侯が政友会を発起するや、窃に親近なる都下の実業家に内意を伝へて有楽会の会合を催ふさしめたり。伯は自ら此会席に列して政友会の代弁人と為りたりき。而して其の勧告の切偲を尽くしたるに拘らず、雨宮一派の相場師を除くの外、多数の実業家は孰れも申し合せたる如く、其の入会を辞謝したりき。蓋し彼等は必ずしも政治と実業との関係密切なる所以を解せざるに非ずと雖も、日本の政党界には尚ほ多くの欠点あり。特に党争の結果個人的取引及び個人的交際までも其の余累を及ぼすの弊害あるを見るに於て、未だ政友会の進行を検するに及ばずして、軽ろ/″\しく之に入会するは、思慮ある実業家の為さざる所なり。且つ入会勧告者たる井上伯は、自身先づ政友会に入りて而る後他人の入会を勧告す可き筈なるに、現に政友会の名簿中には伯の記名なくして、反つて他人の之れに記名せむことを望むは、頗る虫の善き話なり。天下豈斯くの如き勝手気儘の事ある可けんや。
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之れを要するに、立憲政友会は、資望当世に比なき伊藤侯の発起に係れると、其の朝野に亘りて比較的多数の政友を有すると、其の主要の目的実に既成政党の陋弊を刷新するに在るとに依りて、頗る一時の人心に投ずるものありと雖も、其の団体の大幹部は、最も腐敗を極めたる旧自由党たるを見るに於て、其の果して能く伊藤侯の理想を実行するを得可きや否やは、暫らく政治的設題として之れを後日の解答者に待たむのみ。(三十三年十月)
第四次の伊藤内閣
(上)伊藤侯と憲政
幸運なる伊藤侯は、政治上最も多望なる時代に於て第四次内閣を組織せり。顧ふに侯の出づるや、常に時代に歓迎せらる。而も其の末路は、常に失敗に終る。知らず、第四次内閣の進行は如何。是れ実に、政治家たる伊藤侯の死活問題なり。若し能く国民の冀望を満足せしむるの施設あらむか、既徃幾多の失敗は、之を償ふて余りあるのみならず、侯は明治年間第一流の政治家として、永く歴史上の大人物たるを得可し。若し之れに反して万一失敗せむか、侯は到底虚名の政治家たるを免がる可からず。
薩長元勲にして内閣総理大臣たりしものは、侯を外にして故黒田伯あり、松方伯あり、山県侯あり。されど黒田伯は唯だ一囘内閣を組織したるのみにて、而も極めて短命なる内閣なりき。松方伯と山県侯とは、内閣を組織したること前後各二囘なりしも
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