十四議会に至ては、唯だ愈々出でて愈々奇なりといはむのみ、試に思へ衆議院の或る一派は、閣下の提出したる未曾有の大予算に協賛する代償として、運動費セシメの魂胆より生じたる幾多の建議案を提出し、恰も国庫の空巣覗ひを働くが如きの状あるも、閣下の内閣は一も二もなく之れを迎合したるに非ずや、又宗教法案は閣下の内閣に於ける最大最重の提案にして、欧洲の立憲国に在ては実に内閣の進退に関する大問題なり、而も閣下は此の法案の貴族院に否決せらるゝを見て痛痒の表感なかりしのみならず、曾て之れが通過を計る為に熱心の尽力なく、初めより議会の為すがまゝに盲従するの態度を示したるは何ぞや、相公閣下、議会は唯だ金銭若くは其他の利益を条件として閣下に盲従し、閣下は唯だ内閣の存立を目的として往々定見なき行動に出づること斯くの如し、我輩は閣下の名誉の為めに、閣下が内閣首相たる責任の為に断々然として此の失体を問はざる可からず、况んや閣下の失体は尚ほこゝに止らざるに於てをや。

      ※[#始め二重括弧、1−2−54]九※[#終わり二重括弧、1−2−55]
 山県相公閣下、顧ふに閣下の議院政略は、単に政治道徳上の一問題として後世史家の評論に任かす可き者に非ず、何となれば閣下の議院政略より岔出したる毒泉は、現に閣下の司配せる各部の行政体統をも膿壊せしめたればなり、夫れ議会の腐敗は、主として議会自身の責任に存すといふを得可きも、行政体統の膿壊は、閣下直接に其の責任を負はざる可からず、是れ即ち政治道徳上の一問題に非ずして、直に内閣大臣の実際的責任問題なり。
 例へば横浜埋立事件に就て之を見るも、閣下を弁護するものは、是れ首相の知る所に非らずして粗放なる西郷内相の失体といひ、西郷内相を弁護するものは、亦是れ内相の知る所に非ずして、小松原内務次官の非行なりといふ、抑も知ると知らざるの争点は自ら別問題なり、乃ち閣下の責任は決して知覚欠乏の故を以て解除せらるゝを得ず、事実たとひ小松原次官一個の非行に属すとするも、之れに対する匡救の責任は懸つて閣下の肩上に在らずや、然るに閣下は曾て何等の処置を此の間に取らざりしのみならず、其の関係者の一方に自由党領袖星亨氏あるが為に、一方は閣下の畏敬せる西郷内相たるが為に、遂に躊躇して手を下だすを憚りたるは首相たるの威厳を失墜したるものに非ずして何ぞや更に地方議員選挙干渉に就て之れを見るも閣下は断じて此の事実を認めずといふを得ざるものたるに拘らず、閣下の内閣は、亦唯だ与党に圧迫せられて地方官の乱憲的行為を制する能ざりしに非ずや、其他最近の事実に現はれたるもの、一として行政体統の膿壊と閣下の無能力とを表示するものたるは、我輩の甚だ閣下の為めに悲む所なり。
 聞く閣下は街鉄市有の意見を有する人なりと、其意見の当否は暫らく措くも、内務次官たる小松原氏が擅まに一派の政商と結托して職権を乱用したる罪案を決する能はず、以て頗る内閣の威信を軽からしめたるは、断じて閣下の失体なりと謂はざる可からず、宗教法案に関しては、閣下初めより一定の成算を有せず偏へに斯波社寺局長平田法制局長等の献策を聴きて生硬未熟の法案を提出し、而も往々地方官をして各地信徒の運動を妨害せしめ、若くは行政権を借て東本願寺に干渉したる如きは、亦閣下の失体ならずと謂ふを得ず、凡そ事斯くの如きは恐らくは閣下の本意に非る可し閣下は常に官紀振粛行政統一を以て自ら標榜するの人たればなり、さりながら閣下内閣を組織してより、曾て官紀振粛行政統一の実を挙ぐることなく、動もすれば与党の専横と属僚の跋扈との為に、内閣の威信と行政機関の紊乱を来すを見るは何ぞや又両院より建議したる学制調査会設置案の如きは、実際に於て文部省不信任の意義を表明したるもの也何となれば学制の方針を定むるは文部大臣の職責にして他の容喙を要す可きものに非ず、若し学制調査会の設置するの必要ありとせば外交調査会を設置して外交の方針を諮詢し、内務調査会を設置して内務の方針を諮詢し、財政調査局を設置して財政の方針を諮詢せざる可からず、斯くの如くば内閣大臣なるもの殆ど無用の長物たる可きを以てなり、然るに文部省は頃日両院の建議を容れて省内に学制調査局類似のものを設置するに決したりとは又何の咄々怪事ぞや、此の一事を見ても我輩は行政機関の大に荒廃したるを想像せざる能はざるなり。

      ※[#始め二重括弧、1−2−54]十※[#終わり二重括弧、1−2−55]
 山県相公閣下、閣下の内閣時代に及で、各部の行政機関が頗る荒廃したる事実は、独り我輩内国人の眼中に映ずるのみに止らずして、東京駐在の列国外交官中にも往々帝国政府の不統一無能力を私議する者あり、現に我輩の聞く所に依れば外人居留地に関する登記事項すらも、政府は容易に其処置を施す能はずして時日を遷延し、其他新
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