るのみ、而も一面に於て此の大欠陥を有すると共に、他の一面に於ては爛漫たる大醇と、愛す可き大美質とを有するものあるが故に、単に彼れの鄙野疎狂を咎むるは甚だ苛酷なり。何をか彼れの大醇と謂ふや、悪を憎み、冷血を忌むこと人に過ぎ、之れを攻撃するに於て、一歩も借さゞるの熱誠是れなり※[#白ゴマ、1−3−29]何をか彼れの美質と謂ふや、常に弱者の味方となりて、驕慢なるもの、権力あるものに抵抗するの侠骨是れなり、彼れが故後藤伯と事毎に衝突したりしも此れが為めにして、伯曾て彼れの強頂を患へ、切りに辞を卑うして彼を招がむとしたるも、彼は啻に伯に屈致せざりしのみならず、益々伯の失徳を追窮して毫も憚る所なかりき※[#白ゴマ、1−3−29]余は彼れが果して後藤伯の人物を正解し得たりしや否やを知らず※[#白ゴマ、1−3−29]又彼れの後藤攻撃論は、果して精確なる事実に根拠したりしや否を知ること能はず※[#白ゴマ、1−3−29]されど彼れの眼中に映じたる後藤伯は、老獪にして野心深く、私利私福を貪りて正義の観念なき奸雄なりしに似たり※[#白ゴマ、1−3−29]則ち彼は後藤伯を認めて奸雄の偶像と認めたるが故に、之れを攻撃したるのみ。
鉱毒事件は、彼れの専売問題にして、彼れは此問題の為めにモツブの巨魁なり、愚民のデマゴーグなりと称せらるゝをも厭はざるなり※[#白ゴマ、1−3−29]何となれば彼は此問題を以て人情正義の問題と為すものなればなり。
余は此問題に関して、全然彼れの主張に同意するものに非ず※[#白ゴマ、1−3−29]されど余は彼れの良心に同感せざるなき能はず※[#白ゴマ、1−3−29]其主張の誇大にして、且つ論理の極端なる、殆ど無経綸に近かきものありと雖も、其所信を固守して一点調和の意義を含まざるは、决して利害に制せらるゝ政治家の夢想し得る所に非ず※[#白ゴマ、1−3−29]是れ彼れに良心の健全なるものあればなり。
誠実なる方便家
誠実是れ好方便なりとは、屡々余の聴く所の語なれども、之を実行するものは甚だ稀なり※[#白ゴマ、1−3−29]世間誠実の君子少なきに非ず※[#白ゴマ、1−3−29]されど単純なる誠実は好方便と為らず※[#白ゴマ、1−3−29]何となれば是れ無意義の誠実なればなり※[#白ゴマ、1−3−29]蓋し古へより能く人心を収攬するものは、决して術数権謀の士に非ず※[#白ゴマ、1−3−29]されど単純なる誠実も亦た能く衆心を収攬する所以に非ず※[#白ゴマ、1−3−29]唯だ誠実の士にして智慧を用いるもの、始めて能く誠実をして好方便たらしむるを得るのみ、田中正造氏の如き稍々之れを得たり。
彼は熱血男児なり※[#白ゴマ、1−3−29]されど彼は决して直情径行の純人に非ず※[#白ゴマ、1−3−29]彼は粗放なる如くにして、其実精細の算勘に富み、直角的なる如くにして、反つて曲線的の行路を歩む※[#白ゴマ、1−3−29]唯だ悪を知りて悪を行はず、利害に明かにして利害に拘束せられざる、乃ち是れ彼れの彼れたる所以なり。
試に見よ、鉱毒問題は古河市兵衛氏と地方一部の農民との間に起れる一小事件のみ※[#白ゴマ、1−3−29]决して之れを天下の大問題と謂ふ可からず※[#白ゴマ、1−3−29]而も田中氏が一たび此問題を持把して下院に現はるゝや、其声頗る大にして、終に下院を動かし、政府を動かし復た之れを一小事件と認むる能はざるに至らしめたり※[#白ゴマ、1−3−29]彼は此問題に於て老獪縦横なる後藤伯と争へり※[#白ゴマ、1−3−29]才弁多智なる陸奥伯と争へり、而して一方に於ては、大胆にして術数ある古河氏を相手として、不撓不屈の戦闘を継続したり※[#白ゴマ、1−3−29]種々の誘惑種々の恐嚇種々の圧力は、絶えず彼れ及び彼の代表せる地方民を掩襲したるに拘らず、彼は一切之れを排除して、曾て窘窮したる迹を示さず※[#白ゴマ、1−3−29]是れ其戦略巧妙にして進退掛引善く機宜に適するものあるが為なり。前きに松隈内閣の成るや、世間皆以為らく、鉱毒問題或は大に其気※[#「陥のつくり+炎」、第3水準1−87−64]を収めむと※[#白ゴマ、1−3−29]何となれば当時進歩党は内閣の党与たりしに於て、彼れにして若し鉱毒問題を提出せば、進歩党と松隈内閣とは、共に頗る困却す可ければなり※[#白ゴマ、1−3−29]然るに彼は反つて一層猛烈なる運動を開始して、終に政府をして所謂る鉱毒事件処分案なるものを施行せしめたり、是れ実に政府の一大譲与なりき、其智亦侮る可からざるものあるを見る。今や彼れの先輩に依て組織せられたる現内閣は、復た鉱毒問題の襲撃を受けて、大に窘色あり※[#白ゴマ、1−3−29]彼は現内閣と地方民との間に立ちて、再び此問題を解釈せざる可らざる位地に在
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