白ゴマ、1−3−29]現法制局長平田東助氏は、政府部内に於ける一方の領袖にして、而も山県侯の参謀と称せられ、現内閣書記官長安広伴一郎氏は、後進の一敏才にして、而も山県侯の智嚢たり※[#白ゴマ、1−3−29]野村靖子は第二次伊藤内閣の逓信大臣たりし時、属僚の為めに放逐せられたる敗軍の将にして、今は枢密院に隠るゝ人なれども、山県侯一たび之れを招げば、履を逆まにして之れに馳せむ※[#白ゴマ、1−3−29]看来れば山県系統の四方に蔓引すること実に斯くの如きものあり。
 此故に侯が政府部内及び貴族院に於ける潜勢力は、薩長の元勲中一人として之れに及ぶ者あるなし※[#白ゴマ、1−3−29]先づ政府部内に就ていはむか、内務省は近来自由派の為めに踏み荒されたれども、山県侯が曾て久しく統治したる領分なれば、其根拠の鞏固なる容易に抜く可からざるものあり※[#白ゴマ、1−3−29]司法省に於ける山県系統は亦頗る広く、其清浦派と目せらるゝものは、総べて山県系統と認めて可なり、逓信省は之を前にしては野村靖子に依て、之れを中ころにしては、故白根専一男に依て、之れを今にして芳川顕正子に依て其山県侯の領分を開拓したること少なからず※[#白ゴマ、1−3−29]若し夫れ陸軍省に至ては、是れ殆ど侯ありて始めて陸軍省ありと謂ふ可くして、侯が外に在るの日と雖も、侯の威信は隠然として省中の魔力たり※[#白ゴマ、1−3−29]而して侯の系統の及ばざる所は、薩人の領分たる海軍省と赤門、茗渓両派の争点たる文部省及び松方伯の根拠たる大蔵省にして、農商務省は曾て品川子の大臣たりし時、多少山県侯の系統を引き入れたることあるは人の知る所なり※[#白ゴマ、1−3−29]次に貴族院に就て之れをいはゞ、彼の研究会の如きは、其初め実に第一次の山県内閣に依て種子を播き、山県派の人物に依て次第に培養せられたるものなり※[#白ゴマ、1−3−29]現に清浦氏は研究会の領袖として之れを操縦するに非ずや※[#白ゴマ、1−3−29]伊東巳代治男の如きは、一時研究会の黒幕と称せられたることありしも、其信用は到底清浦氏の敵に非ざる無論なり。

      其二 山県侯と国民協会との関係
 国民協会は山県侯の直接に関係したる政団に非ず※[#白ゴマ、1−3−29]之を組織したる張本は西郷侯品川子の二人にして、組織に参与せるものは、樺山伯高島子及び故白根男
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