るは当然なりと謂ふべし。但だ彼は当局者としても、局外者としても常に超然として公衆環視の圏外に特立せむとするの態度を執るものゝ如く、伊藤公爵大隈伯爵等が終始公衆の耳目を聳動せむとすると頗る其の趣を異にせり。されば伊藤公爵大隈伯爵等は、其の妍醜瑕瑜大概露見して蔽はるゝ所なきも、山県公爵の真価は容易に公衆の窺ひ知る所とならず。彼は輪廓明白なる一人格としてよりは、寧ろ人格化したる一勢力として国民の眼に映ぜり。従つて国民は彼れの存在を政権と聯結して観察するに止まり、真に能く彼れの人格を領解し得るものは甚だ少なきに似たり。
且つ伊藤公爵も、大隈伯爵も、其の私生涯と公生涯とを問はず、均しく之れを公処の白堊光裡に展開して彼等の自由批評に任ずと雖も、山県公爵に至ては、公私の生涯に截然たる分界あるが故に、其の私生涯は醇粋なる私生涯にして殆ど公衆と何の交渉する所なし。彼は朝廷の大礼、若くは官務的性質を帯びたる会合以外に出席すること甚だ稀なり、単に社交を目的とする普通の公会に周旋して、八面酬接の交渉を事とするは、彼れの性向に適せざる所なるべし。時として椿山荘園遊会を見ることあるも、是れ大切なる外国の貴賓に敬
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