みにても、頗る政友会に利ありと信じたりき。何となれば、元老たるの資望は、単純なる党首の勢力よりも、より大なる勢力を有すと想像すればなり。されば彼等は、第十七議会に於て桂内閣と衝突するに当り、侯の勢力善く桂内閣を屈服して解散の代りに内閣を交迭せしむるを得べしと予期したりしならむ。而も解散は来りて交迭は来らざりき、何となれば、桂内閣は彼等の想像するが如き腰の弱き内閣にあらざるのみならず、伊藤侯自身の如きも亦自ら取つて代るの成算なかりしを以てなり。是に於て乎、彼等は大に失望したり。第十八議会開くるや、彼等は窃に謂へらく、今度こそは一挙して内閣を倒すを得むと。而も彼等の御大将は、戦略を講ずる代りに和約を講じ、其の結果は妥協と為りて発表せられたりき、彼等は豈再び失望せざるを得むや。然れども仮りに侯をして妥協の申込を拒絶せしめ、飽くまで桂内閣と戦はしむるとせむ、余は尚ほ彼等が失望より脱する能はざりしを信ず、何となれば、妥協成らずんば復た解散を見るの外なければなり。彼等の侯に期する所は、侯が元老たるの勢力資望を利用して、第一には解散を避け、第二には政友会内閣を組織するに在る可し。中には内閣を交迭せしむるまでは、幾囘の解散をも畏れずと称する硬派と、交迭にして容易に庶幾し得可からずば、唯だ成る可く解散を避けむことを望むの軟派あるべしと雖ども、多数の会員は、伊藤侯の勢力を過信し、侯にして政友会を指導する限りは、桂内閣は解散を行ふ能はずして総辞職を行ふの運命に遭遇すべしとの夢想を描ける連中なり。伊藤侯の勢力を以てすと雖ども、固より斯の如き都合善き希望を満足せしむるの魔術を有せざるは無論なり。
 然れども侯は大局の利害を打算すると共に、又た出来得る限り善く政友会の利害をも考量したり。侯は桂内閣が猫撫声を使ふに似ず、案外其の決意の堅固なるをも認識したりき。妥協の申込を素気なく拒絶せば、其の結果は再解散あるをも疑はざりき。故に侯は会員を諭して曰く、此の上政府と衝突して解散を重ぬるは国家の不利益なりと。其の実、解散は政友会の不利益なれば妥協は一面に於て政友会の為に謀りたるものといふべし。政友会員たるものは、又何の総裁に慊焉たらざる所ぞ。
 夫の脱会諸氏の中には、侯が妥協の為に反対党としての立場迄をも全く失はしめたるを称して、政党の本分を紊りたると為すものありと雖も、妥協は政府と議会との衝突を避くるを大趣意としたるがゆゑに、若し形式的に妥協を是認して、他の方法例へば予算問題の討議に於て側面より政府を苦むるが如き挙に出でむか、妥協の大趣意は全く破れむ、伊藤侯にして斯くの如き馬鹿らしき演劇を承認すべしと謂はむや。但だ侯が党首として部下を指導するの術を尽さざる所ありしは、何人も亦之れを否定する能はざるを惜むのみ。蓋し妥協の内容に付ては、侯は詳細に常務委員に説明せずして、彼等をして突然現内閣と交渉せしめたり、彼等は総裁が唯だ妥協の端緒を開き置きたるのみにて、其の内容は更に之れを協定するに十分の余地あるべしと信ぜしならむ。而も一たび現内閣員と交渉するに及び、妥協の内容は、既に政府と伊藤侯との間に協定を経たるを審かにして一驚を喫したりしが如し。是れ殆ど常務委員を死地に陥れたるものに非ずや。其の専制を用ゆる度に過ぎて、会員をして侯の一挙一動を端睨する能はざらしめたるは、決して人心を収攬するの道にはあらず。侯は此点に於て部下の離叛を招ぐに至りたるは、亦止むを得ざるの数なりといふべし。
 或は曰く、侯は党首の責任を忘れて、単に元老たるの位地に於て政府と妥協せり、是れ立憲政治家より藩閥政治家に退却するの態度に非ずやと。党派政治と立憲政治とを混同する党人は、動もすれば此の言を為して侯を議せむとせり。然れども是れ恐らくは侯を誤解するものならむ。蓋し侯は党派に殉ぜざると同じく、亦藩閥にも殉ぜざるの政治家なり。侯にして藩閥に殉ずるほどの愚人ならば初めより政友会を組織する如き無益の労苦を為すの謂れなく、さりとて党派に殉ずるには、侯の思想は余りに経世的なり。侯は藩閥を超越すると共に党派をも超越して、高く自ら地歩を占めたり。是れ侯が党人に喜ばれざる所ある如くに、又た藩閥者流にも嫌はるゝ所ある原因なり。侯は国家の元老たる身分を自覚するがゆゑに、時としては党派の側に立ちて藩閥と争ふことあるべく、時としては藩閥の忠言者と為りて党人の疑惑を惹き起すことあるべく、則ち今囘の和協問題の如き其一発現なりといふも可也。要するに侯は近かき将来までは、暫らく政界の大導師として、朝野政治家の過失を矯正するを任務とするの最も適当なるを見る、是れ侯の如き有力なる元老が国家に対する最高の義務なるべし。
 若し夫れ政界の革新を号呼して、漫に元老を無用視する党人輩は、是れ未だ政界の現状を領解せざるものなり。欧洲立憲国には固
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