望を利用して、自己の長所を縦横に揮灑し、以て徐ろに政治改革の雄心を逞うせむとしたりき。然れども大久保の死すると共に、政府は忽ち茲に適当なる統率者を失ひ、単に藩閥の利害を一致せしめて、漸次勃興し来れる国民的運動を頑強に抑遏せむとしたりき。是に於てか、伯が内より政治を改革せむとするの計画は失敗に帰し、時代は伯を促がして国民と握手せしめ、以て伯の公生涯に分界線を劃したりき。伯が明治十五年を以て政党を組織したるは、蓋し新らしき政治的日本を建設せむが為に新らしき手段を必要なりと自覚したる結果のみ。爾来伯は稀れに政府に出入し、一たびは自ら首相となりて内閣を組織したることあれども、常に政党を基礎としたる立憲政府の完成を期せざるなく、殆ど一身の得失を忘れて藩閥と奮闘したりき。
 顧みて陸奥伯の行径を見れば、伯の前半期は、藩閥に対する謀叛を以て一貫したりき。勿論伯は著名なる維新の功臣にも非ざれば、明治の初期に於ける伯の資望は、未だ甚だ言ふに足るものなかりき。加ふるに伯の人格は藩閥の大勢力たる大久保利通の理想に適合せざりしを以て互ひに相反撥し、終に伯を駆つて不平党の一人たらしめたりき。伯は木戸孝允に説くに国民主義と薩摩征伐の策を以てしたれども、謹慎なる木戸は持重して敢て妄りに動かざりき。独り今の井上侯は大久保攻撃の勇将として聞え、頗る伯と意気投合したりし如しと雖も、其の勢力孤弱にして固より大久保党と対抗するに足らざりき。
 其の大阪府判事、神奈川県知事、租税権頭、及び元老院幹事等の諸官を歴任して、前半期の終結たる明治十一年の隠謀事件に至るまで、伯の胸中に画きしものは唯だ藩閥政府を顛覆せむとするの戯曲のみ。而して其の最後の幕は、伯の戯曲中最も奇矯にして最も露骨なるものなりき。斯くて伯が七年間の囹圄に於て領悟したる真諦は、恰も大隈伯と正反対の方向を取ることなりき。伯の獄を出づるや、其の曾て敵視したる藩閥者流の助力を得て欧洲に遊び、其の帰るや直に外務省に入りて弁理公使となり、尋いで米国公使となり、転じて山県内閣の農商務大臣となり、伊藤内閣の外務大臣となり、子爵となり、伯爵となり、勲一等となりき。此の間に於ける伯の政府改造策は、先づ藩閥と政党とを結合するを第一着手としたりき。故に伊藤内閣の策士たる伯は、同時に自由党の謀主たりき。伯が其の後半期に於て、伊藤公の信頼を藉つて自己の理想を実現せむとし
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