なり※[#白ゴマ、1−3−29]而して其最初の目的は実に藩閥を擁護せむとするに在りき※[#白ゴマ、1−3−29]されど第二次松方内閣起るに及て、協会員中の薩派に属するものは大抵分離し去て、今や協会は殆ど純粋の長派と為れり※[#白ゴマ、1−3−29]但し佐々友房氏は、今も尚ほ薩長聯合の旧夢に迷ふ人なれど、多数の会員は全く長派に傾き、中にも山県崇拝の感情を有するもの最も多し。首領品川子は、山県崇拝の随一にして、大岡育造氏の如きも寧ろ山県系統に属せり。大岡氏は井上侯にも、伊藤侯にも親密の関係あれども、個人としては最も山県侯に深縁あり。されど氏は常に長派の統一を謀るを以て念とし、特に伊藤山県両侯の調和者として、近来頗る努力しつゝあるは、既に公然の秘密なり。
 案ずるに山県侯は、其思想性格に於て大に伊藤侯と合はざる所あり。山県侯は保守的思想を有し、伊藤侯は進歩的思想を有し、山県侯は謹厳端実の性格にして、伊藤侯は磊落滑脱の気質なり。且つ山県侯は由来神経質の人物にして、動もすれば厭世主義に傾けども、伊藤侯は快豁なる多血質にして、楽天主義の人物なり。其公私の行動に於て往々衝突することあるは、亦已むを得ずと謂ふ可し。大岡氏は政治家としては固より伊藤侯を推す可きも、山県侯とは亦切て切れられざる関係あるに於て、其両侯の睚眦反目を融解せむと勉むるは何ぞ怪むに足らむや。
 山県侯が第二次内閣を組織するや、協会員中議論二派に分かる。甲は絶対的に内閣を助けむと主張して、乙は超然内閣にては反対するの外なしと主張し、大岡氏の如きは寧ろ後者の主張者たりしと雖も、是れ唯だ一時の権略にして、実は山県内閣をして自由派と提携せしめむとするの意たりしならむのみ。蓋し山県内閣をして自由派と提携せしむるは、是れ山県伊藤両侯をして調和せしむる所以なればなり。而して大岡氏は終に其目的を達せり。山県侯は一切の感情を棄てゝ自由派と提携し、伊藤侯も亦其挙を賛して、背後より山県内閣に応援す可きの約を為したり。此に於て国民協会は純然たる山県内閣の与党と為ると共に、衆議院に一名の政友を有せずと目せられたる山県侯は、此に新たなる忠実の政友を有するに至れり。

      其三 山県系統の両派
 国民協会は既に山県侯の忠実なる政友と為れりと雖も其中固より両派あり。保守主義を有するものと、進歩主義を有する者と是れなり。首領品川子は稍々保
前へ 次へ
全175ページ中83ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
鳥谷部 春汀 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング