の一部と閣下の椿山荘とを伝流せる一種の電気力に在りたるは復た疑ふ可からず、閣下願くは我輩をして其説を悉さしめよ。

      ※[#始め二重括弧、1−2−54]十二※[#終わり二重括弧、1−2−55]
 山県相公閣下、我輩の記憶する事実に依るに憲政党組織当時に於ける椿山荘は、実に明治時代の鹿谷として時人の注目を惹きたる位地に在りき、初め伊藤侯が地租問題に失敗して内閣瓦解の危機に立つや、閣下の属僚は以て閣下再び世に出づる機会と為し、閣下も亦自ら伊藤内閣の後継者たる可き運命あることを信じたりき、此に於て乎椿山荘は、閣下を議長としたる大小属僚の密議所と為り、伊藤侯が一方に於て早くも内閣を憲政党に引渡すの準備を為しつゝある間に閣下の属僚は迂濶なる内閣相続策を画して大に閣下の野心を煽揚したりき、而して御前会議と為り、而して閣下と伊藤侯との物別れと為り、而して閣下に於ては寝耳に水の憲政党内閣突如として出現したりき、斯くの如くにして閣下の内閣を夢想したる属僚の絶望と憤恚とは、殆ど名状す可からざりしなり。
 当時閣下の属僚は、此急激なる政変を目して、伊藤侯の不忠不臣なる行動に帰因すと為し、中には侯を罵つて国賊といふものすらありしと雖も、国民は寧ろ侯の公明磊落なる心事を歎称して、古名相の出処進退にも譲らずといひたりき、而も閣下より之れを見れば、閣下は恰も伊藤侯の為に出し抜かれたる観ありしを以て、其の伊藤侯の行動に慊焉たらざりしは亦無論たる可し、此に於て乎椿山荘は再び隠謀の策源地と為り、閣下の属僚は日夕出入して憲政党内閣の破壊に着手したりき、此れを聞く、憲政党内閣組織の発表せられたる頃、石黒忠悳翁偶々椿山荘を訪ふ、都筑馨六氏先づ在りて翁と政変を語り、頗る時事に憤々たるものゝ如し、翁諭して曰く、足下等常に元勲に依頼して大事を済さむとするは甚だ誤まれり、何ぞ自家の実力と運動とに依りて天下を取るの計を為さゞる、一時の政変に驚くは年少政治家の事に非ず、気を吐き才を展ぶるは寧ろ今後に在り、足下宜しく大に奮へよと而も都筑氏及び其他の属僚は、閣下の威名を借らずしては、何等の着手をも為し能はざりしなり。
 既にして閣下の属僚は憲政党内閣の破壊に着手したり、当時の警視庁たる園田安賢男は公然部下の庁吏を集めて煽動的演説を為し、当時の無任所公使たる都筑馨六氏は自ら内閣の最大有力者なる某伯を訪ふて政党内閣の攻撃を試み、而して一方に於ては自由党の権力均分論を奇貨とし、桂子爵の手に依りて内部より内閣分裂の端を啓かしめたり、是れ実に伊藤侯が清国漫遊の留守中に起りたる現象なり。

      ※[#始め二重括弧、1−2−54]十三※[#終わり二重括弧、1−2−55]
 山県相公閣下、閣下と伊藤侯とは、其人格に於ても、思想に於ても、本来決して両立す可き契点あらざるに拘らず、其表面上久しく相互の調和を保持し得たりしは、唯だ藩閥擁護の共同目的に対して、離る可からざる関係を有したりしを以てなり、然るに侯は一朝此の共同目的より解脱し、敢て内閣の門戸を開放して、之れを藩閥の当の敵たる大隈板垣の両伯に与ふ、是れ事実に於ては閣下に向て政治的絶交を告示したると共に、又其の持説と認められたる超然内閣制を固執せざる心事をも表明したる挙動なり、当時世人は此の挙動を以て、英国のロベルト、ピールが保守党の反対を顧慮せずして穀法廃止案を採用したるに比し、以て其の明達の見に服するものありしと雖も閣下より之れを見れば、固より驚く可き豹変たりしに相違なし。
 伊藤侯は独り此の挙動に於てピールに似たる者あるのみならず人物に於ても亦稍々相類したるものなきに非ず、例へば其性情必らずしも極冷ならざれども、少なくとも微温にして事物に執着せざる所、其の知覚鋭敏にして囘避滑脱に巧みなる所、其の敵にも味方にも敬愛せらるゝ割合に、親密なる多数の政友に乏しく、又自ら之れを求むるの熱心なき所、ピール然り、伊藤侯も亦然り、是れ侯が藩閥家の反対に頓着せずして、大隈板垣の両伯を奏薦したりし所以、さりながら伊藤侯は此の一挙に於て、従来の位地に著ぢるしき変化を生じたりき、一方に於ては国民の新同情を得たりと雖も他方に於ては藩閥及び之れに属したる人士の憎疾を蒙ること少なからずして、曾て侯に服従したるものまでも遽かに侯に背き去れるを見たりき、而して閣下は実に伊藤侯の失ひたるものを得て、隠然として憲政党内閣の一大敵国たる趣ありき。
 伊藤侯は周囲の繋累を免かれむが為め、飄然として清国漫遊の途に上りたる間に、閣下の属僚は、憲政党内閣に対して嫉妬的妨害を加へ、たとひ閣下の指揮に出でざるも亦閣下の傍観したる種々の馬鹿らしき舞劇を演じたりき、特に尾崎氏の共和演説問題に至ては、政治問題として殆ど半文の価値なきものたるに拘らず、閣下の属僚等は、自由党の暗愚なる挙
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