なり※[#白ゴマ、1−3−29]初め憲政党の成立するや、侯は三策を建てゝ藩閥の元老に謀る※[#白ゴマ、1−3−29]上策に曰く内閣を維持すると共に、別に政府党を作りて憲政党に当らむ※[#白ゴマ、1−3−29]中策に曰く若し上策を非なりとせば、侯は自ら野に下りて政府党を作り、以て内閣を援けむと※[#白ゴマ、1−3−29]下策に曰く、二策共に非なりとせば、断然内閣を挙げて大隈板垣の両伯に与へむと※[#白ゴマ、1−3−29]而して上中二策は終に行はれずして事※[#白ゴマ、1−3−29]下策に決す※[#白ゴマ、1−3−29]是れ寧ろ侯の予期する所にして、又侯の目的なり※[#白ゴマ、1−3−29]蓋し政党は一夜作りの産物に非るは、侯の明固より之れを知るのみならず、侯は元来政党の歴史を有する政治家に非るに於て、自ら新政党を作りて大隈板垣の為す所を学ぶは、恐らくは侯の本意に非ず※[#白ゴマ、1−3−29]侯は勢力を自製するの人に非ずして、之れを発見し、之れを利用するの智略ある人なればなり※[#白ゴマ、1−3−29]故に侯が内閣開放を断行したるは、是れ実に今日を以て旧勢力と分離するの好機会なりと信じたるに由れり※[#白ゴマ、1−3−29]政党組織の策行はれざりしが為めには非らじ。
夫れ藩閥は三十年間我政界の主動力たり※[#白ゴマ、1−3−29]殆ど専制的性質を有せる一大勢力たり※[#白ゴマ、1−3−29]此勢力を利用するものは順境に立ち、之れに反対するものは、皆逆境に陥る※[#白ゴマ、1−3−29]是れ侯が従来藩閥と結合して、久しく国民と争ひたる所以なり※[#白ゴマ、1−3−29]されど侯は決して藩閥の代表者に非ず※[#白ゴマ、1−3−29]侯の藩閥を好まざるは、猶ほ大隈板垣両伯の藩閥を好まざるが如し※[#白ゴマ、1−3−29]唯だ両伯は藩閥を好まざると共に、余りに政党を好み、侯は政党にも亦甚だ冷淡なるを異とするのみ※[#白ゴマ、1−3−29]顧ふに、侯が三十年間に於ける政治的伝記は、侯が如何なる塲合にも善く自家の拠る可き勢力を発見して、善く之れを利用したるの事実を説明すと雖も、此れと共に其思想の藩閥と相容れずして、動もすれば之れが為めに苦められたるの事実も、亦其伝記中に認識するを得可し※[#白ゴマ、1−3−29]故に侯は外に対して藩閥を利用しつゝある間に、内に在ては絶えず其勢力を控制するの術数を施したるは、亦歴々として認む可きものあり※[#白ゴマ、1−3−29]試みに其一二を言はむか。
侯は明治十四年、大隈伯と相約して、十六年を以て国会開設の議を奏請せむとしたりき※[#白ゴマ、1−3−29]是れ国会に依りて藩閥を控制するの意より出でたるに非りし歟※[#白ゴマ、1−3−29]其計画未だ成らざるに破れて、藩閥の為めに謀叛を以て擬せらるゝに及び、侯は翻然として其計画を中止し、独り大隈伯をして之れが犠牲と為らしめたるは他なし、是れ唯だ成敗の勢を悟りて、急遽の改革を不利と認めたるに由るのみ※[#白ゴマ、1−3−29]藩閥を維持するの必要を信じたるが為に非ず。尋で明治十八年官制を改革して、文治組織と為し、官吏登庸法を制定して、選叙を厳にしたる如き皆主として藩閥を控制するの意より出でずむんばあらじ※[#白ゴマ、1−3−29]世間或は侯が総理大臣を以て宮内大臣を兼摂したる当時の位地を評して曰く、是れ侯が信用を宮中に固めて、自家の権勢を保全するの秘策なりと※[#白ゴマ、1−3−29]夫れ然り然りと雖も、此秘策は国民に対して圧制政治を行ふの準備に非ずして、亦実に藩閥を控制するの意に外ならざるが如し※[#白ゴマ、1−3−29]之れを要するに侯の施設は、大抵藩閥と利害を異にするものたるに於て、藩閥者流は漸く侯に慊焉たらざるを得ざるに至り、其結果として所謂る武断派なるもの起り、而して山県内閣と為り、而して松方内閣と為り、終に選挙干渉に失敗して、藩閥大に頓挫したると共に、伊藤侯復た出でて内閣を組織したるは第四議会将に召集せむとするの時なりき。
第二伊藤内閣組織せらるゝや、侯は窃かに故陸奥伯の手を通じて自由党と提携するの端を啓き、日清戦争の後に至て終に公然提携の実を挙げ、板垣伯に内務大臣の椅子を与へて、一種の聯立内閣を形成したりき※[#白ゴマ、1−3−29]是れ一は議院操縦の必要より来れるものなる可きも、其主要の目的は、実に藩閥を控制せむとするに在りしや疑ふ可からず※[#白ゴマ、1−3−29]此を以て最も伊藤内閣に反感を抱きしものは、藩閥武断の一派にして、彼の藩閥の私生児たる吏党が、民党と聯合して極力伊藤内閣の攻撃を事としたるは、適々以て其由る所を察し得可し※[#白ゴマ、1−3−29]或は伊藤内閣が二囘までも議会を解散したるの挙を非立憲的と為して、大に之れを論責するものあり※[#白ゴマ、1−3−29]余も亦敢て侯の解散手段を賛するものに非ずと雖も、是れ勢の致す所にして侯の本意には非らず※[#白ゴマ、1−3−29]若し当時の民党より之れを観れば、侯が解散してまでも内閣を維持したるは、単に民党を苦めたるに似たりと雖も、其実之れが為めに最大失望を感じたるものは、寧ろ藩閥及び藩閥を助くるの吏党にして、民党の為めには、解散は却つて幸福なりき※[#白ゴマ、1−3−29]何となれば、侯にして若し解散の代りに辞職を行はゞ、侯の後を受けて内閣を組織するものは、必らず民党に非ずして藩閥の武断派なる可ければなり※[#白ゴマ、1−3−29]之れを聞く、第二伊藤内閣の将に成らむとするや、陸奥伯其親近に語て曰く、民党たるものは宜しく其挙動を慎み、漫に吏党の激論に煽動せられて、我れより解散を求むるの愚を為す可からず※[#白ゴマ、1−3−29]是れ民党の不利益なりと※[#白ゴマ、1−3−29]則ち伯が伊藤侯の謀士として自由党と提携せしめたるも、其意の藩閥控制に在るや論なきのみ、伊藤侯が藩閥を利用すると共に、又之れを控制せむと勉めたるは既に斯くの如し※[#白ゴマ、1−3−29]故に其信任する所の人物も、亦大抵藩閥に敵視せらるゝものか、若くば藩閥以外の出身者ならざるなく、例へば、故陸奥伯の如き伊東末松両男の如き、渡辺子金子氏の如き、以て見る可し※[#白ゴマ、1−3−29]果して然らば、今囘の大英断が亦藩閥打破の目的より出でたると謂ふも豈余が一個の臆断ならんや。
未定数
伊藤侯は既に藩閥を打破して旧勢力と全く分離せり※[#白ゴマ、1−3−29]知らず侯の未来は如何※[#白ゴマ、1−3−29]一見せば侯の現在の位地は、孤立の二字を以て、善く之れを説明するを得可し※[#白ゴマ、1−3−29]侯は旧勢力と分離して、未だ新勢力を発見せず※[#白ゴマ、1−3−29]曾て侯と提携したる自由党は、今や憲政党の名の下に抱合せられて、侯と反対の方面に立ち、而して侯に依て政党を組織せむとするものは、唯だ憲政党の勢力に辟易して殆ど為す所を知らず※[#白ゴマ、1−3−29]侯の現在の位地は実に孤立なりと謂ふ可し※[#白ゴマ、1−3−29]されど余を以て之れを観るに、侯の位地は未定数にして必らずしも孤立ならず※[#白ゴマ、1−3−29]憲政党は大なりと雖も、其組織未だ堅確ならず、其主義未だ明白ならざるに於て、一朝変を生ずれば、更に如何なる現象を生出せざるも保す可からず※[#白ゴマ、1−3−29]否其分裂の機は漸く※[#「にんべん+福のつくり」、第4水準2−1−70]促し来れり※[#白ゴマ、1−3−29]憲政党一たび分裂すれば、旧自由党が再び侯を擁するの必要あるに至るは自然の情勢にして、侯は唯だ其機会の到来するまで孤立の位置に在るのみ。
凡そ今日の所謂る政党なるものは、主義政綱に依りて進退するに在らずして、唯だ利害に依て分合するものたるに過ぎず※[#白ゴマ、1−3−29]伊藤侯が位地の未定数なるは、蓋し政党の主義政綱未だ分別せざるが為めなり※[#白ゴマ、1−3−29]顧ふに政治家の世に立つや、先づ自ら其主義政綱を発表して、同志を天下に求むる固より可なりと雖も、今日の如く未だ主義政綱を以て争ふの進境に達せざるの政界に在て、自ら主義政綱を発表して同志を天下に求むるは、恐らくは侯の迂濶とする所なる可し※[#白ゴマ、1−3−29]况むや侯は大隈板垣伯等の如く、政党上の歴史を有せざるが故に、今日直に政党を組織せむとする如きは、到底言ふ可くして行ふ可からざるの談なるに於てをや※[#白ゴマ、1−3−29]若し侯の中心の冀望を言はゞ、此際永く、政界を退隠せむと欲するに切なるやも知る可からず※[#白ゴマ、1−3−29]されど侯を叢囲せる門下生は、决して侯の退隠を許さゞるの事情あり※[#白ゴマ、1−3−29]侯は此等の門下生の為めに、勢ひ再度の出馬を為さゞる能はざるは無論なるを以て、侯の清国より帰朝するの日は、乃ち政界復た一変動を見るの時なりと知らざる可からず※[#白ゴマ、1−3−29]侯の運動の妙所は、虚無縹緲の間に於て、巧みに最後の勝利を制するに在り※[#白ゴマ、1−3−29]侯が明治十四年来藩閥控制の術数を用いたるも、世間啻に其然るを知らざるのみならず、藩閥自身も亦然るを知らずして独り其術中に陥りて怪まず※[#白ゴマ、1−3−29]侯が自由党と提携したるに及でも、明かに政党内閣を主張せずして而も次第に今日の時局を導くの動機を啓きたり※[#白ゴマ、1−3−29]侯は曾て其持説を確言したることなきも、其実際に施設したる例少なからず※[#白ゴマ、1−3−29]侯も亦一代の政治家なるかな。(三十一年九月)
伊藤侯は党首の器なるや
伊藤侯が頃ろ政党改造の意見を発表して、既成政党の弊害を矯正せんとするや、侯の機関紙たる『日々新聞』は、侯の目的、模範政党を作るに在りと暗示し、憲政党の機関紙たる『人民新聞』は、侯の位地を論じて、憲政党に入るの侯の志に合ふ可きを諷告したり※[#白ゴマ、1−3−29]侯果して憲政党に入りて其首領たらむと欲する乎。或は既成政党以外、新たに同志を糾合して模範政党なるものを作らむとする乎※[#白ゴマ、1−3−29]是れ恐くは政治的数学の例題ならむ※[#白ゴマ、1−3−29]近かき未来の政局を打算するが為には、先づ此例題を解决せざる可からず。
然れども憲政党及び其他の伊藤崇拝者が、果して能く伊藤侯の人物を領解したるや否や※[#白ゴマ、1−3−29]試に問はむ、侯は党首の器を備へたる人物なる乎※[#白ゴマ、1−3−29]具体的にいへば、侯はグラツドストンたるを得る乎※[#白ゴマ、1−3−29]サリスバリーたるを得る乎と※[#白ゴマ、1−3−29]凡そ党首に最も必要なる資格は、国民を指導して国民を専制せざるに在り※[#白ゴマ、1−3−29]但国民を指導すといふは、国民を煽動するの謂に非ず※[#白ゴマ、1−3−29]衆愚の感情を迎合し、一時の俗論を鼓吹し、己れの信ぜざる所を語り、我が欲せざる所を行ひ、詐謀偽術を挟みて強て多数の好尚に阿ねるは、是れ煽動家の事のみ※[#白ゴマ、1−3−29]余が所謂る党首に非ず※[#白ゴマ、1−3−29]マツヂニー曾て多数政治に定義を与へて曰く、多数政治とは、最も聡慧にして最も善良なる首領の指導に依れる政治なりと※[#白ゴマ、1−3−29]故に党首は其智見判断に於て固より一代に超絶するものたる可く、則ち国民の未だ知らざる所を知り、国民の未だ見ざる所を見るの賢明なる人物ならざる可からずと雖も、此れと同時に、其智見判断を以て、国民の意思を圧服せむとするは、是れ専制家の事なり※[#白ゴマ、1−3−29]余が所謂る党首には非ず※[#白ゴマ、1−3−29]煽動家はモツブの頭領たる可し、政党の首領たるを得ず、専制家は宮廷政治の宰相たる可し、多数政治の宰相たるを得ず。
余は伊藤侯が当今第一流の政治家として、其智見判断固より一頭地を地平線上より抽むずる者あるを認識す。されど侯は政党の首領として、国民を指導するの適才なりや否やと問はゞ、余は容易に之れを首肯する能はず※[#白ゴ
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