注目を惹ける日本代表者の一人たるは疑ふ可からず。事実に於ても、伊藤侯が現内閣の後見職たる威信を有し、随つて重大なる問題に対して常に勢力ある発言権を行ひつゝあるがゆゑに、総理大臣桂伯よりも、外務大臣小村男よりも、侯爵伊藤博文といへる名は、今尚ほ日本を談ずる外人の口頭より之れを逸せざるを見る。
 然れども余は茲に大隈伯を紹介するの亦必らずしも無意義ならざるを思ふ。何となれば桂伯を政府の代表者とせば、若し又た伊藤侯を帝国の代表者とせば、大隈伯は人民の代表者といふべき模範的人物なればなり。伯は憲政本党の首領なり、現内閣に対しては当面の政敵たると共に、民間に於ても固より多数の反対党に依て囲繞せらる。而も其統率せる政党は、未だ議会の過半数をも占むる能はざるを以て、此の点よりいへば、伯を称して人民の代表者と為すべからざるに似たり。唯だ伯の最近生涯に於て現はれたる行動は、次第に政党首領たるの範囲を脱して、寧ろ人民の代表者たる位地に接近せむとするの傾向あるを知るざる可からず。
 顧ふに政党の信用未だ高からざる日本の如き国に在ては、政党の首領たるものゝ社会的境遇は、頗る窮屈にして自由ならざるものなり。彼れは政権争奪の外、何等の目的を有せずと認めらるゝがゆゑに、政治上の関係なき社会の各階級は、動もすれば彼れと相触著せむことを避くるのみならず、彼れ自身も亦自然に之れと相隔離せざるを得ざるに至る。板垣伯の如き即ち其一人なり。自由党の全盛時代に於ては、板垣伯といへば恰も日本人民の崇拝せる自由の化身の如く見えたれども、其の一旦党籍を去りて在野の一個人となるや、伯の存在は忽ち国民の記憶より去りたるに非ずや。之れに反して大隈伯は、明治十四年改進党を組織してより、二十余年間一日の如く政党と旅進旅退したるに拘らず、其の社会的境遇は、曾て之れが為めに検束せられずして、其の住居せる早稲田の邸宅は、殆ど東京社交の中心たり。伯の門戸は常に開放せられたり。伯と社会各階級との交渉は間断なく継続せられたり。伯は政党の首領たる故を以て毫も其の社会的境遇の寂寞を感ぜざるなり。
 伯が他の政党政治家と其の生涯を異にする所以は、蓋し一は其の理想の同じからざるに由れり。凡そ党派政治家は、大抵政治を狭義に解釈せり。彼等は政治を以て一種の専門技術と為し、政治団体を以て特別なる社会の一階級と為し、其の極端なる個人主義を抱けるものに在
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