、稍々東洋賢人の面目あり。侯は一年中の多くの時間を大磯の閑居に費やし、公務の外帝都に出づること極めて少なく、俗客と酬接するよりも、寧ろ読書に親しむの性癖あるを以て、必らずしも社交の中心たるを求めざるが如し。大隈伯は決して一日も此般の生活状態を忍ぶ能はざるなり。伯は早稲田に広大なる庭園を有し、園中には無数の珍奇なる花卉を蓄へり。特に其温室は伯の最も誇りとする所にして、室内は四季常に爛漫たる美花を以て飾れり。伯は園芸道楽を最も高尚なるものとし、屡々人に向て、花を愛するものは善人なりとの格言を繰り返へして自ら喜ぶと雖も、伯の花を愛するは、詩人の美神に※[#「りっしんべん+淌のつくり」、第3水準1−84−54]※[#「りっしんべん+兄」、第3水準1−84−45]するが如くならず、又た聖者の自然を楽むが如くならずして、唯だ其の社交に色彩を添ゆるが為に之れを愛するのみ。若し早稲田の庭園にして一たび社交と隔離せば伯の園芸に対する趣味は、恐らくは彼れが如く濃厚ならざる可し。何となれば伯の園芸道楽は頗る共同的なればなり。故に早稲田の庭園は公開せり。且つ人は、未来の短かきを感ずれば感ずるほど、漸く静止の生活状態に傾くものなり。然れども大隈伯は其の未来の短かきを感ずるに由りて、却つて一層猛烈なる現在主義の信者と為り、勉めて其生涯をして掉尾の活動あらしめ、以て賑やかなる晩年を送らむと欲せり。故に伯の性格は、老て益々発揮し、他の元老政治家が、或は客を謝して隠棲し、或は美田を買ふて子孫の計を為すの際に在りて、伯は其の門戸を開放して、社会の各階級と盛むに自由交通を行ひ、財を吝まず、労を厭はずして、八面応酬の活動を継続せり。見よ伯の門前は日々殆ど市を為すに非ずや。何時にても三十人以上を饗するの食膳は準備しつゝありといふに非ずや。其毎年議会開会前後に於ける憲政本党員の饗応のみにても、外務大臣の夜会に劣らざる莫大の費用を抛つ上に、或は観菊の会といひ、或は早稲田大学の卒業式といひ、或は遭難紀念会といひ、孰れも毎年一定の期節に於て貴顕紳士を早稲田の庭園に招待するの慣例なれば、其の費用は亦少なからざるべし。此頃全国商業会議所聯合会の開会したるを機とし、盛宴を張て其の議員を饗応したる如き、亦甚だ勉めたりと謂ふ可し。或る好事者流あり、伯の生活の贅沢なる殆んど王侯を凌ぐの勢あるを見て、窃に財源を探究したるに、伯は
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