したると共に、又た其の最純良なる性質をも禀受したりき。其の名利の範疇を超脱して、一意唯だ君国に報効せむことを図りたるは之れが為なり。然れども公は党派政治家として成功するの人に非ざりしが如し。何となれば山野の習気を帯びたる党人を指導するよりも、君側に侍して献替補弼するの、寧ろ公の人格に賦与せられたる天品なればなり。

      清国保全主義
 公の政治的生涯は甚だ短かりしと雖も、其の言動の録すべきもの甚だ少なからず。中に就き特筆大書すべきは、清国保全の旨義を唱道して国論を統一したる是れなり。
 明治三十三年義和団の蜂起するや、清廷之れを勦討するの挙に出でず、却つて陰に之れを助けて、其の排外的暴動を煽揚したりき。是に於てか、各国は兵を北清に出して清廷の罪を問はむとし、而して露国は此の事変を奇貨として満洲を占領せむとするの色ありしを以て、公は清国分割の端或は此の間に啓けむことを恐れ、清国保全の旨義を標榜として国民同盟会を起したりき。当時国内には、或は清国分割を主張するものあり、或は満韓交換を説くものありて、国論紛々帰著する所なく、特に政友会は、総務委員会を開きて国民同盟会の行動を非認するの决議を為したりき。然れども各国の政府及び識者は、概して清国の保全、東洋の平和を声明したるを以て、公の唱道せる大旨義は、殆ど世界の公論たるに至れり。即ち夫の英独協商の如きは亦清国の領土保全門戸開放を以て原則としたるものなりき。
 英独協商の成立したる時は、帝国の内閣は政友会を以て組織し、伊藤侯は実に之れが首相たりき。而して政友会は初め国民同盟会の行動を非認したるに拘らず、其の内閣は英独協商の原則を容認して之れに加入したれば、内閣と国民同盟会とは、其の旨義に於て遂に一致するを見たりき。
 然れども露国は満洲の情形不穏にして鉄道保護の必要ありと称して、兵力を以て之れを占領し、尋で露国関東総督アレキシーフと盛京将軍増祺との間に、満洲に関する密約締結せられたりとの報ありしがゆゑに、公は同盟会員を私邸に招集し、我政府をして満洲占領の撤兵及び露清密約の成立に反対するの方法を執らしめむことを決議したりき。
 既にして露清特約更に露都に於て成立を告げむとするや、公は清国の大官重臣に警告するに、極力特約に抗拒すべきを以てし、我政府も亦公等の主張を容れて、露国政府に露清特約を廃棄すべしと忠告すると同時に、清国全権に向ても特約に調印すべからずと通告したり。斯くて露清条約は成立せざるを得たりと雖も、露国は依然事実上の満洲占領を継続したるを以て、公は満洲開放統治策を起草し、之れを劉坤一、張之洞の両総督に贈りたり。其の大意、満洲を開放して、各国の利権を均霑せしめ、以て其の領土を保全するの得策なるに如かずといふに在り。此の論亦久しからずして世界の公論と為れり。後ち公は自ら清韓両国に遊び、親しく両国の大官名士と会見し、共に力を大局の支持に致さむことを約して帰り、爾来公の意見は、大抵我当局者の施設と其の帰著を同うし、小村寿太郎氏の外務大臣たるに及で、日英同盟の締結と為り、満洲撤兵の談判と為り、今や時局も遠からずして将に解決せられむとするの時機に際会するを得たり。是れ豈公が初めて清国保全の大旨義を唱道して国論を統一したるの功に由らずと謂はむや。

      伊藤侯との関係
 公は内治外交の政策に付ては、終始多く伊藤侯と衝突して、多く大隈伯と接近するの傾向を有したりき。然れども其の個人的位地よりいへば、公は最も早く伊藤侯に接近したる人にて、大隈伯とは、松隈内閣組織の頃、早稲田専門学校卒業式に於て、唯だ一囘会見したることあるのみと聞けり。但し公と伯との聯鎖たらむと勉め、若くは公伯をして政治的交際を開かしめむと企てたる策士は、或は之れありしを疑はず。然れども公は終に大隈伯と善く相識るに及ばずして薨じたりき。故に曾て公を目して大隈伯の系統に属すと為したるものは、全く公の立場を誤解したるものなり。
 若し夫れ伊藤侯は、明治十七年公を海外に留学せしむべき勅許を奏請したりき。公の独逸ライプチヒ大学に在るや、此の先輩政治家と青年学生との間には、間断なく書信の往復ありたりき。公の学成りて帰朝するや、時方に帝国議会の開設に逢ひ、公は憲法の与へたる特権に依りて貴族院に列したりしが、当時貴族院議長たりし伊藤侯は、此の帰朝者の政治的技倆を試験せむが為に一時仮議長の事を摂行せしめたりき。公の議事整理上に現はしたる手腕は、老年議員をして舌を巻かしめたるのみならず、推薦者たる侯をして亦其の成功を祝せしめたりき。伊藤侯は実に公を政治家に仕立上げむが為に、凡百の訓練指導を与へむと欲したりき。後年公自らも余に語りたることあり、余は伊藤侯の薫陶に負ふ所頗る多きものありと。公の伊藤侯に於ける関係の旧るくして且つ親しかりしこ
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