守主義に近く、政党内閣には反対の意見を有する人なり。佐々氏の熊本国権派は、初めより絶対的に政党内閣を非認する保守主義を有するものたり。之に反して大岡、元田等の一派は、時勢の変に際して政党内閣の避く可からざるを信ずるものなり。彼等は精確の意義に於ける進歩主義を有するものにあらざれども、少なくとも時勢と推移するの術を解するものなり。此点に於て佐々等の国権派と内政に対する政見を異にするは疑ひもなき事実にして、其山県侯の為に謀る所以のもの随て自ら径庭あるを見る可し。国民協会以外に於ける山県系統の人物を見るに、亦進歩保守の両派に分かれたり。保守派の最も極端なるものは、都筑、園田、野村、古沢等にして、彼等は啻に政党内閣を忌むこと蛇蝎の如くなるのみならず、政党と提携するすら既に内閣の尊厳を失ふものなりと信ずるものゝ如し。憲政党内閣の成るや、園田男は其内閣を認めて帝国の国体を破壊するの内閣なりと罵り、自ら警視庁を煽動して之れに反抗を試みむとしたる人なり、野村子は曾て客に語りて、議会は幾たびにても解散して可なりと主張し、予算不成立の不幸は、内閣大臣以下腰弁当にて之れを償ひ得可しとの奇論を吐きたる人なり、古沢氏は往時自由党に入りて民権を唱へたる人なれども、其後長派の恩顧を受くるに及で、一変して藩閥党と成り、近来は帝王神権説を主張して、極力政党内閣に反対し、都筑氏は、井上伯が嘗て官吏と為るの外には潰ぶしの利かぬ男なりと評せしほどの自然的吏人にして、吏権万能の主義を固執せる保守的人物なり。山県内閣の将に自由派と提携せむとするや、氏は最も強硬なる非提携論者にして、山県侯に勧むるに飽くまで超然内閣の本領を立つ可きを以てしたりといふ。聞く氏は山県系統中に在て、最も才気峻峭なる壮年政治家なりと。然るに其時務を弁ずるの迂濶なること斯の如きは、豈学に僻する所あるが為ならずや。朝比奈知泉二宮熊次郎の両氏は、山県侯に深厚なる同情を表する政論家なり。朝比奈氏は曾て侯の機関たる東京新聞主筆として、夙に非政党内閣を主張し、其後日々新聞に筆を執るに及でも、終始其主張を改めざる人にして、其屠竜縛虎の雄文一世を傾倒して何人も敵するものなし。聞く非政党内閣は氏の持論なりと。二宮氏は曩きに独逸に留学して、国家主義を齎らし帰り、今や現に『京華日報』の主筆として、日に政党攻撃の文を草し、伊藤侯が内閣を憲政党に引渡したるの挙を
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