やうとするものは、自由党よりも改進党に赴くの傾向があつた。
※[#丸中黒、1−3−26]併し伯の東奔西走の労苦は空しからず、追々自由党の勢力は拡がつて、地方の政治的地図の大部分は、自由党に依て占領せられた。今の政友会が政党中で最も幅を利かして居るのは伯の植ゑ付けた苗木の伸びたのに過ぎない。
※[#丸中黒、1−3−26]伯の事業として特筆すべきものは即ちこれであつて、明治の政党史を編するものは、必らず伯の為に多くの頁数を割愛せねばならぬと考へる。
※[#丸中黒、1−3−26]勿論議会開設後の自由党は、最早自由民権論といふやうな理想ばかりで動いて居る訳には往かない。政党の仕事は、重に議会の掛引で空理空論よりも実際問題を処置せねばならぬ。そこで自由党は次第に板垣伯の指導に満足しなくなつた。伯も亦余り政治には熱心でなかつたやうで、事実をいへば、唯だ名ばかりの首領であつた。
※[#丸中黒、1−3−26]星亨の如き腕白者が自由党の実権を握つたのも、即ち其の為めであつて、伯の政治生涯は此の時代には既に終りを告げて居つたのである。
※[#丸中黒、1−3−26]伊藤侯が政友会を組織して自由党を改宗させたのは、板垣伯に取つても渡りに船で(伯はさう思つて居らぬかも知れぬが)若し此の過渡の一時期がなかつたならば、伯は自由党の始末に窮したであらう。
※[#丸中黒、1−3−26]兎に角伯は自由党の為に余程苦労されたものである。其の後身たる政友会は決して伯の前功を忘れてはならぬ。(三十九年四月)
公爵 山県有朋
山県有朋
世間、山県有朋を見る何ぞ其れ謬れるや。彼を崇拝するものは曰く、重厚端※[#「殼/心」、45−下−16]古名臣の風ありと※[#白ゴマ、1−3−29]彼を軽蔑するものは曰く、小胆褊狭毫も人材を籠葢するの才なしと※[#白ゴマ、1−3−29]或は彼を政界の死人なりと笑ひ、或は彼を文武の棟梁なりと称し、毀誉褒貶交々加はるも渾べて皆誤解なり※[#白ゴマ、1−3−29]彼は伊藤博文の如く円転自在ならず※[#白ゴマ、1−3−29]大隈重信の如く雄傑特出ならず※[#白ゴマ、1−3−29]又井上馨の如く気※[#「陥のつくり+炎」、第3水準1−87−64]万丈ならず※[#白ゴマ、1−3−29]即ち唯だ平凡他の奇あらざるものに似たりと雖も、余を以て之を観れば、井上や
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