遠く手を英国の倫敦市場に延ばして巧に銀塊相場に従事しつゝあるの事実を伝聞し、頗る其の大胆の財政規模に驚きたりとの説あり。惟ふに是れ或は斉東野人の説たるに過ぎざるべきも、伯の財政が世上の疑問となるを見るに就ても、亦其の生活の如何に贅沢なるやを知るに足るべし。
伯は啻に門戸を開放して、善く客に接し、人を饗するのみならず、更に善く馬車を飛ばして公私の会合に出席せり。而して伯の往く所、必らず一段の活気ありて場屋に磅※[#「石+(くさかんむり/溥)」、第3水準1−89−18]せり。蓋し総べての雄弁家が皆失敗する場合に於ても、独り伯は弁論演説に於て常に成功するを以てなり。伯は沈黙を守る能はざる人にして、曾て不言実行といへる流行語を冷笑して曰く、言語あるもの必らず実行家にあらずと雖も、実行家にして不言なるものあらず。所謂る不言実行とは、意見もなく自信もなき人物の遁辞のみと。此の断定の正当なるや否やは遽に判ず可からずと雖も、伯が言論を好むの性癖あるは、此の一語に依て之れを察すべし。
従来伯は其の言論の余りに多きが為に、所謂不言実行を以て自ら任ずる政治家は、伯を称して大言放論家と為し、以て其の信用を傷けむとしたり。而かも伯は其の言論の力に依りて、反つて市民の崇拝を鍾めたり。是れ他なし、伯は最も聡慧なる市民の思想を語るの予言者なればなり。伯は好で意見を吐露すれども、敢て異を立てゝ高く自ら標置するの論客にあらずして、輿論の代言者なり。伯は個人的意見の創造者に非ずして、人民の声の写真機なり。是故に伯は精確の意義に於ける英雄に非ず。伯は偉大なる凡人なり。国民の運命を左右せむとする主我的人物に非ずして、国民の運命と倶に進退するの時代的人物なり。維新の三傑と称せられたる西郷、木戸、大久保は、各々維新の大業を以て自己の独力に依りて成したるものゝ如くに思惟したりしやも知る可からず。軍制を改革し、自治制度を制定したる山県侯は、此等の事業を以て自己の創意に出でたりと思惟するも知る可からず。又た憲法を立案したる伊藤侯は、固より議会を開きたるを以て自己の功なりとすべく、露国を征伐する現内閣員は、興国の雄図は我等の手に依て断ぜられたりと思惟すべきは無論なり。然れども大隈伯は、個人の伎倆に重きを置かざるがゆゑに、維新の大業も、法制の改良制定も、議会の開設も、大陸戦争も、其他既往三十余年間に於ける日本の発達進
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