余年間国民的運動の首領たりしが為に、其の資望は尚ほ隠然として、重きを公私人の間に有せり。彼れが勢力の源泉たりし一大政党は、既に彼れの手を離れて伊藤侯の領有に属したれども、新首領の訓練未だ到らずして、往々旧首領の復活を希望するものあるのみならず、世には人の美徳を歎美するもの稀れにして、寧ろ他の意中を曲解するを喜ぶの批評家多きがゆゑに、彼れ少しく動けば、揣摩臆測紛然として随ひ起る、自由党再興の風説の如き、即ち其の一なり。
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板垣の復活、自由党の再興、何たる捏造説ぞ、余の夢にも覚えざる虚聞なり。
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是れ彼れが記者を其の応接間に迎へて、微笑を帯びながら、而も極めて明白に喝破したる劈頭語なりき。曩に高知政友会支部に紛擾あるや、彼れは老躯を起して故郷に帰れり。其の紛擾に対して、自ら責任ある裁决を与へむが為には非ず、唯だ郷党の要望に応じて、情誼上の忠告を与へむが為に外ならざりき。彼れは一種の意見書を発表したりき。此の意見書には政治哲学の旨義を含蓄せる文字あれども、政党首領の宣言書《マニフエスト》と全く其の体様を異にしたる個人的立案なり。彼れ豈当世に野心あらむや。

      其二 時代の事業
 彼れは白縞の綿服に紺太織の袴を着け、籐椅子に凭れて日本製のシガレツトを吹かしながら、反切明亮なる土佐音にて談話を続けたり。
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政治界は権勢、名誉、利禄及び人爵の中心点なり。故に世俗の欲望皆此に集注す。独り社会事業に至ては、本来無報酬にして一も如上の欲望を※[#「厭/(餮−殄)」、第4水準2−92−73]かしむるに足るものなし。是れ政治的退隠者たる板垣の為に好個の事業に非ずや。
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 彼れは斯く語りつゝ、真摯なる鳶色の目にて記者を見詰めたり。三分の神経質と七分の多血質とを調和したる相貌は、今も尚ほ依然として異状なき健康を保持し居れども、其の額際より頬の辺りを繞りて、蜘蛛の巣の如く織り出されたる無数の皺紋は、深刻にして精苦なりし閲歴の黙示として、頗る記者の同情を刺戟したりき。村夫子らしき質朴の風采にも、流石に第一流の国士たる品位は備はりて侵かし難く、純白にして柔滑なる絹様の美鬚髯は、奇麗に梳られて顔面の高貴なる粧飾と為れり。凡そ人物の精力は、大抵一期の時代事業終ると共に竭くるものたり。明治の時代を見るに、維新政府の建設より国会開設に至るまでを第一期と為す可く、国会開設より憲政党内閣の組織に至るまでを第二期と為す可く、第一期の時代事業は、専制主義の政府に代ゆるに立憲政府を以てして、国民に参政権を享有せしむるに在りき。是れ最も重大にして最も困難なる時代事業にして、欧洲に在ては、之れを仕遂ぐるが為に殆ど百年以上の苦がき運動を要したりき。日本の板垣伯は、明治六年始めて其の同志と与に民選議院の建白を提出したり。而して十四年には、国会開設を予約し給へる詔勅の煥発あり、二十二年には国民歓呼の間に憲法発布せられ、其の翌年には待ち設けたる初期の議会は召集せられたりき。是れ豈驚く可き速力を示せる成功に非ずや。彼れは此の成功の分配者として最大なる人物なり。彼れは他の如何なる政治家よりも、此の第一期の時代事業に貢献したる功労多きは、争ふ可からざる事実なり。伊藤侯は憲法立案者の名誉を独擅し得可し、然れども此の名誉は、板垣伯が国民的運動の首領として根気よく国会論を継続したる賜のみ。故に伊藤侯が故陸奥伯の献策を納れて、彼れの率いたる旧自由党と提携せむとするや、先づ彼れと会合し、徐ろに説て曰く、足下は国会開設の主動者なり、我輩は憲法の立案者なり、乃ち立憲政治の美を済すの責任は、懸つて足下と我輩との双肩に在らずやと。是れ一時人を欺くの甘言たるに過ぎずと雖も、事実は之れを真理として承認せざる可からず。彼れは日本憲政史上に永久磨滅す可からざる千古の格言を留めぬ。如何に其の沈痛にして天来の音響を帯びたるかを記臆せよ、曰く板垣死すとも自由は死せずと、是れ実に国民的運動の大精神を代表したるものに非ずして何ぞや。彼れの名は此の格言に依て万世に感謝せらる可し。たとひ岐阜の遭難に死したりしとも、
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