だ最も党弊に浸潤せる旧自由党を最大要素とせる政友会を率いて、果して能く党弊刷新の目的を達し得可しとする乎。是れ甚だ余の疑ふ所なり。現に侯が田口卯吉氏に請ふに政友会に入らむことを以てするや、彼は侯に向て極度に腐敗せる旧自由党を主力としたる政友会の、到底党弊刷新を期し得可き謂れなきを論じて入会を謝絶したり。島田三郎氏の如きも亦彼れと同一なる観察に依りて政友会と接近するを避けたり。清流の士の政友会に赴かざる所以は実に此れが為めなり。
(三)創立の参謀
政友会の創立に与かれる参謀としては、先づ旧自由党総務委員を以て重もなる人物と為さざる可からず。されど伊藤侯の計画は、勉めて各種の人物と各階級の代表者を網羅するに在り故に投票権の多少よりいへば、旧自由党最も多数の創立委員を出だす可き筈なれども、十二人の創立委員中旧自由党より挙げたるものは僅に四名の総務委員にして、其の余は総べて旧自由党以外の人物を指名したりき。
此等の創立委員中最も新らしき印象を世人に与へたる人物は、男爵本多政以氏と為す。彼れは前田家の旧大老にして、維新前は五万石を領したる加賀の名族なり。其の公人生涯に入りしは、今囘の政友会創立に与かれるを以て始めと為すが故に、其の人物経歴共に未だ多く人に知られずと雖も、伝ふる所に依れば、彼は従来実業に従事して嘗て政治運動に関係したることなく、唯だ其の名望の高きと、其の風采の酷だ近衛公に肖たるものあるを以て、加賀の近衛公と称せられたりといふ。彼れが伊藤侯の勧誘に応じて政友会に入り、以て不慣れなる政治劇の舞台に立つに至りしは、唯だ伊藤侯其人に傾倒せるが為めなりと聞く。伊藤侯が先年加賀地方を遊説したるに際し、彼れは初めて伊藤侯の謦咳に接すると同時に、遽かに侯の崇拝家と為りたるものゝ如し。彼れ政友会に入るに臨み、極めて正直に、有りのまゝに、自己の心事を人に語りて曰く、我家の資産は、祖先が政治上に於て獲得したるものなり。乃ち之れを政治上に於て蕩尽するも亦憾みなしと。奇男子なるかな。
都筑馨六氏が政友会の創立委員たるも亦一異色たるを見る。何となれば、彼れは最も党人を忌み、政党を嫌ひ、政治上に於ては極端の保守主義を持するを以て、曾て属僚中の頑冥派なりとの目ありたればなり。憲政党内閣の成るや、彼れは大隈伯を訪ふて憲法上の論端を開き、帝国の憲法と政党内閣とは決して両立す可か
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