と斯くの如し。
 然るに第四期議会以後、公は伊藤侯と漸く其の政見を異にし、伊藤内閣が第五議会を解散するに及で、公は伊藤侯に対する絶交書ともいふべき『復書弁妄』を発表し、尋で『非解散意見』をも公刊して、断然伊藤侯の政敵たる位地に立つを辞せざりき。其頃公は伊藤侯に呼び付けられて、其の言動の不謹慎なるを叱責せられたることありしを聞けり。而も公は憲法擁護の為めに私情を抑制するの止むべからざるがゆゑに、伊藤侯の喜怒に依りて進退する能はざりしものゝ如し。公は当時の境遇を余に語りて曰く、我れの伊藤侯に反対するは、最大なる精神上の苦痛なりき。何となれば侯は我師父といふべき恩人なればなり。然れども此の苦痛を忍ぶは、公義の命ずる所にして、復た之れを奈何ともすべからずと。非解散意見書中にも亦言へり、現内閣総理大臣伊藤博文伯(当時は伯爵たり)に対しては、私交上寧ろ其の人を徳とする所あり。是を以て政治上の事件に就ても、伯が手際巧みに偉功を奏せむことを祈り、社会の趨勢にして、伯の施設に逆戻するが如きあらば、伯や潔く大丈夫たるの挙措に出で、勇退高踏遂に其の徳を傷けず、流石は維新元勲の言動、凡庸政治家の企及すべからざるものありとの名誉は伯の身辺に纏ひ、百年の後、伯や国民の瞻仰する所と為り、千歳の下青史の上、模範政治家たらむことを望むの私情は胸襟の間に往来する所たり。篤麿が私交の上に於て伊藤博文伯に対するの情実に師父に対するの情に劣らざるものありて存す、豈一毫の怨恨あらむや。(中略)然れども篤麿が私情に於て伊藤博文伯に繋けたる所の希望は、全く水泡に属したり。今や篤麿は私情を去て公義に依り、旧来の情誼を棄てゝ、断然伊藤内閣反対の側に立ち、公然其の非を鳴らさゞるを得ざるの場合に至れり。国家の為に私情を割く、篤麿不敏と雖も已むべきに非るを知ればなりと。情理并び到れるの辞なりと謂ふべし。
 近衛公は私情を忍ぶに於て実に強固なる意思を有したる人なりき。而も其の意思や、公義の発動より出でて、一点の野心を雑へず、所謂る公闘に強くして私闘に弱きの類乎。嗟乎公や逝く、公の後継者たるべき人物は果して有りや無しや。(三十七年二月)

   星亨

     星亨

      彼は政界の未知数なり
 星亨氏は曾て不人望を以て高名なりき※[#白ゴマ、1−3−29]個人としては彼れを味方とするものも、公人としては反つて彼れを敵視するもの多し※[#白ゴマ、1−3−29]或は彼れの挙動を咎めて、車夫馬丁に類する賤人なりといひ、或は彼れの演説を評して、恰も欹形の嘴を有せる怪鳥が常に悪声を放つが如しといひ、或は彼れの性格を称して、猛獣の血液を混じたる人中の悪魔なりといひ、以て彼れを卑むに非ずむば彼れを畏れ、以て彼れを畏るゝに非ずむば彼れを憎むもの、滔々大率是れなり※[#白ゴマ、1−3−29]現に彼れが外務大臣候補者として内閣の問題となりし時の如き、閣員の多数も、亦彼れの不人望を畏れて之を排斥したりといふに非ずや、余は固より伝ふる如きの事実ありや否やを証言する能はずと雖も、単に之れを一時の風説とするも、斯る風説の多少世間に信ぜらるゝを見れば、亦以て彼れが如何に政界に不人望なるかを認識するに足る。
 されど彼れを讚美する一部の声は亦甚だ高大なり※[#白ゴマ、1−3−29]一田舎新聞は、彼れを以て東洋の大豪傑と為し、未来の総理大臣と為し、我選挙区民は此の人物を代議士とするの栄誉を失ふ可からずと絶叫して、彼れをビスマーク、グラツドストンにも匹敵す可き大政治家の如くに誇張したりき※[#白ゴマ、1−3−29]其想像の過度なる、殆ど滑稽突梯に陥ると雖も、彼に対する想像の奇なるは其不人望の方面に於ても亦同一なり。見よ彼れが将に帰朝せむとするや、或は曰く彼れの帰朝は政界の一大恐慌なり、其進退は天下の大問題なりと※[#白ゴマ、1−3−29]或は曰く、彼れは内閣を強迫して帰朝せり、内閣は彼れを覊束するの威力なきなりと、其状恰も敵国来襲を報ずる警戒の如し。既にして彼れの帰朝するや、彼れの言動は極めて沈静なり※[#白ゴマ、1−3−29]彼れ曰く余にして若し求むる所あれば、何時にても入閣するを得可し※[#白ゴマ、1−3−29]余は唯だ求むる所なきのみ※[#白ゴマ、1−3−29]余は一憲政党員として此際に努力せむと欲するのみと※[#白ゴマ、1−3−29]此に於て乎彼れを崇拝するもの、彼れを信用せざるもの、共に彼れを暗黒の中に模索し、彼は終に政界の一未知数と為れり※[#白ゴマ、1−3−29]請ふ吾人をして先づ彼れの個人的資質を観察せしめよ。然らば彼れに対する設題は自ら解答せらるゝを得む。

      彼は天性の党人なり
 彼れは天性の党人なり※[#白ゴマ、1−3−29]何となれば彼れは党人に必要なる二個の特質を有すればなり
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