らざる所以を切論して、大隈伯の持論を打破せむと試みたるほどの熱心なる非政党内閣論者なり。彼れ又曾て人に語りて曰く、大隈伯は其品性識量共に立派なる政治家なり。唯だ其の周囲を叢擁する者は、大抵無頼野性の党人にして、伯の徳を累はすものたらざるなし。伯が此等の党人を相手として国事を謀るの意甚だ解す可からずと。其の党人を視るや殆ど蛇蝎の如し。今や政友会には最悪最劣の党人頗る多くして、清流の士皆※[#「戚/心」、第4水準2−12−68]顰を禁ずる能はざるに拘らず、彼れは此輩と相追随して前進せむとするは豈奇ならずや。知らず彼れは其の主張を棄てゝ政党に降りし乎。将た其の岳父井上伯が伊藤侯を援助するが為に、義に於て政友会に入らざるを得ざるの事情ある乎。
西園寺公望侯、渡辺国武子、金子堅太郎男の三氏に至ては、是れ純然たる伊藤侯の門下生なれば、則ち侯と進退趨舎を倶にするは亦怪む可きなし。大岡育造氏は、曾て国民協会を自由党に合同せしめて、伊藤侯を其の首領たらしめんと試みたる策士にして、侯の今囘発起せる政友会の創立委員たるは、其の最も満足とし、栄誉とする所たるは無論なる可し。渡辺洪基氏は一たび伊藤侯の四天王の一人なりと称せられたる人なり。其志を政界に得ざるや、乃ち身を実業社会に投じて久しく政治的野心を抑損し、随つて侯と彼れとの関係は次第に杳遠と為りつゝありしと雖も、侯の政友会を組織するに及び、成る可く多く旧政友を糾合するの必要あると、渡辺氏と実業社会との間には多少の連絡あるを以て、彼を通じて実業家を招徠するの必要あるとに依りて、殆ど相忘れむとしたる一門下生に復旧を求めて、之を政友会創立委員の一人に指名したりき。長谷場純孝氏の創立委員に加へられたるは、彼れが薩派を代表するが為めにして、彼に取ては寧ろ望外の栄誉なる可し。彼れは思想に於ても、感情に於ても、若くは其の人格に於ても決して伊藤侯に容れらる可き点を有せず。其の容れられたるは、是れ侯が彼れの代表権に重きを置きたる証なればなり。
(四)帰化したる敵将
伊藤侯は勉めて各種の要素を収容せむと欲し、敵党の人物と雖も来るものは之を拒まざるの概を示したり。此を以て新を喜び旧を厭ふの軽佻者流、若くは侯の資望勢力に依りて万一の倖進を冀ふものは、争ふて政友会に赴きたり。独り進歩党の領袖として、操守堅固の壮年政治家として議院の内外に高名なりし
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