り※[#白ゴマ、1−3−29]是れ彼れが為めに最も困難なる位地なりと謂ふ可し※[#白ゴマ、1−3−29]而も彼れは雲霞の如く押し寄せ来れる請願人民に対して、死を以て此問題の為に尽力す可きを誓ふ※[#白ゴマ、1−3−29]余は此の一誓言の中に、亦多少の計画、多少の作用を含蓄するものあるを信ず、彼れは元来非常の神経質なり※[#白ゴマ、1−3−29]故に喜怒共に極めて激烈なりと雖も、其人心の詭秘を見ること甚だ深刻にして、容易に他の欺く所とならざらむことを勉む※[#白ゴマ、1−3−29]是れ彼れの一政友が、常に此一事を以て彼れの欠点なりとする所なり※[#白ゴマ、1−3−29]されど彼れが下院に於ける演説の敵の皮肉を穿つの警語多きは、其能く人心の弱点を看破するの明あるが為めにして、其時として荒誕附会に類するの言論あるは、亦余りに暗黒の一面を偏視するが為めなり※[#白ゴマ、1−3−29]若し彼れをして今少し真面目ならしめ、今少し健全の思想を有せしめば、彼れは代議士として実に得易からざるの人物なり※[#白ゴマ、1−3−29]惜いかな無学にして大体に通ぜず、無識にして組織的成見を有せず※[#白ゴマ、1−3−29]是れ其動もすれば正径を誤るの盲動ある所以なり。
されど彼は兎も角下院の名物なり※[#白ゴマ、1−3−29]彼れ動けば、議場は一個の劇壇にして、彼れは宛然たる政治的俳優なり※[#白ゴマ、1−3−29]是れ彼れが名の海内に持て囃さるゝ所以に非ずや。(三十一年十月)
口碑上の豪傑
※[#丸中黒、1−3−26]凡そ豪傑には二種の別がある。第一種は一国又は世界の問題の提出者ともなり、実行者ともなり若くは其の批評者ともなつて、其の言動が歴史上の或る部分を作る人物である。第二種は、其の事業よりいへば歴史に関係するほどの幅も厚さもないが、然しながら異常の個人性があつて、後世永く人口に膾炙する人物である。前者は之れを称して歴史的豪傑といふべく、後者は口碑的豪傑とでもいふであらうか。
※[#丸中黒、1−3−26]伊藤侯だとか、大隈伯だとか、東郷大将だとかいふ人物は、所謂る歴史的豪傑であつて、田中正造翁などは口碑的豪傑である。
※[#丸中黒、1−3−26]日本には口碑的豪傑が極めて多い。単に徳川時代のみに就ていふも、大久保彦左衛門、佐倉宗五郎、幡随院長兵衛、荒木又右衛門なんどいふ連中は、歴史的豪傑としては残つて居ないが、児童走卒も尚ほ能く其の名を記憶して嘖々是れを伝唱するのを思へば、彼等は正さしく口碑的豪傑の尤なるものである。
※[#丸中黒、1−3−26]日本に講談師とか浪花節語りとかいふ芸人の起つたのは、恐らくは口碑的豪傑の多く輩出した為であらふと考へる。而して此等の芸人に依て、口碑的豪傑が益々市井の間に持て囃さるゝやうになつたのである。
※[#丸中黒、1−3−26]田中正造翁は随分新聞紙の種を供給する人物であるが、歴史家からは多分淘汰されて仕舞ふだらうと思ふ。然しながら翁は歴史家に無視せらるゝと同時に、必らず講談師や浪花節語りに拾ひ上げられて、寄席の高座から口碑的豪傑となつて現はるゝの時があるに相違ない。
※[#丸中黒、1−3−26]翁は一度は代議士ともなつて、議会でも名物の一人に数へられた男であるが、翁は恰も日蓮宗徒が南無妙法蓮華経を一心に唱ふるやうに、始終唯だ鉱毒問題を怒鳴り通して居たのである。
※[#丸中黒、1−3−26]近頃翁は官吏侮辱罪で訴へられて居る。相手は巡査とか村長とかであるが、相手は誰れであらうとも、鉱毒地の人民を迫害すると信ずるものは、総て之れを敵として奮闘する。これが翁の終生の運動である。翁は此の運動の為に、あらゆる悲惨をも甞め、あらゆる困難にも逢遇した。然し翁は悉く之れに打ち克つだけの勇気と忍耐とを有して居る。
※[#丸中黒、1−3−26]金も欲しくない、命も要らない、名誉を望まないで、唯だ善と思ふ目的に向つて、側目もふらずに突進することは、常識本位の人には出来ぬ芸だ。世間は此の類の熱血漢を一種の精神病者と認むるのである。但し義人とか献身者とかいふ奴は大抵精神病者と見えるもので、其の言動は往々軌道を外づれて居るものだ。
※[#丸中黒、1−3−26]田中翁も即ち其れで、現代からは狂人と見做さるゝかも知れない。実に翁は現代の厄介者である。富の勢力にも屈しない、政府の権威にも畏れない、又世間の毀誉褒貶にも頓着しない。なか/\始末にいけない代物である。加ふるに根気よく奮闘を継続して毫も休止しない所は、何となく其の個人性に薄気味の悪るい点があるやうに思はれる。
※[#丸中黒、1−3−26]翁は迷信の為に運動するでもない、又主義の為に運動するでもない、唯だ直覚に依て運動するのである。翁は猛烈なる可燃質の人
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